『蕎麦がき研究入門』

知らない・映えない・バズらない。なのに昔からある食べ物“蕎麦がき”に今、光を当てます。普通に食卓に上がるその日まで。

9/27(日)、マニアフェスタオンラインで蕎麦がきの生配信やります!

2020-09-23 23:44:36 | その他
いつも片手袋研究家として参加している「マニアフェスタ」というイベントがあります。

森羅万象、あらゆる対象に愛を注ぐマニアックな人々が集い、研究成果をまとめた冊子やオリジナルグッズを販売する最高のイベントです。
しかし今年は御存じの通り、この現状。リアルイベント再開はまだなかなか難しく、秋のマニアフェスタはオンラインで開催されることになりました。参加者が動画をアップしたり、生配信をしたり、グッズ販売をしたり。逆に世界中どこに住んでいても参加出来る、状況を活かしたイベントになった、とも言えるかもしれません。

私は片手袋研究家としても、蕎麦がき理論家としても参加しますが、当『蕎麦がき研究入門』では蕎麦がきのイベントを告知させて頂きます。


やるのはなんと生配信イベント。「蕎麦がきで生配信?」と思われるかもしれません。安心してください。私もそう思ってます。

でも企画してみたら面白そうな内容になりましたよ。ちょっと要素が多いので箇条書きにしてみると…

①参加者は5人。「片手袋を見守る会(私、マリボ、ゆき)」の3人と、明太子マニアの田口めんたいこさん街角狸マニアのむらたぬきさん
②第1部では基本の蕎麦がきを皆で試食し、感想合戦。
③第2部では田口さんに明太子料理の傾向を伺いつつ、明太子を使った新しい蕎麦がきメニューを考案する。
④それを私が実際に試作。その間、むらたぬきさんによる「マニアソングス」の生ライブ。
⑤明太子蕎麦がき新メニューを皆で実食!

こんな感じになると思います!まあ到底予定通りに進むとは思えませんが、ハプニング含めてワイワイと楽しくお届けしますので、皆さんも是非ご視聴ください!よろしくお願い致します!

マニアフェスタオンライン参加企画
『緊急開催‼ 明太子蕎麦がきメニューをみんなで開発しながらマニアソングスも楽しもう!』
・2020年9月27日(日)20:00配信開始
・出演:片手袋を見守る会(石井公二、マリボ、ゆき)田口めんたいこ、むらたぬき
・配信アドレス

新時代の蕎麦がきのリアル「ナイトフィッシング野外蕎麦がきとは何か?」

2020-09-20 00:26:56 | その他
まだ暑さが残る9月のある晩。東京は夜の8時。俺はお台場にいた。夜釣りだ。ナイトクルージングだ。
ルアーを正確にキャストする。リールを巻く速度は間違ってないか?Walkig in the rythm だ。
Wonder Wheel。ゆっくりでも良いよ、回ってくれ。
魚の気配がない。まだ夏の悪い水が残っているのか?Aguas de setembro。
粘ってはいけない。ポイントを変えよう。俺には聞こえる、夜のメロディが。
夜の散歩。海辺の遊歩道。そこでは思わぬものを目にする。
例えば橋の構造を真下から眺められるのに、ほとんどの人は知らない。これなら荒れた水にもビクともしなそう。Bridge Over Troubled Water.
高速道路の真下。フリーウェイ。右手にはレインボーブリッジ。
数か月前には、赤く染まっていた。コロナの馬鹿野郎。

全く釣れない。「釣りは釣れなくても楽しい」。釣り人以外には中々伝わらない感覚。しかし海を通過した夜風を浴び、美しい夜景を独り占めしてみろって。良いさ。誰にも伝わらなくたって。俺は風の王と踊る。

腹が減った。誰のせい?それはあれだ。夏のせい。だったら食えば良いんだ。蕎麦がきを。
俺は火が使える場所を探し、移動する。ちょうど良い場所を見つけ、シートを広げ、カセットコンロを取り出す。

鍋に蕎麦粉を投入だ。それが正論。
水はいろはす。さっき自販機で買った。
良いぞ。ほど良く混ざった。
今晩の俺は悪い子だ。こんなもんも買っておいた。
こういう時、ルアー釣りは助かる。手は汚れてないからな。
生ハムはこうだ。
チーズもこうだ。
フィッシングバッグのポケットには醤油を隠しておいた。
直接入れちまおう。今晩の俺はワイルドサイドを歩いているのか、それとも、メイン・ストリートのならず者か。
着火。のち、即ぐるぐる混ぜろ。

