ブラックをプレイした後、自然と手を伸ばしたのが「ポケットモンスターブラック2」だった。ポケモンの中でも「問題作」だったブラックの、2年後を描いた作品……物語のその後を求めて電源を入れた僕は、懐かしい面子を見て思わず顔が綻んだ。
中でも、かつて主人公と共に旅を続け、多くの葛藤を通して成長してきたチェレン。彼がジムリーダーとして、初めに立ちはだかってくれた事は、何より嬉しく思った。
『ジムリーダーとして きみの かべで ありたい!』(チェレン)※
かつて共に旅した仲間が、今は旅を支えてくれる。チェレンとベル、二人に見守られながら、主人公が見た景色は、以前の旅よりも楽しいものになる……ように思えた。
本作のライバルであるヒュウという人物について、初対面の僕が感じた印象は「苦手だな」だった。強引なところがあったり、一人の正義を貫くようなキャラクター像に思われたからだ。
しかし、物語を進めるにつれて、彼がライバルでいてくれてよかったと、素直に感じられるようになった。
元プラズマ団に吐き捨てるように辛辣な台詞を述べた彼が、プラズマ団の中に残った、協力者の一人に同情の眼差しを向けた時、彼の中の何かが変わっていったことを感じられた。かつて「悪」だった相手達が、自らの「正義」を貫こうとしていたことを知り、しかし彼らがした行為に対する憎しみを消し去ることは決してできない。彼の内心にある葛藤は凄まじいものだった筈だ。正しさを貫こうとすれば、その分だけ他の正しさに悪を押し付けてしまう。「感情」と「正義」は分けて考えなければならない、それでも、それらは「白黒つけられない」。
『自分たち 以外の すべての 意見 考えを 否定しかねない
それが どんなに 危ないことか』(ヤーコン)※
ここにきて、物語は再び2年前の葛藤を想起させる。ポケモンは捕まえられて本当に幸せだろうか?それとも、本当は不幸で、そうなら本当に手放してあげるべきなのではないか?自分の旅を通して、それでも選び取った筈のポケモンとの共生の道を、『ポケットモンスター ブラック2』では、全く違う形で問いかけようとする。
『俺の正義!
誰かに何を言われようと貫き通す! 絶対! 絶対!』(プラズマ団の下っぱ)※
『あいつら プラズマ団の 思い通りに させたら……
チョロネコや キュレム みたいに 哀しい ポケモンが 増えるよな……』(ライバル)※
そして、正義や悪で区別できないものには、互いが正義であるという状態だけではない、と、物語は僕たちに再び問いかけようとする。
それが、悪の組織のリーダー、アクロマの存在だ。
彼は、物語の中で最も自由に、目的に向かって邁進した人物でもある。彼が求めるものは「真実」。それは、彼自身の興味関心に基づき、どんな研究成果が出るのか、という純粋な探究心だ。
彼は主人公、果ては世界すら巻き込んで、自らの研究を進めていく。彼は悪の側にいるものの、結局は彼の探究心は悪の範疇にない。勿論、それは正義とも到底言い難い。「無彩色」の名に相応しく、彼自身を「白黒つけられない」。
『そして その結果 世界が滅ぶ としても!』(アクロマ)
ヒュウを通して、物事の善悪は再び揺さぶられ、アクロマを通して、物事の善悪は全てを分けられないことを思い知らされる。
今を生きる僕たちに向けて、『ポケットモンスターモンスター ブラック2』が問いかけてくるのは、ブラックを通して見せてくれたものをさらに進んで、善悪で分けきれないものの存在、それが複雑に絡み合うことで、世界はますます混沌としていくということだ。僕たちがこれから生きるのは、複数の正しさとの対立と、それらと全く異なる勢力の介入が溶け合う世界だ。
2012年、ポケモンと共に生きてきた世代が、大人になっていく頃に、この物語に触れる。そうして、複雑な社会について、考えざるを得ないのだということを、それでも自らが持つべき意見をしっかりと捉えなければならないことを、ゲームを通して学んでいく。
それは、もはやゲームという作品が、一つの芸術として昇華されている証明でもある。
僕は、前作は問題作だと言ったが、今作は間違いなく名作の一つに数えていいと思う。問いかけの構造が複雑になったとは言え、やはりこの作品には、『ポケットモンスターシリーズ』としての楽しさにも満ちているから。
とは言え、僕は考えずにはいられないのだ。ヒュウが辿った旅路のことや、アクロマが求めた真理への道筋を。
