6月7日大阪フェスティバルホール
ユダヤ人であるが為の苦しみと誇りを持ち、その垣根を乗り越えて「反ユダヤ地区」に堂々と踏み入れ、今のこのウィルス感染におびえた全世界を、今こそ音楽で救おう、大切なことは何なのかを、バレンボイムはピアノに託して奏で続けている…そんな気がする。
会場の誰もが 取り憑かれたように、奏でられる響きに聴き入り、その集中で、水を打ったようなフェスティバルホールには、言葉になど出来ない慈しみ深い音が満ち溢れていた。
過日息子から「自分はもうチケット買ってるけど、行かないの?」と、このコンサートの話。
(ふつう「一緒に行かない?」でしょ〜笑)
えっ? この時期に本当にバレンボイムが来てるの?と驚いた。
来日公演を知らなかったことや、知ってなおコロナ禍だし高額だし、どうしよう…と躊躇した私に比べ、教育実習中でクタクタにも関わらず、こんなチャンスに「次」はない、中止でない限り僕は絶対行くから、と不動の決断をしていた息子に背中を押された。
…本当に、行って良かった。沁みじみ。
私には過去最高のコンサート
そして、実に30数年ぶり。Wienでの彼の生演奏拝聴以来! その当時、近隣国ではイランイラク戦争、ベルリンの壁崩壊、ユーゴ内戦、 Wienには近隣国からの移住者が多かった。知り合いのいない渡墺直後、私は孤独や不安を抱えながらも、次第に音楽会には足繁く通った。超一流アーティストを聴ける500円の立見席はまさしく特等席だった。
学生時代歴史で学んだ ユダヤ、宗教戦争、中東戦争をWienで間近に初めて感じ、宗教や人種差別、迫害、をドイツ語学校に来る色々な国のクラスメイトからも更に感じ、ディスカッションし、考え、そして、そんな中での人の優しさや思いやり、愛情をWienで頂いた。親戚は殺され、命からがらユーゴ内戦から逃げてきたボズニアヘルツェゴビナの家族は悲しみや貧困のどん底なのに、1人渡欧の私を家族同様に受け入れ気にかけて貰ったことが今なお脳裏に焼きついている。
今回のバレンボイムの演奏は、昔の私の記憶や、人間、神、自然、慈愛を再認識させてくれて感慨深い一夜を頂けた。
あまりに深い感動で、うまく当てはまる言葉が見当たらない、けれど、その余韻、余波が今もまだなお 脳裏や 肩、腕、皮膚感覚に残っている。
そう…祈り、慈しみ、哀愁、命、語りかけ、呟き、感謝… ベートーヴェンが全ての音に全身全霊を込めて書き上げた最後の3大作品を、ベートーヴェンに寄り添い、心から愛し、全ての生命に感謝し、溶け込んでいたバレンボイム自身の 慈しみの響き だった。
…こんなベートーヴェンは、本当に、今までに聴いたことが無い。尖った音など一音もなく、透き通ったり、あたたかさに包み込まれたり、きらきらさざ波のように輝いたり、…あまりにも美しかった。
ベートーヴェンとバレンボイムが2人で納得し、互いに、互いの人生を尊敬し、心触れ合ってピアノから溢れ出ているようだった。
ふと、空いたボックス席を見た時、そこにベートーヴェンが座っていて、自分やバレンボイムのこれまでの人生感や想いに感慨深く心沁みながら、肩肘ついて78歳のバレンボイムが奏でるピアノを聴き惚れているような錯覚に陥った。
その空気の中に、幸せにも私達観客は包まれ、また、フェスティバルホールの壁や天井に住んでいる妖精達が喜び、幸せに満ちているように感じた。
本当に、素晴らしかった😌
Wienに暮らしていた時代のバレンボイムの演奏は、モーツァルトも好きだけれど、何といってもベートーヴェンが大好きだった。深くも鋭い解釈と確実な技術でエネルギーを感じる演奏、また室内楽では熱烈な恋人から前妻であった故ジャクリーヌ・デュプレとの、愛情溢れるデュオが羨ましく素晴らしく大好きだった。
ジャクリーヌと彼の愛の軌跡、病、愛憎、そして、やがて迎えた破局決断の苦しみ、その後の再婚は、バレンボイムを強くも 深くも優しくもしたのだと感じる
ユダヤ人であるが為の苦しみと誇りを持ち、その垣根を乗り越えて「反ユダヤ地区」に堂々と踏み入れ、今のこのウィルス感染におびえた全世界を、今こそ音楽で救おう、大切なことは何なのかを、バレンボイムはピアノに託して奏で続けている…そんな気がする。
心から、 ありがとう✨
バレンボイム そして、ベートーヴェン