最近探していたマンガが見つかって、衝動買いしました。作品名はタイトルの通り、『校舎のうらには天使が埋められている』です。なかなか有名な作品のようで、内容も読み物として面白いです。
テーマは、「いじめ」です。著者曰く「子供とサバイバル」を組み合わせたものだそうです。内容は結構えげつないので、そういった作品が苦手な方はちょっと辛いかもしれません。わたしがこれまで読んだ漫画の中でも、なかなか目立って怖い作品です。
さて、そのいじめの中心にいるのが、蜂屋あいです。彼女はにこやかに、朗らかに、天使のような笑顔でクラスのいじめを静観しています。クラスを統率する彼女のことを、、作品内では「女王蜂」と呼ばれています。
ん?「王」と聞くとなんだか心がぴょんぴょんしてきますね?なんででしょう。
では、興味本位で彼女をマキャヴェリが論じた君主論を参考に考えてみましょう。といっても、知識が深いわけでもないので、表面上の言葉をいくつか用いさせていただくといった形になります。ご了承ください。
蜂屋あいは君主の気質を持っているのでしょうか。まずは、優れた君主の定義を考えてみましょう。マキャヴェリ曰く「獅子の強さと狐のずるがしこさ」が必要だということです。もう少し詳しく言うと、軍事力を背景に人を支配し、かつ徳のある人物であるかのように見せつけること、といった形でしょうか。しかも軍事力については、国外防衛だけでなく国内の反乱などにも気を配る必要があり、国民は畏怖と敬愛の下で君主の統治を受け入れるほどにすることが必要だということです。さらに、軍事力はなるべく国内で賄ったほうがよいと述べています。傭兵や外国軍は無統制になるからです。国内の不安分子はなるべく抹殺して、自分がうまく統制を行いうる状態を作るべきだと考えられます。
さらに、マキャヴェリは「愛されるよりも恐れられる方がはるかに安全である」と述べています。人間というものは力が弱まるとすぐに裏切るという発想ならば、恐怖されて従ってもらったほうがいいといったところでしょう。
話を戻しましょう。まず、蜂屋あいはクラス内の力を統率できています。女王蜂ですから、当然といえば当然ですが。では、クラスの軍事力(反逆を抑え付ける力)はどこにあるでしょうか。まず、クラス外に対しては見張りを配置している描写が見受けられます。さらに木戸先生が守ってくれることは、クラス外についても良い効果があります。クラス内ではわんこ制度という「見せしめ」的ないじめがあります。さらに、お抱えの(?)精鋭たちが取り巻きとして登場しています。少なくとも作中、彼女は相当畏怖されている様子が伺えます。
では、狐のズル賢さについて見てみましょう。彼女が果たして真意で言っているのかどうかは不明ですが、少なくとも言動はとても柔らかく、また作戦に失敗した人物に再度チャンスを与えるといった慈悲深い(?)対応をよくとっています。同時に、わんこ制度はいじめを求める需要がある限りは甘い蜜になります。木戸先生に対しては、「子供たちを守る」という大義名分を与えることによって、野呂瀬先生の影響を排除することで、そこにカタルシスを加味するという効用があったと言えます。
彼女へ対するクラスの対応は非常に面白く、恐れに基づく行動と、自主的な介入という二面性があります。これこそ、マキャヴェリのいう「獅子の強さと狐のずる賢さ」ではないかと考えています。
以上をまとめると、おそらく君主としては成功したのではないかと思います。ここからは私の憶測ですが、崩壊の原因は、野呂瀬先生含む外部勢力の介入、光本菜々芽含む内部での反発です。これらは、外部に情報が漏れたこと、内部に統制できない勢力があったことを意味します。さらに抑圧しすぎた結果とった更田千尋の異常な保身行動も原因かもしれません。
なんだか考えるのが楽しくなってきましたね。こうやって漫画を勝手に自論だけで考察するのもなかなか面白いです。みなさんも、いろんな作品について少し考えてみてください。勉強が楽しくなるかもしれませんよ(白目)。
