子宮頸がん 病院治療なし 元看護師 元気になれるブログ

ガンが分かって天然の春ウコン、乳酸菌豆乳ヨーグルト、入浴の温熱療法、ビタミン補給に食べる緑茶を飲んで以来2年以上元気。

春ウコンの次は東洋医学 ー ガン退縮の記録 5話

2021-02-03 05:04:05 | 1ヶ月半で小さくなったガン

次の診察までに、指圧の予約が取れた。

朝、7時20分には家を出た。子供達を両親にお願いした。
母は私に、「どこまで行くの?こんな早くに。」、「なんの病気なの?」と、聞いてくるけど、
とても癌とは言えず、適当にはぐらかすしかなかった。

やっと到着する。
笑顔で出迎えて下さった。
私の病名や体の状態を説明しながら、施術をして頂いた。

初回、
まず軽くマッサージ、非常に体が硬いらしい。
取り敢えず肩はガチガチっぽい。ガチガチの部分は途中から少しずつ自分でも分かって来た。
背中や腰も硬いかも。
がん患者はとにかく、体が硬いらしい。。。
その後、お灸をして頂いた。
背中から腰は自分ではお灸を当てられない。体がとってもポカポカしてきた。

施術中は、今私がコレからがん治療をどうしようか検討中である事をお話しさせてもらったりした。
先生からも色々と教えて頂いた。
HSP(ヒートショックプロテイン)の為には、入浴するなら42度で10分入るといいらしい。
まずは、今晩試してみようと思った。

施術が終わると、体はポカポカ、体がとても軽く感じた。
今までの気怠い感じも消え、なんだろうガンで死ぬ自分ではない気持ちにまでなった。
「ガンが治る感じがする位、体が温まりました。気怠さが消えで体が元気な感じがします。
ありがとうございました。」

先生に相談したところ、最低週1回通うと良いとの事で、
週1回通う事にした。
その時にはすっかり出血も止まっていた。

心身共に元気を取り戻し、自分の体に真剣に向き合ってみようと思った。


ダラダラ血が出るので春ウコンを飲み始めた 4話ー子宮頸癌

2021-01-29 13:50:00 | 1ヶ月半で小さくなったガン
家に帰ると直ぐに、春ウコンを探した。
引っ越すまでは結構、飲んでいたのにもう春ウコンに手をつけなくなって10ヶ月が経つ。
気持ちの焦りもあって、春ウコンをティースプーンにこんもり盛って飲んだ。
次の日の朝も直ぐに春ウコンを飲んだ。
翌朝、検査後の痛みがあり、下腹部の奥の方で子宮頸部であろう部位がジーン、ジーンと今まで感じたことのない痛みに違和感を感じた。
そして、また出血。多くはないけどトイレに行く度に血、血、血が目に入る。
気持ちが弱ってしまった。
 
不安ながら、春ウコンのサイト「ガンは癌にあらず」のサイトをよく読んでみた。
体重あたりの摂取量を摂ろうと思い調べてみた。
それから、2時間おきに春ウコンを飲む事にし、2時間おきにスマホのアラームをセットした。
読み直すと、ガンが治った症例が幾つもあって、前向きになってきた。
2日後、出血が少量になり、3日経つと検査による痛みは消え、血液も薄くなり、4日経つと出血は止まってホッとした。
その後
最後の診察日まで出血は全く見られなかった。翌月は生理が来なくて逆にそれが気になった。
 
粉末の春ウコンを飲む為に、軽量スプーンを購入してみた。微量の調整がしづらく、電子の計量スプーンを購入した。
 
その間、ネットでガンが治った人のブログを探したり、飯山一郎さんのブログを読み返したりした。
思い出して食べる緑茶も購入し、春ウコンの他、ビタミンC、B群のサプリメントも飲み始めた。
 
自分で直すぞ!という気持ちが湧いてきて、前向きな気持ちになれた。
 
 
 
 
 

いよいよ子宮頚がんの診察日 3話

2021-01-18 09:52:00 | 1ヶ月半で小さくなったガン
子宮頚がんの診察の日までは6日あった。
それまでに、少しずつ出血が止まって来ていた。
安心感と不安が入り混じりながらその日を待った。

