やっぱスキーが好きなのよ♪

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ワタシのスキー史4 「ステップアップ目指す期。レースに出たり、子供たちを巻き込んだり(子供らもバッジテスト)」

2021年02月20日 15時57分01秒 | ワタシのスキー史(自己満足)

ワタシのスキー史3 「高みを目指してチャレンジ1級」よりの続き

 

15. 次の課題を決めました→小回り力アップとコブチャレンジ

基礎スキーを始めて割と早い段階で目標を達成できてしまいましたが、まだまだスキーに関する課題は満載。

検定こそ上手く行ったものの、1級の名に恥じぬような滑りを出来るようにならなくちゃ。

まず1級なのに小回り下手、コブ滑れないの2大マイナスを何とかしなければなりません。

【当時の滑り】

 

2007.01.25 やぶはら第三ロッヂの大将に撮っていただいた写真。大回りですが、足が開いてX脚になっているし(当時は肩幅程度にスタンスを開くように教わった)、ちょっと外向が強いように思います。

まだまだこんな程度の滑りですので、上級者というには遠い。

とは言え、コブにも積極的に挑戦するようになりました。

2007.03.08 やぶはら第三ロッヂの大将に撮っていただいた写真。それまで怖くてあまり滑らなかったコブにも挑戦し始めた。検定の為に仕方なく練習する程度だったため、実際にどう滑って良いのかわからずガムシャラに滑る期。写真も緩斜面の浅いコブの割には散らかし滑りでめちゃくちゃだけど、自分なりにはかなり頑張っているのです。

この頃は上村愛子ちゃんのI LOVE MOGULというビデオを見ながらコブがこんな風に滑れるようになるといいなぁ~って思っていました。

また、丁度この時に初めてヘルメットを使い始めました。

 

16. 子供たちにも検定を受けさせることにしました。

自分の趣味に家族を巻き込んでいましたので、子供たちも一緒に行くことが多かったです。

そんな中、子供たちもスキーを楽しみになってもらえるように、スクールに良く入れていました。

スクールを受けていると、検定が受けれる程度なのかなどを先生が教えてくれます。

2007年3月21日、当時小学校3年生の息子がSAJ4級を受けることになりました。

4級は講習内検定です。

 ←検定前でちょっと緊張気味の面持ちでのガッツポーズ

←検定員は僕の師匠のY先生。ラッキー!

←検定中の様子

 ←無事合格しました

その後も子供たちはバッジテストを受けて行きます。

2021年1月現在 息子はSAJ2級、娘はSAJ3級です(もう受けないみたいですけど)

ちなみに子供達は怖いものなしでスイスイ滑ってました。まだ小さかったこの頃も、やぶはら高原の「壁コース」と言われる最大斜度、平均斜度共に34度のコースもスイスイ下ってました。

←途中でカメラ目線を送る余裕もあり。お父さんまだ来ないの?って言われちゃうくらいでした。

←斜度なんて関係ないんです。歌いながら降りて行ってしまいます。

 

17. 一度経験してみたかった「レース」に出てみた日。

当時のホームゲレンデやぶはら高原では毎年「やぶはらGS大会」というものが開催されていました。

一度経験してみたいと思い、出てみる事にしました。

道具から入る私としては、流石にワンピまでは買いませんでしたが、前述のヘルメット(これは無いと出場できない)と、そして板も買っておりました。

OGASAKA Triun-G 185cm 何とブックオフの系列B-SPORTSで新品15,700円でした。

 ←↑ この板は結構手ごわかった。ほとんど履かないまま売ってしまいました。

 

で、いよいよレース当日の2007年3月27日です。

この日は前日に雨が降って、カチカチのアイスバーンになっていました。

 ←第三ロッヂの前もカチカチ

 ←大会概要です

朝8:45から開会式です。開会式では色々な方からの挨拶・協議への諸注意がありました。

←開会式

9:20からはコースインスペクション。いつも滑っているコースなのに、旗門が立つと全く違うコースに見えました。

コースインスペクションは念入りに行いました。

スタート地点はこんな感じ。

←あと20番位の時に撮った写真

 

皆さん本気です。ナスタ―レースの公認大会という事でナスターレスポイントがもらえるということなので、本気の方々が多いわけです。僕はただただ「レースを経験してみたい」と思っていただけなので、ちょっと場違い感。

殆どの方々はレース用ワンピですが、僕は普通のウエアでしたし。

更にはパラリンピックにチェアスキーで出場の田中佳子選手なども参戦しており、かなりビビりました。スタートの係の方に「緊張してるねぇ~♪」って笑われてしまいましたが、そりゃー本気の方々に囲まれて緊張もしますよ。