※(引用は、いずれも、株式会社ゲームフリーク開発・株式会社ポケモン販売『ポケットモンスター ブラック2』(2012)より引用)
中でも、かつて主人公と共に旅を続け、多くの葛藤を通して成長してきたチェレン。彼がジムリーダーとして、初めに立ちはだかってくれた事は、何より嬉しく思った。
『ジムリーダーとして きみの かべで ありたい!』(チェレン)※
かつて共に旅した仲間が、今は旅を支えてくれる。チェレンとベル、二人に見守られながら、主人公が見た景色は、以前の旅よりも楽しいものになる……ように思えた。
本作のライバルであるヒュウという人物について、初対面の僕が感じた印象は「苦手だな」だった。強引なところがあったり、一人の正義を貫くようなキャラクター像に思われたからだ。
しかし、物語を進めるにつれて、彼がライバルでいてくれてよかったと、素直に感じられるようになった。
元プラズマ団に吐き捨てるように辛辣な台詞を述べた彼が、プラズマ団の中に残った、協力者の一人に同情の眼差しを向けた時、彼の中の何かが変わっていったことを感じられた。かつて「悪」だった相手達が、自らの「正義」を貫こうとしていたことを知り、しかし彼らがした行為に対する憎しみを消し去ることは決してできない。彼の内心にある葛藤は凄まじいものだった筈だ。正しさを貫こうとすれば、その分だけ他の正しさに悪を押し付けてしまう。「感情」と「正義」は分けて考えなければならない、それでも、それらは「白黒つけられない」。
『自分たち 以外の すべての 意見 考えを 否定しかねない
それが どんなに 危ないことか』(ヤーコン)※
ここにきて、物語は再び2年前の葛藤を想起させる。ポケモンは捕まえられて本当に幸せだろうか?それとも、本当は不幸で、そうなら本当に手放してあげるべきなのではないか?自分の旅を通して、それでも選び取った筈のポケモンとの共生の道を、『ポケットモンスター ブラック2』では、全く違う形で問いかけようとする。
『俺の正義!
誰かに何を言われようと貫き通す! 絶対! 絶対!』(プラズマ団の下っぱ)※
『あいつら プラズマ団の 思い通りに させたら……
チョロネコや キュレム みたいに 哀しい ポケモンが 増えるよな……』(ライバル)※
そして、正義や悪で区別できないものには、互いが正義であるという状態だけではない、と、物語は僕たちに再び問いかけようとする。
それが、悪の組織のリーダー、アクロマの存在だ。
彼は、物語の中で最も自由に、目的に向かって邁進した人物でもある。彼が求めるものは「真実」。それは、彼自身の興味関心に基づき、どんな研究成果が出るのか、という純粋な探究心だ。
彼は主人公、果ては世界すら巻き込んで、自らの研究を進めていく。彼は悪の側にいるものの、結局は彼の探究心は悪の範疇にない。勿論、それは正義とも到底言い難い。「無彩色」の名に相応しく、彼自身を「白黒つけられない」。
『そして その結果 世界が滅ぶ としても!』(アクロマ)
ヒュウを通して、物事の善悪は再び揺さぶられ、アクロマを通して、物事の善悪は全てを分けられないことを思い知らされる。
今を生きる僕たちに向けて、『ポケットモンスターモンスター ブラック2』が問いかけてくるのは、ブラックを通して見せてくれたものをさらに進んで、善悪で分けきれないものの存在、それが複雑に絡み合うことで、世界はますます混沌としていくということだ。僕たちがこれから生きるのは、複数の正しさとの対立と、それらと全く異なる勢力の介入が溶け合う世界だ。
2012年、ポケモンと共に生きてきた世代が、大人になっていく頃に、この物語に触れる。そうして、複雑な社会について、考えざるを得ないのだということを、それでも自らが持つべき意見をしっかりと捉えなければならないことを、ゲームを通して学んでいく。
それは、もはやゲームという作品が、一つの芸術として昇華されている証明でもある。
僕は、前作は問題作だと言ったが、今作は間違いなく名作の一つに数えていいと思う。問いかけの構造が複雑になったとは言え、やはりこの作品には、『ポケットモンスターシリーズ』としての楽しさにも満ちているから。
とは言え、僕は考えずにはいられないのだ。ヒュウが辿った旅路のことや、アクロマが求めた真理への道筋を。
※(引用は、いずれも、株式会社ゲームフリーク開発・株式会社ポケモン販売『ポケットモンスター ブラック2』(2012)より引用)