ちなみに、一番好きなキャラは断然中西くんですが、更田が魅せる比喩表現と笑い方もわりと嫌いじゃないです。
テーマは、「いじめ」です。著者曰く「子供とサバイバル」を組み合わせたものだそうです。内容は結構えげつないので、そういった作品が苦手な方はちょっと辛いかもしれません。わたしがこれまで読んだ漫画の中でも、なかなか目立って怖い作品です。
さて、そのいじめの中心にいるのが、蜂屋あいです。彼女はにこやかに、朗らかに、天使のような笑顔でクラスのいじめを静観しています。クラスを統率する彼女のことを、、作品内では「女王蜂」と呼ばれています。
ん?「王」と聞くとなんだか心がぴょんぴょんしてきますね?なんででしょう。
では、興味本位で彼女をマキャヴェリが論じた君主論を参考に考えてみましょう。といっても、知識が深いわけでもないので、表面上の言葉をいくつか用いさせていただくといった形になります。ご了承ください。
蜂屋あいは君主の気質を持っているのでしょうか。まずは、優れた君主の定義を考えてみましょう。マキャヴェリ曰く「獅子の強さと狐のずるがしこさ」が必要だということです。もう少し詳しく言うと、軍事力を背景に人を支配し、かつ徳のある人物であるかのように見せつけること、といった形でしょうか。しかも軍事力については、国外防衛だけでなく国内の反乱などにも気を配る必要があり、国民は畏怖と敬愛の下で君主の統治を受け入れるほどにすることが必要だということです。さらに、軍事力はなるべく国内で賄ったほうがよいと述べています。傭兵や外国軍は無統制になるからです。国内の不安分子はなるべく抹殺して、自分がうまく統制を行いうる状態を作るべきだと考えられます。
さらに、マキャヴェリは「愛されるよりも恐れられる方がはるかに安全である」と述べています。人間というものは力が弱まるとすぐに裏切るという発想ならば、恐怖されて従ってもらったほうがいいといったところでしょう。
話を戻しましょう。まず、蜂屋あいはクラス内の力を統率できています。女王蜂ですから、当然といえば当然ですが。では、クラスの軍事力(反逆を抑え付ける力)はどこにあるでしょうか。まず、クラス外に対しては見張りを配置している描写が見受けられます。さらに木戸先生が守ってくれることは、クラス外についても良い効果があります。クラス内ではわんこ制度という「見せしめ」的ないじめがあります。さらに、お抱えの(?)精鋭たちが取り巻きとして登場しています。少なくとも作中、彼女は相当畏怖されている様子が伺えます。
では、狐のズル賢さについて見てみましょう。彼女が果たして真意で言っているのかどうかは不明ですが、少なくとも言動はとても柔らかく、また作戦に失敗した人物に再度チャンスを与えるといった慈悲深い(?)対応をよくとっています。同時に、わんこ制度はいじめを求める需要がある限りは甘い蜜になります。木戸先生に対しては、「子供たちを守る」という大義名分を与えることによって、野呂瀬先生の影響を排除することで、そこにカタルシスを加味するという効用があったと言えます。
彼女へ対するクラスの対応は非常に面白く、恐れに基づく行動と、自主的な介入という二面性があります。これこそ、マキャヴェリのいう「獅子の強さと狐のずる賢さ」ではないかと考えています。
以上をまとめると、おそらく君主としては成功したのではないかと思います。ここからは私の憶測ですが、崩壊の原因は、野呂瀬先生含む外部勢力の介入、光本菜々芽含む内部での反発です。これらは、外部に情報が漏れたこと、内部に統制できない勢力があったことを意味します。さらに抑圧しすぎた結果とった更田千尋の異常な保身行動も原因かもしれません。
なんだか考えるのが楽しくなってきましたね。こうやって漫画を勝手に自論だけで考察するのもなかなか面白いです。みなさんも、いろんな作品について少し考えてみてください。勉強が楽しくなるかもしれませんよ(白目)。
ちなみに、一番好きなキャラは断然中西くんですが、更田が魅せる比喩表現と笑い方もわりと嫌いじゃないです。