 ←チェアスキーの方々

とは言えスタートしまして、何とか転ばず完走して参りました。

分かったことは、

1)雪面硬化剤の威力。以前にアルペン競技の佐々木明選手がイベントで「ワールドカップの斜面はスケートリンクより硬い氷だ」とおっしゃっていましたが、なんとなく意味が分かりました。

2)規制されたコースを滑るのは難しい。全くレース経験がない僕にとっては初めての経験ばかりで、どのようなラインを取ったらよいかが全く分からず、ターンが殆どズレターンになってしまい、かなりのタイムロスだったと思われる。

3)先行者が滑ったところが掘れていてガタガタだったため滑りにくい。先行の方々が滑った後はガタガタで、その溝に板がはまると上手く操作が出来ず、スピードも出ている中では中々おっかない状況となりました。

トータルしては非常に楽しかった。スタートリストに載った自分の名前を何度も見返してみたり、コースインスペクションも気持ちはレーサーで格好つけて(自分の中で)やりました。皆さん一生懸命で、色々と作戦を練っておられたのですが、僕はそう言うのはわからなかったので、雰囲気を楽しみ、ポールの場所だけ覚えておきました。滑るのも自分なりに必死に滑りましたので、凄く満足感がありました。何と言っても一生懸命やる事は凄く満足するって事がわかりました。

良い経験になりました。

 ←レースの結果。僕のゼッケンは288番。

結果は完走者の中ではビリから3番目。ちなみに僕は前の順位の方とは1.13秒の差。後ろの人とは27秒の差。後ろの人は転んだりしたのかと思います。つまり実質ビリなわけですが(笑)

 

おまけ写真

←2007.04.15 チャオ御岳スキー場へ家族で行った

 

ワタシのスキー史5「我が心の故郷、第三ロッヂ」へ続く ←準備中

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ワタシのスキー史3 「高みを目指してチャレンジ1級」

2021年02月07日 14時02分00秒 | ワタシのスキー史(自己満足)

ワタシのスキー史2 「本格的にスキーに取り組み始め~バッジテストへのチャレンジ」より続き

14. 更なる高みを目指す ~1級受験への道~

2級に受かった2003年春からずっとやぶはら高原と開田高原マイヤの両スキー場を中心に練習してきました。

スクールに入ったり、やぶはらではいつも決まった食堂に行くので(今は無き、「第三ロッヂ」詳細は後述)そこで知り合った先輩方(クラウンをお持ちの方もいて)に教わったりして一生懸命練習しました。

その頃の写真

 2004.03.01 スキージャム勝山にて

 2005.02.27 スキージャム勝山にて

2005.04.16 チャオ御岳スノーリゾートにて

 

前出のY先生にも散々教え頂き(Y先生はスクールが無い時にも一緒に滑ってくださって、内緒で教えて下さったりして)、技術向上を狙っていきました。

兎に角がむしゃらに滑ってました。Y先生が必ず仰っていた事は「楽しく滑らなければ続かない」という事。選手などではない我々にとってスキーはレジャーの一つであり、苦しいレジャーなど無いのだと仰っていました。レッスンの最後には「最後の一本ですので思い思いに楽しく滑りましょう!!」と言ってフリーランとなるのがいつもの終わり方でした。お陰様で今まで苦しい事は無く(上手くいかない事は多々ありましたが)楽しくスキーを続けられております。

そんなある日、Y先生のレッスンを受けていると(結構いつもプライベートレッスン的になる)先生から、「そろそろ1級受けてみたらどうかね?ダメ元でさ。」というお話を頂きました。そもそも1回目で受かろうという事を考えるのではなく、どんなものか試してみるのもいいんじゃないの?的な事も言われ、そういえば2級の時もそんな気持ちでやったから良かったんだと思い出し、受けてみることにしました。

それは2006年の1月の事でした。1級受験には事前講習が必要です。その日は一日レッスンでしたがその中で事前講習もしていただき、事前講習の証明書を頂きました。

その頃の苦手は相変わらず小回りと、1級での必須科目のコブ。

実はやぶはら高原のコブの検定バーン(通称2コブ)は厳しくて有名。深い凍ったコブが待っているのです。

 ←こぶの検定バーン(2こぶ)、結構深くないですか?

