1. 初めてスキーを滑った日 ~覚えていないが、滑ったらしい~
まず初めてスキーを履いたのは、小学校低学年の時だったらしい(全く記憶にない)。それが何年の何月何日だったのか・・・という事も、場所がどこだったのか・・・という事も記憶にない。
滑るのが怖くて泣いて、結局平らな所をひたすら滑って(歩いて?)いたらしい。
親の記憶を聞いているだけ(本当に全く覚えていないので)ですが、ひどい有様だったらしく、それに懲りて親ももう二度と僕をスキーに連れて行こうとはしなかったそう。
2. (多分)人生2度目のスキー ~急に大人になってスキーを滑る羽目に~
そしてそこから十数年の時が経ち、僕は大学生になっていた。(1992年頃ではないかと思うがちょっとはっきりしない)
地元の友人が車を買った(確かAE92レビンMT)ので知り合いの女の子たちを誘ってスキーに行こう!!となった。
スキーなんて全然やりたくないけれど、元気いっぱいの若者としては「知り合いの女の子たち」という重要なキーワードが入っているから即答でOK。
でも道具なんて無いからね。まずウエア(ツナギだった)とブーツ(当時はリアエントリー)、ストックを親戚や友人から頂いて、グローブと板は何かすごく安いのを買いました。
(板はまだストレートのやつね→確かBLIZZARDの板を高校時代に通っていたスポーツショップで買った。)
そもそもスキーに全く興味が無かったため、レンタルという仕組みがあることも知らず、板を持っていくことが前提だった。しかもワックスなんてスポーツショップで塗ってもらったそのままで持って行ったし。
で、行った先は忘れもしない「白馬五竜スキー場」。全く滑れなかったのに頂上まで連れていかれ、アルプス平を下ろされた時にはもう死ぬかと思いました。
「1日券」を買ったのに、1日かけて1本降りてくるという事でコスパ最悪の思い出。女子と仲良くなる余裕も無く終わりました。
※確か写真があったのだが、押し入れの奥底ではないかと・・・発見できず。
3. 3度目のスキー ~友人に誘われ断れなかった日~
確か1994年だと思ったけど、大学学の友人達と一緒に玉原スキー場へ行きました。
何で行くことになったのかは忘れてしまいましたが、友人の中の一人がお姉さんの持っていた日産テラノを借りてきて、それで行ったのを覚えています。4WD車は格好いいなぁ~って初めて思った時でした。
ここは緩斜面が売りと言うだけあって、ひたすら緩斜面を滑り、少しだけ滑れるようになりました。
初めて「滑る」という事を楽しく感じられたように思います。
※確か写真があったのだが、押し入れの奥底ではないかと・・・発見できず。
4. 4度目以降 ~スキーがやっと滑れるようになった気がする期~
更に数年経ち、社会人になった僕は新卒で入社した会社の営業マンとして茨城県の営業所へ配属となり、つくばの研究所の担当となりました。
その研究所の中で当時「通商産業省 工業技術院」、今は「経済産業省 産業技術総合研究所」という所のある先生がなぜか僕を非常に可愛がってくれていて、その先生の研究室に入りびたりだった僕を「民間の研究員や学生と一緒にスキーに行くが一緒に来ない?」と誘ってくれて、行くことにしました。毎年1回先生の友人の貸別荘を借りたりして泊りでスキーに行くという事で、(最初は仕事に有利かもと思って参加したのですが)行くことにしました。
泊りでのスキーは楽しく(夜の飲み会も楽しく)、また民間の研究員さん達が熱心にスキーを教えて下さりこの会に数年参加し、大分滑れるようになりました(あくまで初心者レベルですが)。
社会人になって3年程で茨城から名古屋に転勤になった後もこの会には自分で車を運転して参加していました。
先生が突然亡くなってしまったのでもう皆さんには会えなくなってしまいましたが・・・。
ちなみに2002年に菅平へその先生と研究員の皆さんと行った時の写真が出てきたので載せておきます。
左から僕、工業技術院の先生、学生さん、民間の研究者の方(菅平スキー場にて)
5. スキーに目覚めた日 ~自らスキーに行きたい!と思うようになったきっかけ~
1999年の春、名古屋の営業所の同僚と仲良しだった代理店の方と一緒に「鈴蘭高原スキー場」へ行ったのです。(鈴蘭高原スキー場は現在はもう営業していないみたいです)
凄く寒くて、アイスバーンのスキー場。ちょっと滑れるようになっていたので、調子に乗っていて、頂上まで行きました。そして北側の斜面の頂上まで行ってみると、斜面の角度が凄く怖くて怖気づいて帰ろうとしたとき・・・代理店の方が僕を斜面に向かって押す→滑る→尻もちつく→どんどんスピード出る→雪だるま状態で転倒→皆に笑われる・・・悔しかった事。
その日に誓いました。「上手くなってその代理店の方を見返してやろう!」と。
即、スキー道具を揃えます。当時カービングの板になってきたところではないでしょうか?
この時揃えたスキーの道具たち。
そこから事あるごとに先輩に頼み込んでスキーに連れて行ってもらいました。
名古屋からは岐阜は近く、最初はよく「めいほうスキー場」とかに連れて行ってもらってました。
また、木曽御嶽山も近く、その周辺のスキー場にも連れて行ってもらいました。
6. 自分でスキーに行こう ~自力で山に行くまでになったのさ~
先輩たちは4WD車に乗っていたので連れて行っていただけるときにお願いして同情させていただいていたのですが、都合が合わない日も多かったです。
滑れるようになってくると、自分の都合でスキーに行きたくなってきて、丁度自分の車のタイヤサイズと同じ車のチェーンを頂いたのをきっかけに、自分で日帰りスキーに行くようになりました。
主に木曽方面でたまに岐阜・・・
家族もつれて行ったりして・・・。
まだスタッドレスは持っていなかったけど、FFのワゴン車(ホンダ アコードワゴン)にチェーンを付けて色々と滑りに行っておりました。
この車でバリバリスキーに行き始めました。ノーマルタイヤにチェーンで。やぶはら高原にて。
7. 上村愛子ちゃんが好き ~ミーハーへの道(いやいや、元々ミーハー)~
2001年シーズンから現在は休巻してしまっている 実業之日本社から出ている雑誌「ブルーガイドSKI」を購入していました。
(2019年で休刊となったのですがそこまでは全部持っています♪)
その中の記事でモーグルの上村愛子ちゃんが書いている「AIKOのハッピー☆チャット」というコーナーがあって、楽しみに読んでいて、あっという間に愛子ファンになりました。
モーグルが(出来ないけど)好きになったのもこの雑誌の影響でした。
当時インターネットでメールではなく「チャット」というなんとなくリアルタイムに話が出来る方法が流行っていて(今のLINEのような感じかな)、それをイメージしたものかと。
そしてこれだけ上村愛子ちゃんを推してくると当然買う板はHARTになるわkです。
そりゃ、買っちゃうよ。雑誌も板も。この頃の上村愛子ちゃん、輝いてる。
今はネットで見れば色々な情報が見られますが、まだ僕自身はネット活用が始まっていなかったので、情報は主にこの雑誌から取っていました。
雑誌から得られる情報は雑誌発信で否応なしに目に入ってきますので、自分の興味が無かった情報でも見ることになり、色々と知ることの幅が広がります。雑誌というアナログ媒体はすごく良いと今も思っています。
復活しないかな・・・。
ワタシのスキー史2 「本格的にスキーに取り組み始め~バッジテストへのチャレンジ」へ続く