かれこれ10年位前「進化する縄文学」というビデオを
何故か衝動買いし、それによると
縄文時代から集会所があり人々が「宴」が行っていたそうなのです。
先日は実家、流山にある赤城神社のお祭りに行ってきました。
物心ついた頃からこのお祭りは目にしており、
大人になってからは全く関心が薄れていたのですが、
よくよく考えると神社から境内までの階段を神輿が駆け上がる図というのは
あまりないかも。と思い、もう一度見たくなってしまったのです。
普通、神輿のてっぺんは漆などで黒くコーティングされている事が多いのですが、
ここのは白無垢の神輿です。
この神輿が町内を練り歩き
最後に神社の境内に向かって急な階段を駆け上る!
登り終えた後は本堂前に置かれます。もう感動です!
そして祭り囃子を聞くと、日本の音楽(いわゆる祭囃子です)のビートは非常に重たく、
自分のネイティブな感覚がそれを心地よく思っている事に気づきました。
五穀豊穣を願い、それにリズムと音を乗せて表現したいという
感覚はどこの国でも一緒なのですね。
何故か衝動買いし、それによると
縄文時代から集会所があり人々が「宴」が行っていたそうなのです。
先日は実家、流山にある赤城神社のお祭りに行ってきました。
物心ついた頃からこのお祭りは目にしており、
大人になってからは全く関心が薄れていたのですが、
よくよく考えると神社から境内までの階段を神輿が駆け上がる図というのは
あまりないかも。と思い、もう一度見たくなってしまったのです。
普通、神輿のてっぺんは漆などで黒くコーティングされている事が多いのですが、
ここのは白無垢の神輿です。
この神輿が町内を練り歩き
最後に神社の境内に向かって急な階段を駆け上る!
登り終えた後は本堂前に置かれます。もう感動です!
そして祭り囃子を聞くと、日本の音楽(いわゆる祭囃子です)のビートは非常に重たく、
自分のネイティブな感覚がそれを心地よく思っている事に気づきました。
五穀豊穣を願い、それにリズムと音を乗せて表現したいという
感覚はどこの国でも一緒なのですね。