そんなの滑れない!!という僕にY先生は、「君は大回り、中回りが得意なのだから、コブは捨てて得意種目で得点稼いで、小回りを何とかすればきっといい線行くよ。」とアドバイスを下さいました。「コブなんか不格好でも何とか降りて来れば良いのだから。」との事。

それからはコブをとりあえず降りられるようにする(なんとなく滑っているかのようにズレながら)ために滅多に入らなかったコブも入り、小回りも体が遅れないように練習しまくりました。

師匠の教えは、何時も楽しく!なのだから、練習の終わりには必ず中~緩斜面を大回りカービングターンでぶっ飛ばす!!というのをやりまして、受かる気が全くしない1級受験へ備えたのです。

途中2月頭に熱を出し、スキーに2週連続で行けないという事もありながらも2006年3月2日、1級を受験するのでした。

 

15. 運しかなかった思い出の1日 ~1級受験とその結果~

2006年3月2日(木)。平日。会社を休んで平日設定の1級試験日に行きました。

天気は朝一番こそ曇っていたものの晴れ。快晴。前日夜に雪も降って、寒くてゲレンデコンディションは最高!

 ←最高のコンディション

午前中スクールが開く時間に申し込みに行って(既に2番目だった)午前中の事前講習も(既に1月に受講していたが受けることにした。

←やぶはら高原スキースクール。普通の家みたいな建物です

僕のゼッケンは2番でした。

 

その後一人で少し気持ちよく滑って、気持ちを高めて事前講習。

事前講習も気持ちの良い最高のコンディションで受ける事が出来ました。

 ←最高でしょ!!

事前講習での先生のコメントは

大回りは特に問題なし。

小回りは、体が後ろに残る(後傾)のでスピードが出て制御できなくなっています。もっと体を谷へ落とし込みましょう。

フリー滑降は何とかOK。ギルランデによる小回り時に腰が引ける(やっぱ小回り)。

中回りはOKだが、ちょっとターン弧が小さいかな。

不整地(コブ)はスピードは速くなくて良いのでとにかく同じリズムでゆっくり滑り降りてきて下さい。足を揃えて(両足の内側のくるぶしをくっつける意識で)降りてこられると良いのですが・・・。

お気楽、受からないだろうと思っている検定受験とは言え緊張していたのだと思います。お昼はあまりのどを通らず、いつもなら大食いの僕もこの日は山菜うどんだけ、あまり味も覚えてなかったです。

第三ロッヂの大将(ご主人のあだ名)に今日はなんだか暗いね・・・って言われるくらい緊張していました。

早々にお昼を食べて、リフト1本ぶっ飛ばして滑ってから、検定バーンで練習。朝に言われた事を思い出しながら滑りました。

 ←平日は空いていて最高です

とにかく大回りと中回りの目標点数を72点と決めて、あとは捨てて行く作戦です。

検定は13:30に国設3ゲレンデ(現在 こく3A)に集合となっていました。2級検定の方々と一緒です。

当日は1級受験者(赤ゼッケン):7名、2級受験者(青ゼッケン):5名 でした。

いよいよ緊張の検定がスタートします。

【1種目目:大回り】国設3ゲレンデ上半分、ゼッケン1番から順にスタート

得意な大回りからのスタートで嬉しかった。楽しそう感とスピードを出すことを心がけた。ラインがあまり縦にならず、ちゃんと板に働きかけている事を示せる幅を使った深めのターン(外足加重)で滑った。いい感じだった。

 

【2種目目:小回り】国設3ゲレンデ下半分、ゼッケン3番から順にスタート

苦手だから吹っ切れていたのかもしれない。体をフォールライン方向へ落とすことだけ、お尻が遅れないように頑張って滑った。ちょっと中回り気味だったかもしれないけど、自分としては今まで滑った中で一番良い出来だったと滑り終わって思った。

←小回りスタート合図待ちの皆様(緊張感が伝わりますか?)

←小回り前走の先生(レーサーらしいです)

 

【3種目目:フリー滑降】国設3ゲレンデ、ゼッケン5番から順にスタート

フリー滑降は現在の総合滑降。

大回り同様スピード感重視で、楽しそうに滑ることを意識した。大回りは外側加重の深回り意識。

大回り5ターン→ギルランデ小回り→大回り1ターン(方向転換)→ギルランデ小回り→中回り→ゴール

という順で滑った。2回目の小回りで腰が引けてちょっと焦ったが総じては何とかなった。

←スタートを待つ皆さん1

 ←スタートを待つ皆さん2

 ←総合滑降検定中の様子

←滑り終わって後続の人たちを見つめるメンバーと検定員(上の方)

 

【4種目目:中回り】国設2ゲレンデ、ゼッケン7番から順にスタート

これも得意種目なので、しっかり外足加重が出来ればOKっと思いつつ滑りました。目線の先送りだけ注意していました。

でも、ここには悪魔が。

滑り始めて前半は絶好調♪

(* ̄▽ ̄)フフフッ♪ こりゃ行ける!

