トランペッター時代といっても、小学校の金管バンドの頃の事ですが・・・。
小学5、6年の2年間はトランペットを吹いていました。厳密には、トランペットの前はユーフォニアムを少し、更に小学4年の頃はメロフォンを少しだけ吹いていました。今になって思えば、この頃の経験が今の僕のマルチブラス指向につながっているのですね。今だから言えますが、小学校時代はトロンボーンは大っキライな楽器でした。トロンボーンのなんともとぼけた「ぷぉ~ん」というグリッサンドの音が、どうしても好きになれなかったんですよねぇ。中学の吹奏楽部に入ってトランペットを希望したのにも関わらず、顧問の先生の「君は唇が厚いから、トロンボーンにいきなさい!」という一言で、泣く泣くトロンボーンに転向せざるを得なかった時は、約1週間ショックで立ち直れませんでした。
トランペットを始めたきっかけは、上の写真で一緒に写っている当時のクラス担任であり音楽の先生でもあった吾郷先生(故人)の強い勧めで、もし吾郷先生との出会いがなければ、今こうして音楽の仕事をやっていたかどうかはわかりません。トランペットを始めて1週間で思い浮かべた最初の夢は「将来トランペッターになる事」。「8時だよ、全員集合!」を観ては、バックのビッグバンド(岡本章生とゲイスターズ)の演奏ばっかりに耳が行ってましたし、コントのバックの音楽や場面展開の音楽を耳コピーして遊んでいました(加藤茶の「ちょっとだけよぉ~」とか)。当時は真剣に「ドリフのバックバンドで吹きたい!」とさえ思っていました。
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当時の小学校の金管バンドの活動は、運動会や町のお祭りなどでの演奏が主。
(ん~、なんとも「昭和」を感じさせる色合いですなぁ~)
それでも、放課後はもちろん、本番前は日曜日や夏休みも練習があったり、音大生を呼んで講習会があったりと結構活動は活発でした。僕の代がこの金管バンド結成第一期生だったのですが、その10数年後この金管バンドは大田小学校ファンファーレバンド部という学校を代表する部となり、今ではマーチングバンド・バトントワーリング全国大会で金賞を獲得するような超有名バンドになったのでした(ちなみに今年も金賞受賞)。ホームページの写真を見ても、さすが全国レベルのバンド、めちゃめちゃ本格的です(しかし女の子ばっかやなぁ~、女子部なのか?)。僕の頃なんて、鼓笛隊に毛が生えたようなもんでしたから・・・。OBとしては嬉しい限りであります。
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町のお祭りのパレードにて。
僕の前(写真左)のN君は超天才トランペッターでした。小学生ですでに有名な「アーバン金管教本」の超絶技巧エチュードを楽々と吹きこなしていました。ライバル視する以前に「絶対N君にはかなわない」と子供心ながら感じていましたし、常に目標としていました。N君の後ろで吹いているあたりなんか、それを物語っていますね。僕が中学でトロンボーンに転向したのも、彼の存在が大きかったのかもしれません。N君も小学時代に将来の夢はトランペッターになる事と語っていたので、きっとN君なら日本を代表するトランペッターになるだろうなと思っていたのですが、高校に入ってからきっぱりトランペットを辞めて、全く別の進路を選んだようです。今でもN君の演奏は強く心に焼き付いていて、ある意味僕の一番最初の師匠とも言えるかもしれません。その後の僕の音楽表現にとても強い影響を与えた人。
こうして振り返ってみると、小学時代の音楽体験が後々の人生に大きく影響を与えているものですよねぇ。