いつ頃からだったか、僕は、卯月コウを見なくなった。卯月コウだけじゃない。その頃から、きっとvtuberとも疎遠になっていた。
昔よりかなり怒りっぽくなってきていて、合わない上司への果てしないストレスも溜まりに溜まってきており、小説もちっとも上手くいかず、悶々とする日々を送っていた。将来の不安も、その逃避の手段すら失って、そろそろ自分は学生時代の計画通りに自分の人生にとどめを刺すべきなのだとさえ感じてさえいた。
「卯月コウがライブに出る」というのを知って、懐古のつもりで無料部分を見た。
「脱法ロック」を歌う彼の姿を見て、思わず心が震えた。しばらく逡巡して(大事なことほど逡巡して決断を先延ばしにし、後悔するのは僕の常だ)、耐えきれなくなり、コンビニへと走る。支払いを終え、再びパソコンの前に座ると、彼がにじさんじにデビューするまでを描くMAD「にじさんロック」の映像を思い出し、そして地続きの世界で彼が確かに生きていることを知ると、言いようのない感情が込み上げてきた。
思えば、彼はアナフィラキシーショックで、病院に搬送されたこともあった。あの時本気で心配して、卯月コウを検索しまくったことがあったっけ。彼の雑談配信や企画配信が楽しみで、毎日楽しかった。
仕事の帰りが遅くなって、配信の視聴を後回しにしてからだろう。徐々に観に行くことが出来なくなって、心のもやもやが積もっていった。
話は変わるが、卯月コウという人物は、多くの人物に影響を与えてきた。ある自殺志願者の視聴者をほとんど無意識の言葉で生き残らせ、彼が主人公のMAD「にじさんロック」を通して、三枝明那がにじさんじに向かう道を作り、「アイシー」の歌唱を通して、加賀美ハヤトは「WITHIN」を撮り直させた。
にじさんじseeds一期生としてデビューし、決してにじさんじのvtuberとして花形ではないが、多くの人物に影響を与えた卯月コウ。彼が影響を与えた人々と共に、彼が舞台に立つ。眩いばかりの世界で歌い踊り、内輪ネタを差し込み、そして笑う。そこには確かに、僕の見ていた頃の卯月コウがいた。
そして、僕も、彼に影響を受けた人の一人だ。
僕が物書きとなったのは、学生時代、漫画研究会にいた頃からだ。部員としてはあまりに名前負けしているが、今でも笑ってしまうほど絵が下手で、結局小説に行き着いたのも、僕らしい、ありきたりで臆病な「逃げ」だったのだろう。
それでも、社会人になっても続けていた執筆活動は、ある時シリーズ完結という形で終わるところだった。
しかし、僕の中にもやっとした感情が残った。「まだ、語りきれていない」という感覚を抱いた僕は、その物語を終わりを定めた。「人類が月に至るまでを描こう」と。
月面着陸は、人類史の一つの区切りでもあるから、題材としてちょうどいい。そして何より、それならば、「彼に手を伸ばす物語」のように感じられて、逃げずに続けられると思ったのだ。
それからは本当に長かった。いつの間にかこの「理由」を忘れて、数字に振り回されて苦悩もした。
10月の初め、物語の結びまでをひとまず描き切って、ひと息ついた時に、ふとタイムラインを見て、「FANTASIA DAY2」開催の話題を目にしたのだった。
普段なら雑談配信くらいしか見ないのに、まさかこんな風に彼に辿り着くなんて思わなかった。「らしさ」を聞き、背中を合わせる二人の姿に、目頭が熱くなった。
「どうしようもなく今を生きている」僕が、卯月コウと出会い、沢山の配信の中で泥の中で咲く花のような視聴者の話や、彼のくだらない雑談、オタクらしい話を聞いた。自分が何とか(みっともなく?)しがみついた趣味を続けるために、「人が月に手を伸ばす」物語を描くと決めた。
そのきっかけは、今も、強く、眩く、輝いていた。
こんな話は大した話じゃないかもしれない。それでも、僕にとっては大事な話だ。