残り3ターンの所で

Σ( ̄□ ̄)! んがっ!!

凸凹がつ!!

そのまま体が開いて後傾きに。

修正できずにゴール・・・。

ああ・・・得意種目を落とすという・・・。

かなりブルーに。その証拠に滑った後の写真撮ってないし(余裕なし)。

 

【5種目目:不整地小回り】2こぶゲレンデ、ゼッケン2番から順にスタート

2こぶはとにかく異常にコブが深いのです。ちなみに主任検定員も転んでました。

ただ、主任検定員が転んだことで皆大分気が楽にないりました(今思うとガチガチに緊張していた皆をわざと転んでリラックスさせたのかもしれません)

バーンはアイスバーンの深いコブ。

前走の先生もラインを慎重に確かめる位厳しいコース。

←前走の先生もラインを慎重に確める

←なだらかに見えるけど、結構急斜面でコブも深い

前走が終われば、スタート順が僕から。よりによって一番苦手種目でしかも気持ちが落ちている時に。

コブの裏側をしっかりと両足でとらえて、足はそろってなくてもずっと同じリズムでスピードを殺して滑る事だけに徹した。

何とか転ばずに降りる事が出来て、ゴールした時には「よっしゃ!終わったっ!」ってガッツポーズしながら叫んでしまい、ギャラリーと先生方に笑われてしまいました。

←演技を見つめるジャッジ・先生・パトロールの皆さん

「おぉぉ~っ!降りてきたよぉ~!」「あぶねぇ~っ!」「おっ!持ち直したぞっ!」「すげー、すげー」「あ~っ!転んじゃったね、残念!!」「この斜面厳しいねぇ~」等声が絶えない。

評価する人々、スタッフとして手伝う人々も楽しむ検定でした。

 ←演技を終了してほっとする皆さん。お疲れ様でぇ~す!

15:00丁度位で終了です。

 

【自己採点】

自己採点 大回り:72点、小回り:69点、フリー:71点、中回り:69点、不整地:67点 計:348点

で不合格。

なので・・・

第三ロッヂでくよくよして、ソフトクリームをごちそうになって、常連さんの皆さんとお話ししながら発表時間まで待ちました。

←初1級受験記念写真

予定の15:45に発表会場に入ります。

←皆さん緊張しつつソワソワしつつ・・・

最初は2級発表。「2番 @$%*さん」

・・・『おおっ!いいなぁ~っ!あっちは2番は合格か・・・』なんて思いながら

も拍手。「おめでとう!!」ですね。

2番~5番の4名が合格でした。

続いて1級。

いきなり「2番 けーごさん!」って呼ばれました。『今、けーごさんって呼ばなかったかい?』『うぉ~っ!!合格じゃん!!すげーっ!!』・・・って思いながらも、冷静ぶって合格証を受け取りに前へ。手は震えるし・・・もうドキドキでした。

成績は結局

大回り=71点、中回り=71点、小回り=70点、不整地小回り=69点、フリー=72点 合計=353点

合否判定コメント:全てにおいて種目内容を理解していた。早いリズムになるとニュートラルポジションに戻れない。

 ←評価はコメント後こんな感じで掲示されました

本日の1級合格者は2名でした!!

中回りが自分の感覚より良かったことと、フリーが最高に良かったので、何とかなりました。

やっぱコブは悪かったけど、コースの状況が考慮されたのかもしれませんね。

頭でっかちのスキーをしている事が良くわかるコメントでした(笑)。

 

合格発表が終わり、バッジと合格証を頂き、Y先生に報告。Y先生、笑顔で「今日の滑りは良かったもんな!」って言われて嬉しかった。ただ、「一回で受かっちゃいかんな!またこれからも練習しろよ!」とも言われましたが。先生は喜んでくれたみたい。

第三ロッヂに戻って大将や奥さん、常連さんに報告。お祝いのジュースなどを頂きました。

 

この日は僕のスキー人生の中で忘れられない一日になりました。

 

ワタシのスキー史4 「レースに出たり、子供たちを巻き込んだり(子供らバッジテストへ行く)」に続く

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ワタシのスキー史2 「本格的にスキーに取り組み始め~バッジテストへのチャレンジ」

2021年01月23日 15時23分00秒 | ワタシのスキー史(自己満足)
ワタシのスキー史1 「初めてスキーを滑る~目覚め」からの続き

8. 我流を捨てて、ちゃんとやろう ~バッジテスト3級受験で基礎スキーを知る~

あるとき先輩から「スキーのバッジテストという検定がある。練習して受けてみたら?」と言われました。で、色々と調べてみると、なんだか簡単そうだ・・・と勝手に思って(今では口が裂けても言えないセリフですが)、3級位なら受かるだろう・・・という事で、受けてみることに。