診察当日、私の診察の番が来るまで長ーい事待った。
娘が愛読している、さくらももこさんの本を一冊バッグに入れていたので、その本を読みながら待った。
その間採血に行ったりもしたが、何時間待ったことか。。。10時半の予約がもう昼を過ぎていた。
待ちくたびれ、やっと順番が来た。

いよいよ診察室のドアをノックして入ると、穏やかな感じの先生が座っていた。
前回の診察までの記録、紹介状等があった為か、すぐに超音波検査と細胞診の検査をした。
間違いなく腫瘍があり、大きさは3センチ以上あるとの事だった。

細胞診の検査は、診療明細を見るとコルポスコピーと記載があった。
それで、また出血。ため息しか出ないわ。。。
次回は、もっと詳しく検査をすると言う事で診察終了。
しかしその後は、まだMRIの検査が残っていた。

その時点で、私の頭の中はこれからどうしようか。。。と、あれこれ考え出していた。頭の中がグルグル。
ガンについて知識はあったはずだけど、思ったより動揺してしまった。
ここは、ガン治療前提でドンドン事が進んでいく。ブレーキを掛けたいのにどうしようか悩んだ。
それだけで、グッタリ。医師からの言葉は、重い口調で手術や抗がん剤だの飛んでくる。

重くなった気持ちの中、東洋医学でまずは指圧、お灸の先生の予約を取ってみようと考えた。
ネットで検索して電話予約しようとしたが、とっても悩んだ。それと言うのも、家からはとても遠い。
通えるか不安だった。
電話出来ずに、数分間はスマホと睨めっこ。なんだろう、急に子供たちの顔が浮かんできた。その後、分からない不安がやってきた。
そして、思い切って電話してみた。
とても親切な先生で、翌週早速予約が取れた。

ホッと一息。そのまま会計をした。
ひさしぶりに日本で診察をしたので支払いに戸惑った。
MRIは結構値段が高くて驚いた。しかも、基本現金払いだという。
次からは、事前に金額を聞くことにした。
そう言えばがん保険のコマーシャルをよくテレビでやっている。手術や入院費の前に、検査費用も盛り込まれていく。
「大金叩いて、命落とす。」コレだけは避けたいと思った。


生理が長引きクリニックへ初受診 2話

2021-01-17 01:53:00 | 1ヶ月半で小さくなったガン
婦人科にいよいよ行くタイミングが来たと思ったのは、生理が通常1週間で終わるのに珍しく9日目に入ったからだ。
そろそろ生理が終わるかなという頃なのに、出血量は少量でチョロチョロ持続的に出血していた。
色も薄くはならず、鮮血だった。
腹痛や腰痛といった痛みはなかったけれど。

その時の体調は、橋本病という甲状腺のせいかもしれないが、気だるくて午前中は寝ている事が増えていた。
引っ越し前から、甲状腺かなと思う症状で午前中は寝ている事がよくあり午前中の昼寝は日常的なもの。
もう一つ、同じく甲状腺のせいなのか、部屋の寒さから来るのか寒気もあった。
2月には甲状腺は鏡で見ても分かるほどに腫れていて、子供たちも気がつくほどプクっとしていた。
そして、耳鼻科にかかり採血したり治療はないものの経過観察中だった。

その様な状態だった為、クリニックの予約もしんどく、2日も先延ばした。
やっと行ったクリニックでは、まず問診。
私は医師に、まず生理が1週間以上止まらない旨を伝えると、医師はパソコンしかみておらず、息を吐く間も無く立て続けに質問してくるのでちょっと驚いた。
「いつから生理が始まりましたか」、「生理周期は」、「不正出血はいつ」、「最近の性行為はいつ」、パソコンに打ち込む勢いのスピードに合わせて私が答えなければならず、少しイラッとした私は、「すみませんが、何日と何ヶ月前、不正出血何日続いてという事は、生理周期は乱れているのでもうわかりません。」と、答えた。というか、そんなスピードで答えられるわけない。
診察室にパソコン導入されるようになってからは、このタイプの医師は珍しくない。
そんな始まりで、嫌な予感がして間もなく、内診でいきなり腫瘍部に触れ、腫瘍部からもっと出血する事になってしまった。
倦怠感はお陰で吹っ飛び、代わりに不安が襲ってきた。

