こずみっく・ふぉーとれす

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『グリムノーツ』と私的な考察②(ネタバレ注意) シンデレラの想区-あるいは、ありうべき不可能の世界

2019-01-11 23:10:40 | 駄言
お久しぶりです。ついに一話が放映されましたね。アニメの感想としては、やっていた人はわかるでしょうが、やっていない人はわからないでしょうという印象です。一話切りの層が一定数懸念される所ですが、というのも、この作品の本質を表す想区が、赤ずきんの想区だったのです。赤ずきんの想区については言及しませんが、運命を決められているものの葛藤を示している最初の想区となっています。

ですがここでは物語の始まり……彼らの出会いの地を紹介するのが肝要と考えます。物語の始まりの想区、つまり「シンデレラの想区」です。
この想区は、シンデレラの想区出身の主人公、エクスが、可能性の前に葛藤する姿が描かれた想区です。彼の物語は分かりやすい恋心を描いたものですが、シンデレラへの恋心が実ることはありません。当然ですね、シンデレラは王子様と結ばれるのですから。それに抗するのが主人公を主人公たらしめる理由になるのですが、この作品の面白い点は、「そうはならない」所にあります。なぜなら主人公であるエクスは、物語の中での脇役なのです。そのために、彼の見た目は無個性にこだわって作られている程です。兎に角、狂った世界を調律することによって、シンデレラへの実らない想いの代わりに、彼女の幸せを選んだ主人公。この主人公を臆病者と取る向きもあります。しかし、私はここにこそ作品のこだわりを感じるのです。

はじめにに記したように、本作は、可能性と可動性の葛藤と記しました。エクスは可能性を多数に持つ存在です。その彼が選び取ったのが可動性の中の幸せであったこと、この選択によって、可能性の存在エクスが、彼の思い通りに物語を捻じ曲げることを望まないことを示しました。可動性に対して、可能性が屈した瞬間とも取れます。しかし、この倫理観こそ、グリムノーツの世界を端的に示すことに役立っているのです。つまり、可能性よりも優先すべき可動性の存在、エクスたち空白の書の者たちが、可動性を望むという在り方を象徴するのです。

そして彼は、自分自身の可能性に従い旅を始めます。これが、後に彼ら自身が可動性に至るという、後半に生きた設定となって行くのが、グリムノーツの面白さの一つとなるのです。
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