全然スクールなんて入ってないから、先輩たちに教えてもらった我流の滑り。

2002年1月13日。岐阜県の国見岳スキー場で3級の試験を受けてみることしました。(国見岳スキー場も現在は営業していないようです)

講習内検定・・・という事で行ったのですが、そもそもそれまでにスクールなんて数えるほどしか入ったことが無かったので、緊張。

更には何と最初から「ストックの輪っかへの手の通し方間違ってるよ」と注意され、種目には無かったけれどプルークボーゲンの基礎から教えられて、先生から「いい線言ってるけども(ととりあえずヨイショしてもらいながらも)もう少し練習してからテスト受けた方が良いよ」と言われて、3級に落ちたのでした。

あまりのショックにその後はスキーに行くたびにスクールに入り(友人と行っても半日はスクールに入る)「基礎スキー」という日本・オーストリアの(多分)独特のジャンルがあることを知りました。

2002年3月21日 この辺りからホームゲレンデとなった木曽の「やぶはら高原スキー場」で3級に受かると共に、この先スキーを大好きで続けていくきっかけとなったやぶはら高原スキースクールの「Y先生」と出会うのでした。

この合格とY先生からの「2級を目指せ!」指令をきっかけに、基礎スキーにのめり込んでいくのでありました。

 

9. どっぷり基礎スキーにはまる1 ~道具から入るタイプで超ミーハー~

基礎スキーにどっぷり浸かると共に出てくるのが「道具」のせいにする「道具依存」。3級合格まで使っていた板はHARTのセットスキー。

Y先生から、2級を目指すならもう少しちゃんとした板の方が良いかも・・・と言われ、意識したことが無かった「道具」にも目を向けました。

ちなみにY先生のおすすめの板は長野県民らしく「小賀坂」。

2002年6月 アルペン一社店(名古屋市)で毎年開催されている様子のスキーフェスタというのに行ってみました。所謂早期受注会です。

初めて行った早期受注会で道具を色々と見て、説明を受けた。説明してくれる人は道具の達人で、こちらは完全に素人。聞いているだけであまり理解が出来なかったのだけど、新しい専門用語が沢山で、なんだかとても嬉しかったのは今でも忘れない。

そうかそうか、道具が良くないと滑りも良くならないのか(そんなことは無いはずですが)・・・と道具依存への道を歩み始めた日であります。

特に小賀坂とFISCHERの方達とお話ししたのを今も覚えています。

そしてもう一つは「ミーハー方面」。トークショーに上村愛子ちゃんが出ていたのです。スキーがスキー選手とこんなに近くで、しかもタダで会えるというのは僕のミーハー心(もはや「ミーハー魂」とでも言うべきか?)をゴリゴリくすぐり、今も尚現役ミーハー選手として頑張っている。感激して大興奮で帰ってきたのを覚えています。


とにかく黒山の人だかりとはこのことであった。上村愛子選手の当時の人気がうかがえる一枚。

 

そして2002年8月にとうとう初めての基礎板 OGASAKA KEO'S KS-STを購入したのでありました。

 

 

10. どっぷり基礎スキーにはまる2 ~2級を目指してひたすら練習~

2003シーズン(2002-2003年)からはやぶはら高原のシーズン券を購入し、本格的に基礎スキーを頑張ることにしたのだ。

やぶはらの券で おんたけ、御岳ロープウエイ、きそふくしま、開田高原マイヤ、木曽駒高原新和 の5つのスキー場が1000円で滑ることができた。(今となってはこの6つのスキー場の中で営業しているのは やぶはら、おんたけ(おんたけ2240として)、きそふくしま、開田高原マイヤ の4つ)

やぶはらにベースを置きこれらのスキー場を転々としながらスキースクールに入り練習しまくりました。昼休憩には午前中のレッスンでの事をメモして、夕方車の中で午後のレッスンの内容をメモ。家に帰ってから、また平日もイメトレ。

こんな風にメモをしていました。家で見てまたイメトレ。

 

土日とも日帰りで行くという、体力がある時期にしかできない荒業で土日滑っていました。

11月から滑り始めて休みの日はとにかくスキーに費やすという、家族から見捨てられそうな日々を過ごしたシーズン。

 

11. 思いがけずステップアップ ~度胸試しのつもりが2級合格~

2003年2月23日 Y先生に内緒で度胸試しでバッジテストを受けてみることにした。Y先生に内緒なのでスキー場はやぶはらではなく初めて行く木曽駒高原新和スキー場。天気は霧。