昔よりかなり怒りっぽくなってきていて、合わない上司への果てしないストレスも溜まりに溜まってきており、小説もちっとも上手くいかず、悶々とする日々を送っていた。将来の不安も、その逃避の手段すら失って、そろそろ自分は学生時代の計画通りに自分の人生にとどめを刺すべきなのだとさえ感じてさえいた。
「卯月コウがライブに出る」というのを知って、懐古のつもりで無料部分を見た。
「脱法ロック」を歌う彼の姿を見て、思わず心が震えた。しばらく逡巡して(大事なことほど逡巡して決断を先延ばしにし、後悔するのは僕の常だ)、耐えきれなくなり、コンビニへと走る。支払いを終え、再びパソコンの前に座ると、彼がにじさんじにデビューするまでを描くMAD「にじさんロック」の映像を思い出し、そして地続きの世界で彼が確かに生きていることを知ると、言いようのない感情が込み上げてきた。
思えば、彼はアナフィラキシーショックで、病院に搬送されたこともあった。あの時本気で心配して、卯月コウを検索しまくったことがあったっけ。彼の雑談配信や企画配信が楽しみで、毎日楽しかった。
仕事の帰りが遅くなって、配信の視聴を後回しにしてからだろう。徐々に観に行くことが出来なくなって、心のもやもやが積もっていった。
話は変わるが、卯月コウという人物は、多くの人物に影響を与えてきた。ある自殺志願者の視聴者をほとんど無意識の言葉で生き残らせ、彼が主人公のMAD「にじさんロック」を通して、三枝明那がにじさんじに向かう道を作り、「アイシー」の歌唱を通して、加賀美ハヤトは「WITHIN」を撮り直させた。
にじさんじseeds一期生としてデビューし、決してにじさんじのvtuberとして花形ではないが、多くの人物に影響を与えた卯月コウ。彼が影響を与えた人々と共に、彼が舞台に立つ。眩いばかりの世界で歌い踊り、内輪ネタを差し込み、そして笑う。そこには確かに、僕の見ていた頃の卯月コウがいた。
そして、僕も、彼に影響を受けた人の一人だ。
僕が物書きとなったのは、学生時代、漫画研究会にいた頃からだ。部員としてはあまりに名前負けしているが、今でも笑ってしまうほど絵が下手で、結局小説に行き着いたのも、僕らしい、ありきたりで臆病な「逃げ」だったのだろう。
それでも、社会人になっても続けていた執筆活動は、ある時シリーズ完結という形で終わるところだった。
しかし、僕の中にもやっとした感情が残った。「まだ、語りきれていない」という感覚を抱いた僕は、その物語を終わりを定めた。「人類が月に至るまでを描こう」と。
月面着陸は、人類史の一つの区切りでもあるから、題材としてちょうどいい。そして何より、それならば、「彼に手を伸ばす物語」のように感じられて、逃げずに続けられると思ったのだ。
それからは本当に長かった。いつの間にかこの「理由」を忘れて、数字に振り回されて苦悩もした。
10月の初め、物語の結びまでをひとまず描き切って、ひと息ついた時に、ふとタイムラインを見て、「FANTASIA DAY2」開催の話題を目にしたのだった。
普段なら雑談配信くらいしか見ないのに、まさかこんな風に彼に辿り着くなんて思わなかった。「らしさ」を聞き、背中を合わせる二人の姿に、目頭が熱くなった。
「どうしようもなく今を生きている」僕が、卯月コウと出会い、沢山の配信の中で泥の中で咲く花のような視聴者の話や、彼のくだらない雑談、オタクらしい話を聞いた。自分が何とか(みっともなく?)しがみついた趣味を続けるために、「人が月に手を伸ばす」物語を描くと決めた。
そのきっかけは、今も、強く、眩く、輝いていた。
こんな話は大した話じゃないかもしれない。それでも、僕にとっては大事な話だ。
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