長らくお待たせいたしました。アニメはやや拙速な所がありまして、新規の方が見るには些か感傷が足りない点が難点ですが、それをおいても一先ず一端の作品としてはそれなりに意義のあるものだろうと考えております。特に、アラジン以降の想区は強烈なものが集められておりますので、ソフトランディングをしながら導いていくには良い構成であったと思います。あとは2クール分抑えられていればより良かったのだろうと思います。淡白に纏められてしまっているのが欠点ですので、その点は次回に踏まえて頂きたいと考えております。
さて、今回の紹介する「グリムノーツ」のシナリオは、イベントクエストとして登場した「アップル・ファタールの遺産」です。すでに終了したイベントを振り返すのは一ファンとしてあまり行儀のいいことではないと想うのですが、これを紹介せずして何故グリムノーツを語れようか?と思うほどの良シナリオであったと言えるため、紹介する事に決めました。
「アップル・ファタールの遺産」は、期間限定イベント「プリンス・キッス・エフェクト」の後の物語として語られるもので、エクスたち一行はこの物語の中に二度踏み入れる事になります。
しかし、彼らは観測者であって、あくまで想区の人々とは初対面として接することとなります。そして、彼らはそれと気づかずにその想区に平和をもたらす事になるのです。そう、毒林檎の王妃が、プリンスキッスを受け入れた白雪姫とは気づかずに。
彼らとは対照的に、彼らに救われた、かつての無邪気な白雪姫は、最後に彼の背中に向けてこう呟いています。
「さようなら、私の王子様……」と……。
グリムノーツにある白雪姫の物語は一貫して「親と子」の物語です。娘として未遂とはいえ殺される筈の白雪姫と、美のために嫉妬に狂った王妃様の物語として。その残酷さはプリンス・キッス・エフェクトではよりコミカルに描かれ、悲壮感の代わりに運命の中で描かれる「奇妙な」親子愛を生み出す事になります。
しかしそこまでならば、私はこの物語を取り上げなかったのです。
グリムノーツの美しさは、多面的な可能性の世界の創造にあると考えています。愛するものたち全てに先立たれ、愛する継子に嫉妬に狂った、かつての世界で最も美しい王妃という人物の創造は、悪と断じるだけの短絡な白雪姫とも、単なる愛に訴える美しい白雪姫とも異なります。この作品には、殺される運命の存在と、それを受け入れる度量を持った王妃の対比として、殺す運命に煩悶する白雪姫と、運命を断ち切るための機構全てが絡まり合って、一つの物語を作っているのです。
そして、その最も根幹にあったのが、運命を狂わせた王子のキスの存在だとしたら、私たちはそれに何を見出すのでしょうか。それはもはや、鏡が教えてくれないのですが、ただ一つ残った、王妃の中にある純情を支えたのがこの事件であったとするならば、王妃の最後の言葉には明確な意義があったと言えるでしょう。それは恋い焦がれたる姫の純情、そして、母の嫉妬と愛を受け入れた姫の純情の末路として、非常に人間的な奇跡を生み出す事になりました。それを知らずに通り過ぎる王子の瞳には、王妃はそうは映りません。しかし、そのお陰で、彼女は一つの運命に抗った代償として、もう一つの運命を受け入れたのではないでしょうか。
二つの決別、二つの「さようなら、私の王子様……」には、全く異なる救済の意味があったのです。
さて、今回の紹介する「グリムノーツ」のシナリオは、イベントクエストとして登場した「アップル・ファタールの遺産」です。すでに終了したイベントを振り返すのは一ファンとしてあまり行儀のいいことではないと想うのですが、これを紹介せずして何故グリムノーツを語れようか?と思うほどの良シナリオであったと言えるため、紹介する事に決めました。
「アップル・ファタールの遺産」は、期間限定イベント「プリンス・キッス・エフェクト」の後の物語として語られるもので、エクスたち一行はこの物語の中に二度踏み入れる事になります。
しかし、彼らは観測者であって、あくまで想区の人々とは初対面として接することとなります。そして、彼らはそれと気づかずにその想区に平和をもたらす事になるのです。そう、毒林檎の王妃が、プリンスキッスを受け入れた白雪姫とは気づかずに。
彼らとは対照的に、彼らに救われた、かつての無邪気な白雪姫は、最後に彼の背中に向けてこう呟いています。
「さようなら、私の王子様……」と……。
グリムノーツにある白雪姫の物語は一貫して「親と子」の物語です。娘として未遂とはいえ殺される筈の白雪姫と、美のために嫉妬に狂った王妃様の物語として。その残酷さはプリンス・キッス・エフェクトではよりコミカルに描かれ、悲壮感の代わりに運命の中で描かれる「奇妙な」親子愛を生み出す事になります。
しかしそこまでならば、私はこの物語を取り上げなかったのです。
グリムノーツの美しさは、多面的な可能性の世界の創造にあると考えています。愛するものたち全てに先立たれ、愛する継子に嫉妬に狂った、かつての世界で最も美しい王妃という人物の創造は、悪と断じるだけの短絡な白雪姫とも、単なる愛に訴える美しい白雪姫とも異なります。この作品には、殺される運命の存在と、それを受け入れる度量を持った王妃の対比として、殺す運命に煩悶する白雪姫と、運命を断ち切るための機構全てが絡まり合って、一つの物語を作っているのです。
そして、その最も根幹にあったのが、運命を狂わせた王子のキスの存在だとしたら、私たちはそれに何を見出すのでしょうか。それはもはや、鏡が教えてくれないのですが、ただ一つ残った、王妃の中にある純情を支えたのがこの事件であったとするならば、王妃の最後の言葉には明確な意義があったと言えるでしょう。それは恋い焦がれたる姫の純情、そして、母の嫉妬と愛を受け入れた姫の純情の末路として、非常に人間的な奇跡を生み出す事になりました。それを知らずに通り過ぎる王子の瞳には、王妃はそうは映りません。しかし、そのお陰で、彼女は一つの運命に抗った代償として、もう一つの運命を受け入れたのではないでしょうか。
二つの決別、二つの「さようなら、私の王子様……」には、全く異なる救済の意味があったのです。
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