この頃は小回りなんて全くできず大回りは得意だが中回りは何とか出来る程度だ。

検定は午前中は講習内でのテストという実践種目テスト、午後は一発勝負の規定種目テストだった。

主にスキッディング(所謂 ずらし)要素のターン技術が求められた。基本的には合格に導いてくれようとする感じの検定員で午前中の実践種目テストは良い所を見てくれました。

問題は午後の規定種目テスト。種目は「スキッディング+カービング要素の大回り」「スキッディング+カービング要素の小回りから中回り」。大回りは問題ないけど中回りは苦しそう、更には小回りは体が遅れてしまって全くダメ。午前中の実践種目テスト内でも指摘された。

でもこの日はとてもついていたのである。当日は霧。なんとゴール寸前しか検定員からは見えないような状況だったのです。

つまり、中回りしか検定員は見えないわけです。つまりずっと中回りでOK。

結果は

実践大回り:66点、実践中回り64点、実践総滑:66点

規定小~中:64点、規定大回り:65点

合計:325点 でギリギリ合格でした!!

発表後の検定員からの評価を記録していたので転記↓

大回りの運動ぶり、リズム変化、総合滑降での運動ぶりなどが良く、2級合格に値する滑りをしていました。また、説明を聞くときも、滑っているときも笑顔だったのが印象的です。普通検定だと笑顔の人はとても少ないですので・・・。ただ、中回りに関しては、外足への加重感が甘いです。内倒してしまっているときもあります。スキッディング要素は1級の種目にもありますから、外足に加重感を強める練習をして下さい。中回りで内倒すると、スキーが走ってしまって暴走します。上下動・ひねりをしっかり使う練習が必要ですよ。正体位置もしっかり安定させてください。全体的には良かったので、これからもしっかり練習して下さいね。本日はおめでとうございます。

うむむ、深い。


合格後先生に撮ってもらいました。嬉しかったなぁ~。
 

2003シーズンはそれまでとは違って滑走日数は22日となりました。

 

12. 家族で車でエンジョイスキー!! ~・・・のための車、そして家族を巻き込んで~

2003年6月に車をアコードUSワゴンからトヨタのノア(ワンボックス)に乗り換えました。

子供が2人だったので、中が広くて子供たちも楽々乗れる、荷物も詰め込み放題、スライドドアで安全・・・と良い事良い事で奥さんにアピールし契約しました。

でも、本当は・・・スキーに行くための道具なのです。それが証拠にこの車では途中から(最初はお金が無かったのでチェーンでした)スキーキャリアとスタッドレスタイヤ装着!!(2005年1月よりスタッドレス装着)

息子は2002年にはプラスチックスキーデビューで、2004年1月にはキッズスクールに入れて滑らせました。子供が凄いのはすぐ上手くなる。

その翌月には自分用のスキーを買ってあげるまでになりました。

娘はお兄ちゃんを見ているのできっと当然滑れるようになるもんだとおもっていたのでしょう。2006年12月にスクールに入れると当日にはもう滑れるようになっていました・・・。

 2004.01.11 スキーレッスンに励むお兄ちゃん ひるがの高原スキー場

2006.12.10 スキーレッスンに励む妹 開田高原マイヤスキー場

 2007.01.21 どこでも滑れる兄妹 やぶはら高原スキー場

 

 

13. 検定(バッジテスト)はSAJだけじゃない!

この頃には主にやぶはら高原で滑っていましたが、たまに開田高原マイヤスキー場でも滑っていました。地味だけどとても好きなスキー場の一つです。

マイヤのスクールはSAJ(全日本スキー連盟)ではなく、SIA(日本プロスキー教師協会)です。こちらの検定は国際スキー検定(IT検定)となっておりスーパーゴールド~セミブロンズに分かれています。

こちらのスクールでもレッスンを受けていましたので、基礎スキーどっぷり、資格が気になる僕としては自ずとこのIT検定を受けてみたいという気持ちになりました。

2004年4月3日 シルバー検定を受験しました。この検定は一発勝負だけ。シルバーメダルの種目は シュテムターン(大回り)、パラレルターン(大回り)、ウェーデルン(小回り) の3つ。

結果は

シュテムターン(大回り)70点、パラレルターン(大回り)72点、ウェーデルン(小回り)70点 で合格でした!!