第一話の続き、

翌日、総合病院へ行った。
細胞診の検査と採血をした。親切な先生で、細胞診は先生ご自身で検査室まで持参して下さった。
その姿が見えた時、本当に有り難いと感謝しながら、きっとアレか。。。?
 多分アレだ。。。ガン。
胸が押される感じに耐えていた。目頭がジーン。。。先生の背中を見つめながら、
少ない可能性に祈った。
出血させられてしまった部位は、消毒に止血剤の処置のお陰様で、出血が止まってきた。

2日後、
少しずつ止まってきた出血だが、もう一度出血部位の消毒の為、総合病院へ行く日だった。

その日は、診察前にクリニックの先生からお電話があり、検査結果を受け取りに行った。
結果、子宮頸部の腫瘤、腺癌と記載されていた。
子宮頸がん腺癌と書かれていた。血の気が引いた感覚が初めてだった。
しかし、飯山一郎さんのブログを熟読していたお陰様で何とか自分を保つ事ができた。
大丈夫だろうきっと。。。
クリニックの先生から、「これから大変だけど、体力つけて頑張って!」と、励ましのお言葉を頂戴した。
死が近づいているがどこまで頑張れるかという所なんだろう。当人の私より非常に表情は硬かった。

そして、紹介状と検査結果を持って総合病院に向かった。

今日はまた違う先生だったがとても親切な方だった。
消毒もしてして頂いて、止血のガーゼは必要ない程出血は止まってきていた。
次は、いよいよ婦人科のガン専門医との受診予約を取ることになった。

診察までの待ち時間は、予約してもとーても長い。
1日取られる上に、心もゴッソリ削られて病院から出てくる。
長ーい待ち時間は、姉に電話をしてガンである事を報告したり、苦しい胸の内を聞いてもらっていた。
とにかく気持ちがもたない。病院の帰りは、ほぼ毎回アロママッサージのフットケアに直行した。
そうでもしないと、両親や子供たちとまともに向き合えない。
勘の鋭い母にバレる。






「パシャッ!」と出血。それは子宮頚がんが始まっていた ー1

2021-01-15 17:33:31 | 1ヶ月半で小さくなったガン

日本の実家で生活が始まったその年の冬。
実家は古い一軒家で、体の芯が冷えとても寒い部屋だった。
秋でも外の方が暖かく感じていた。
寒さを我慢し、実家は大家族のため、お風呂も結構遠慮してシャワーで済ます事が殆どになった。
それが原因と言える。しかも、橋本病で寒気が倍増していた。

そして、年明け辺りからお尻を畳につけて座る時、「パシャっ!」と、出血する事が月に1回か2回あった。
しかし、その一瞬だけで、だらだら不正出血が続く事がなかったため。
排卵出血?、母、祖母も43歳位で閉経しているので、結構早いけど私も閉経に向かい始めたのかなと思っていた。
そして、春になり5月いよいよ生理が長引き、出血が止まらないため婦人科クリニックを受診することにした。

クリニックでまず問診の後内診。触ると柔らかい腫瘍があるとの事だった。
「柔らかいから悪性のガンではないかもしれないけど、念の為検査しておきましょうね。」
と、言われて直ぐ検査した。
腫瘍?やっぱり何かできてるんだ。
まだ少し余裕のある気持ちではあったが、
内診する時、医師は器具を使わずいきなり指で内診したもんだから腫瘍に思いっきり触れ、余計に出血が止まらなくなった。
それで気持ちに余裕がなくなってきた。
夜になってもだらだら出血し、止血のガーゼも怖くて外せなかった。お陰様で不安が募り、なかなか寝付けなかった。


クリニックの先生のアドバイス通り、翌日そのまま総合病院へ行った。