ホテルに戻り荷物を持って最後の場所に向かった
そこは街から1時間ぐらい車で走った所にあった
車で赤土の小道を入って行くと花壇が見え広場といくつかの小屋が見えた
ガイドさんが生まれ育った所のそばで、そこでは子供がいろんな勉強や遊びが出来て、ただいるだけでもいいような所だった
何人かの子供はボール遊びをしていたり、本棚の本を片付けている子もいるし、花壇の水やりをしている子もいた
裸足の子も多く、着ている物はちゃんとしているが子供らしいラフな格好だ
みんなニコニコしていて楽しそうで、それを見守るボランティアの大人達も優しく見守っている
とても心地よい、ふと建物の向こうに目をやるとすぐそばを川が流れていた
近づくとハスの花が咲いていた
人の手が入っていないせいか懐かしい感じがする
柿田川の川辺のようなゆったりした気持ちになった
蓮の花が群生している美しい景色だ
なんとも言えない満ち足りたと言えば1番近いような気持ちだ
ふと目をあげるとそこには白い水牛がゆったりとくつろいでいた
多分この時の気持ちは伝わりにくいかも知らない
例えるなら映画の回想シーンがスローモーションで流れ、主人公が涙しながら懐かしむような気持ちだ
私は映画のグラディエイターが好きなんだが、その中で主人公が亡き妻と子を思うシーンと通じるような気持ちだ
お釈迦さまが瞑想していたであろう時代に入り込んでしまったようだ
数日遺跡を巡りいろんな気持ちになったからなのかも知らない
ものすごく感動してしまった
カンボジアの遺跡にも心をつかまれてしまったが、カンボジアの国の人々にもとても興味を持った
18年前にアンコールワットに初めて行った時、早朝静かな中 外濠を小舟に乗って川を綺麗にしている人がいた
仕事なのかも知らないがその風景はとても気持ち良かった
本で読んだんだが、アンコールワットがなぜあるのか忘れられた時の話しで
ヒンドゥーの神と人間の女性との間に生まれた王子が父のいる天界を訪れた
王子は素晴らしさに感銘を受けた、父である神は王子をカンボジアの王に命じた
神は天界で見た物全てを建設するように言った
しかし王子は謙虚にも家畜小屋の模写だけを申しでたという
天上の建築家はたちまちカンボジアの遺跡を造ったという話し
そんな話しが20世紀初頭まで信じられていたそうだ
謙虚にもほどがあるww
慎ましさという美徳だと思う
又、16世紀に中国からカンボジアを訪れた中国の周達観はカンボジアの人々はとても優しいとあるそうだ
そして現代、私のカンボジアの人に感じるのはやはり優しさやユーモアだ
カンボジアにももちろん犯罪を犯す人はいる実際ポルポトの内戦や遺跡の盗掘や破壊いろいろあった
私の見た人達は何かに対する憎しみが感じられない
発展途上にあり希望があるからかもしれない
他のアジアの国でたびたび出会ったような憎しみのある眼差しに出会った事がない
孤児院や子供の周りにいる大人達の目はとても優しい
疑い深い私には最初信じられなかった
でも本当に優しい
人間の中の思いやりや理性や知性で世の中が良い方に進むかも、そんな事まで思ってしまう
戦争や内戦も経験したこの国はどうなっていくのか、これからも目が離せない