ウェーデルンって今どきなかなか通じない言葉かもしれませんね。

国際スキー検定シルバー!頂きました。

 

ワタシのスキー史3 「高みを目指してチャレンジ1級」へ続く

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ワタシのスキー史1 「初めてスキーを滑る~目覚め」

2021年01月17日 13時47分00秒 | ワタシのスキー史(自己満足)

1. 初めてスキーを滑った日 ~覚えていないが、滑ったらしい~

まず初めてスキーを履いたのは、小学校低学年の時だったらしい(全く記憶にない)。それが何年の何月何日だったのか・・・という事も、場所がどこだったのか・・・という事も記憶にない。

滑るのが怖くて泣いて、結局平らな所をひたすら滑って(歩いて?)いたらしい。

親の記憶を聞いているだけ(本当に全く覚えていないので)ですが、ひどい有様だったらしく、それに懲りて親ももう二度と僕をスキーに連れて行こうとはしなかったそう。

 

2. (多分)人生2度目のスキー ~急に大人になってスキーを滑る羽目に~

そしてそこから十数年の時が経ち、僕は大学生になっていた。(1992年頃ではないかと思うがちょっとはっきりしない)

地元の友人が車を買った(確かAE92レビンMT)ので知り合いの女の子たちを誘ってスキーに行こう!!となった。

スキーなんて全然やりたくないけれど、元気いっぱいの若者としては「知り合いの女の子たち」という重要なキーワードが入っているから即答でOK。

でも道具なんて無いからね。まずウエア(ツナギだった)とブーツ(当時はリアエントリー)、ストックを親戚や友人から頂いて、グローブと板は何かすごく安いのを買いました。

(板はまだストレートのやつね→確かBLIZZARDの板を高校時代に通っていたスポーツショップで買った。)

そもそもスキーに全く興味が無かったため、レンタルという仕組みがあることも知らず、板を持っていくことが前提だった。しかもワックスなんてスポーツショップで塗ってもらったそのままで持って行ったし。

で、行った先は忘れもしない「白馬五竜スキー場」。全く滑れなかったのに頂上まで連れていかれ、アルプス平を下ろされた時にはもう死ぬかと思いました。

「1日券」を買ったのに、1日かけて1本降りてくるという事でコスパ最悪の思い出。女子と仲良くなる余裕も無く終わりました。

※確か写真があったのだが、押し入れの奥底ではないかと・・・発見できず。

 

3. 3度目のスキー ~友人に誘われ断れなかった日~

確か1994年だと思ったけど、大学学の友人達と一緒に玉原スキー場へ行きました。

何で行くことになったのかは忘れてしまいましたが、友人の中の一人がお姉さんの持っていた日産テラノを借りてきて、それで行ったのを覚えています。4WD車は格好いいなぁ~って初めて思った時でした。

ここは緩斜面が売りと言うだけあって、ひたすら緩斜面を滑り、少しだけ滑れるようになりました。

初めて「滑る」という事を楽しく感じられたように思います。

※確か写真があったのだが、押し入れの奥底ではないかと・・・発見できず。

 

4. 4度目以降  ~スキーがやっと滑れるようになった気がする期~

更に数年経ち、社会人になった僕は新卒で入社した会社の営業マンとして茨城県の営業所へ配属となり、つくばの研究所の担当となりました。

その研究所の中で当時「通商産業省 工業技術院」、今は「経済産業省 産業技術総合研究所」という所のある先生がなぜか僕を非常に可愛がってくれていて、その先生の研究室に入りびたりだった僕を「民間の研究員や学生と一緒にスキーに行くが一緒に来ない?」と誘ってくれて、行くことにしました。毎年1回先生の友人の貸別荘を借りたりして泊りでスキーに行くという事で、(最初は仕事に有利かもと思って参加したのですが)行くことにしました。

泊りでのスキーは楽しく(夜の飲み会も楽しく)、また民間の研究員さん達が熱心にスキーを教えて下さりこの会に数年参加し、大分滑れるようになりました(あくまで初心者レベルですが)。

社会人になって3年程で茨城から名古屋に転勤になった後もこの会には自分で車を運転して参加していました。

先生が突然亡くなってしまったのでもう皆さんには会えなくなってしまいましたが・・・。

ちなみに2002年に菅平へその先生と研究員の皆さんと行った時の写真が出てきたので載せておきます。


左から僕、工業技術院の先生、学生さん、民間の研究者の方(菅平スキー場にて)

 

5. スキーに目覚めた日 ~自らスキーに行きたい!と思うようになったきっかけ~

1999年の春、名古屋の営業所の同僚と仲良しだった代理店の方と一緒に「鈴蘭高原スキー場」へ行ったのです。(鈴蘭高原スキー場は現在はもう営業していないみたいです)

凄く寒くて、アイスバーンのスキー場。ちょっと滑れるようになっていたので、調子に乗っていて、頂上まで行きました。そして北側の斜面の頂上まで行ってみると、斜面の角度が凄く怖くて怖気づいて帰ろうとしたとき・・・代理店の方が僕を斜面に向かって押す→滑る→尻もちつく→どんどんスピード出る→雪だるま状態で転倒→皆に笑われる・・・悔しかった事。

その日に誓いました。「上手くなってその代理店の方を見返してやろう!」と。

即、スキー道具を揃えます。当時カービングの板になってきたところではないでしょうか?


