瑠璃神社

自然社本宮出身の福井きよてる です。
どうぞよろしくお願いいたします。

高野山

2022-04-07 09:21:44 | 日記
みなさん こんにちは

いつもありがとうございます。





3月21日
高野山奥の院の
福井家の
お墓に
行こうとすると



白い人影が・・・・・



近づいてみると

なんと!


妹でした。



東京に住む彼女は

歩き遍路を
結願して
高野山に
お礼参りに来たとのこと






わたしは
もう
何年も前に
結願しているものと
思っていましたが

まさか
東京にいる
妹と
高野山で
会うとは思ってもいなかったので


ご先祖様が
はたらいてくださって
出会わせてもらったと
思わずにはいられませんでした。



ありがたいことです。




皆様のご健康とご多幸を
お祈りいたします。
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人間の本体は霊魂(たましい)である  

2022-04-07 09:09:54 | 日記
みなさん こんにちは




いつもありがとうございます。






自然社から出ている

すばらしい

「自然」の
表紙裏には
毎号

次の文章が
掲載されています。
















人間の本体は霊魂
(たましい)である。





自分のおしりを
出して

私も楽しいし
みんなも
たのしんで
もらおうと




私の
霊魂(たましい)が

神様から
お借りしている
体を使って
やってみようと
思ったので
やっています。



日本の法律では
ブログでは
おちんちんを
出したら
いけないので
そこは
遠慮しています。

もし、法律で許されるなら
やっているかも・・・・


です。








◇人間の本体は肉体ではなく霊魂であります。

霊魂が肉体に依(よ)って(肉体を使って)
現象界(この世)の生活をしている、

それが  人間であります。





この世では
おしりも
出すことができます。

大きな大きなうんこも
することができますし


しっこ
もします。

それが人間です。





◇霊魂は肉体による生活を通して、

苦しみや喜びを味わい、


さまざまな体験をすることができます。




私はおしりを出して

喜ぶこともできます。
笑うこともできます。
楽しむこともできます。


おしりを出すこと
今は平気です。




私がおしりを出すと
小学生の
低学年の
男の子たちにも
喜んで
笑ってもらえました。




そんな体験も
することが
できます。


自然社本宮
で参拝の
方に
お願いして
私のおしりを
撮って
いただく
ことも
できます。



自然社本宮の神主さん
東さんが

私の
おしりフリフリ動画を
ビデオカメラで
撮っていただくこともできます。





自然社本宮に参拝された方に
おしりの写真を撮っていただくこともできます。(↓↓)




いろいろ
な体験を
できます。







そして、

その体験によって、

霊魂 自(みずか)らの存在と
そのありようを
知ることができます。




そんな
楽しい
私を

より
知ることが
できます。

これから先
もっと
私自身の
ありようを
知っていく
ことになるでしょう。


神武天皇のお墓の前で
私のお尻画像を
見ていただくこともできます。
(参拝された女性が喜んで
見てくださいました)


なにしろ
天岩戸にアマテラスオオミカミが
お隠れになったとき
アメノウズメノミコトが
裸踊りをしたからこそ

アマテラスオオミカミが
復活されて
また世の中が
明るくなったんですから・・・・

その孫さんの
ニニギノミコトが
高千穂の峰に
降り立ち

その曾孫さんと呼ばれている方々が
九州から船でやってこられ
一番上のお兄さんは現在の和歌山市内で
亡くなります。



そのとき
お兄さんは弟に
向かって
「わしたちは、太陽の神様の子孫なのに
お日様に向かって戦ったから
良くなかった、
イワレビコ
お前は
お日様を背にして
悪者を退治していきなさい!」と言って
亡くなります。(お兄さんは和歌山市の竈山神社にお祀りされています)





そして、イワレビコは
橿原で
即位されます。

それから126代現在の天皇陛下まで
続いているんですから・・・・



アメノウズメノミコトの裸踊りが
なかったら
現在の日本の国は
無いといっても
過言ではありません。











すなわち、

自分は

何を喜び、

何を嫌がり、

何を恐れるかなど、



自分の心の

ありようを知り、

その傾向に

気付いていくことができます。








私は
おしりを出すことを喜び


自然社の西さん
(神主さん)が

「おしりの画像は消したほうがいい」と


おっしゃったことで


(そうか)と思った私は



いったん私の
おしりの画像を
消したことが
ありますが



やっぱり
私のおしりは


私自身が
楽しいし

みんなも
たのしい
おしりは出したほうが
いいと思い
私のおしりの
動画も
画像も復活
しています。








日本の
国技の
すもうが
はだかに
近い
姿で
どうどうと
やっている
そんな
国柄
ですから・・・







◇ですから、

生活の中で起こってくる一切の事柄は、

自分のありようを知るための機会であると知って、

それに全力を尽くしていくことが、

人間生活の基本的態度で
なくては
なりません。


おしりを出して
楽しむことにも
全力を尽くしていくことが
人間生活(私)の基本的態度でなくてはなりません。(あほやな~おれ!)






このような生き方をしてこそ、

霊魂は自(みずか)らのありようを
知ることになり、


そこから人間とは何かという
人間自覚のみちが

開(ひら)けてくるのです。







◇霊魂が人間自覚への精進に

ひたむきになり、

人間とは何かを

知っていくことこそが、


人間生活の真の意義であります。




















「自然」
人間の本体は霊魂である



の文章は

ここまでです。










皆様のご健康とご多幸を
お祈りいたします。





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先の自分にとって 「自然」879号より

2022-04-07 09:07:32 | 日記
みなさん こんにちは
 
 
 
 
いつもありがとうございます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「自然」879号より
今回は
橋本のり子さんの
文章を
ほとんどそのままで
お伝えします。
 
 
どうぞよろしくお願いいたします。
 
 
 
立春から
来年の節分
のあいだは、
どのような
一年であるかについて
 
橋本のり子さんを
通して
神様より
次のように教えていただき
ました。
 
 
 
 
 
厳しく辛い挫折したくなることに
出会うこの多い年であるが、
 
 

「逃げない 

 

あきらめない 

 

努力すること

 

 

求められた年」

   

あり、

 
 
 
これが、

先の将来の

自分に

 

金(きん)と生(な)す年

 

であることに

するように

 

 

 

 
教えられました。
 
 
 
金と生(な)る年でなく、
金と生(な)すとは
どういうことかと
言いますと、
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この一年で
金と生(な)るものを
得られる
のではなく、
 
自分の今年
の努力によって
先の将来の自分に
金と生(な)るものを
得られる年に
 
 
今年一年
かかって
していく
ようにとの
ことです。
 
 
「先の将来の自分」
と聞くと、
 
自分の将来と言われてもと
消極的な気持ちになられる方も
おられるかもしれませんが、
人間の本体は霊魂(たましい)であり、
霊魂の浄化のために
現在の境遇を私たちは生き、
 
亡くなった後も
精進を重ねていくのですから、
 
先の将来とは永遠に続いていくのです。
 
 
 
 
 
 

また、先祖と子孫は一つの

命の流れを

生きるという

 

 

「祖孫一心」

 

という教えからするならば、

自分の生き方は

先祖の霊魂(たましい)の浄化と

子孫の幸せにつながっていくのですから、

 

 

「先の将来に金と生す」

 

という言葉に含まれた

深い意味を味わって、

 

この一年

何事にも勇気をもって

明るく乗り切っていくことを願います。

      













   皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。


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