この時揃えたスキーの道具たち。

 

そこから事あるごとに先輩に頼み込んでスキーに連れて行ってもらいました。

名古屋からは岐阜は近く、最初はよく「めいほうスキー場」とかに連れて行ってもらってました。

また、木曽御嶽山も近く、その周辺のスキー場にも連れて行ってもらいました。

 

6. 自分でスキーに行こう ~自力で山に行くまでになったのさ~

先輩たちは4WD車に乗っていたので連れて行っていただけるときにお願いして同情させていただいていたのですが、都合が合わない日も多かったです。

滑れるようになってくると、自分の都合でスキーに行きたくなってきて、丁度自分の車のタイヤサイズと同じ車のチェーンを頂いたのをきっかけに、自分で日帰りスキーに行くようになりました。

主に木曽方面でたまに岐阜・・・

家族もつれて行ったりして・・・。

まだスタッドレスは持っていなかったけど、FFのワゴン車(ホンダ アコードワゴン)にチェーンを付けて色々と滑りに行っておりました。


この車でバリバリスキーに行き始めました。ノーマルタイヤにチェーンで。やぶはら高原にて。

 

7. 上村愛子ちゃんが好き ~ミーハーへの道(いやいや、元々ミーハー)

2001年シーズンから現在は休巻してしまっている 実業之日本社から出ている雑誌「ブルーガイドSKI」を購入していました。

(2019年で休刊となったのですがそこまでは全部持っています♪)

その中の記事でモーグルの上村愛子ちゃんが書いている「AIKOのハッピー☆チャット」というコーナーがあって、楽しみに読んでいて、あっという間に愛子ファンになりました。

モーグルが(出来ないけど)好きになったのもこの雑誌の影響でした。



当時インターネットでメールではなく「チャット」というなんとなくリアルタイムに話が出来る方法が流行っていて(今のLINEのような感じかな)、それをイメージしたものかと。
 
そしてこれだけ上村愛子ちゃんを推してくると当然買う板はHARTになるわkです。


そりゃ、買っちゃうよ。雑誌も板も。この頃の上村愛子ちゃん、輝いてる。

今はネットで見れば色々な情報が見られますが、まだ僕自身はネット活用が始まっていなかったので、情報は主にこの雑誌から取っていました。

雑誌から得られる情報は雑誌発信で否応なしに目に入ってきますので、自分の興味が無かった情報でも見ることになり、色々と知ることの幅が広がります。雑誌というアナログ媒体はすごく良いと今も思っています。

復活しないかな・・・。

 

ワタシのスキー史2 「本格的にスキーに取り組み始め~バッジテストへのチャレンジ」へ続く

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ワタシのスキー史0(ゼロ) プロローグ「スキー人生を振り返る理由」

2021年01月17日 13時10分45秒 | ワタシのスキー史(自己満足)

現在2021年1月17日。緊急事態宣言中の東京都。

新型コロナウイルスCOVID-19が猛威を奮っております。

どこにも行けず・・・記録的な降雪なのにスキーにも行けず・・・悶々とする日々です。

 


本日の岩原スキー場・・・素敵すぎ♪しかも空いてる感じだし。

 

 

ああ、スキーに行きたいっ!!

でも、健康が一番である。

僕はコロナに立ち向かう術を今のところは持っていない。だから何とかコロナと遭遇しないようにひっそりと生きて行かなくちゃいけないのです。

それには極力出かけない事・・・ってことで家にいるのですが、ゴロゴロしていても仕方ないので、スキーに想いを馳せながらスキー史でも作ろうと思い立ったのは今年の1月8日の夜でした。それからコツコツと資料を集めて、やっと準備が出来てきたので書き始めてみます。

 

今のところテーマはこんな感じで考えています。

 

ワタシのスキー史:自分が歩んできたスキーの歴史。

ワタシのスキー道具史:使っていた、使っている道具についての自分なりの歴史とウンチク。

ワタシのスキー場史:行った事のあるスキー場について、自分の思い出や感想や自分なりの歴史。

ワタシのスキー選手史:ミーハーけーごの選手との出会いや思い出についての歴史。

全部 自己満足 デスッ!!

 

↓2021.01.25 追記↓

僕はずっとスキーの記録を付けています。

 ←スキー雑記帳という名で日記みたいにしています。

 ←中身はこんな感じです。

これをもとに書いてみたいと思っています。

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