どうだ。手が早すぎて映らない。ローリンローリン、回り続けるよ。

出来た。みんな好きだね、蕎麦がきが。
蕎麦がき食べたい、美味いの食べたい。
うん、美味い!
しかし、今宵の俺は止められない。もっと良い景色を求めて、わざわざ移動。
良い東屋があった。
誰も知らない夜明けは、まだ明けないで。
だれも見てないなら、立ち食いだって、へいっちゃら。
完食。人類が初めて目にする、蕎麦がき食べ終わった後の空の鍋と東京の夜景。
ご馳走様。
適度な満腹感。この景色。今夜のいろはすには、ロマネ・コンティだって敵わない。
ヴゥホッ‼40間近になると、何食っても何飲んでもムせる。
良いな良いな。人間って良いな。本当は何やったって自由なんだ。外で蕎麦がき食って、腹いっぱいなら東屋で寝たって良いんだ。

釣り忘れてた!(完)

※野外で火を使う場合、場所選びと火の管理には十分に気を付けてください。

「弁当とは持ち運びできる最小の家庭である」

2020-08-25 19:32:00 | その他
弁当とは持ち運びできる最小の家庭である。

故に、弁当には色々なものが出る。各家庭独自の価値観、家族構成、金銭事情…。いや、本来そんなものを読み取ってはいけないし、40歳を間近に控えた今なら自分も他人もどんな弁当を食べていようと別になんとも思わない。しかし、あらゆることを人と比べて気にしてしまう思春期は違った。私は弁当によって傷ついたことが幾度もある。

中学生になって最初の遠足。行き先は鎌倉。事前の説明会で少し不良っぽい生徒達が先生に提案した。

「先生!ジャージじゃなくて私服でも良い事にしませんか?」

ちょうどお洒落に目覚める年頃である。しかも私が通っていた中学のジャージは信じられないほどのダサさだったので(スカイブルー!)、この提案に生徒達からは歓声が上がったが、私を含め一部の生徒は静かに俯いた。そりゃあファッションセンスもあって、好きな洋服を買える環境にある奴らは良い。しかし、ジーンズメイトに入るのもビビりながら、しかも軍資金は極めて乏しい、という環境にある我々のような人種は、学生服やジャージというのは極めてありがたい存在だったのだ。そこにセンスの良し悪しは発生しないのだから。

しかし、願い虚しく、こんな時だけ聞き分けの良い教師達はあっさり私服を許可してしまった。「遠足のためだけに服を買いに行くからお金が欲しい」などと親に言い出せるわけもなく、私は兄の部屋に忍び込んだ。こういう時、6歳年上の兄は頼りになる存在だった。既にバイトなどもしていたので流行りのアイテムも取り揃えている。私はキャップとリュックをこっそりくすねた。

遠足当日。さすがにお洒落なグループは眩いばかりの光を放っている。私の時代はスケーター風のファッションが流行っていて、皆、太いズボンを腰まで下げて穿いている。私はというときちんとお腹の下あたりでベルトを締めたチノパンに、何回も着過ぎてヨレヨレになったネルシャツ。しかし当時は珍しかった肩紐が一本の斜めがけするタイプのリュックのおかげで、なんとか悪目立ちはしないレベルに持ち込めている。ほっと一安心して、いざ鎌倉へ。

個人的に気乗りしない要素が出発前にあったとはいえ、やはり楽しい遠足である。普段よりハイテンションではしゃぐ我々を乗せて、電車は進む。私は極めてお調子者だったので、人一倍下らないギャグなどを言いまくっていたと思う。もうお洒落問題のことなどすっかり忘れていた。しかし、鎌倉まであと少し、という横須賀線の車内で同じ班の女子が冷静に言い放った。

「石井くん、リュックがビシャビシャだよ」

え?驚いてリュックを前に回して確認すると、確かに全体が濡れている。そして、何やら肉々しい香りを車内に放ってもいる。中を開けてみて、すぐに理由は判明した。母親が弁当箱のゴムパッキンをつけ忘れ、中に入っていた炒め物の汁が全て外に漏れ出していたのだ。

「あ、シャツも濡れてるね」

顔面蒼白になっている私をさらなる地獄に突き落とすように、女子は冷徹に言い放つ。いわゆる残酷な天使のテーゼである。汁はリュックから染み出し、ネルシャツの背中あたりにまで浸透していた。

終了。私の遠足はここで終了した。精神的に。先ほどまでのテンションが嘘のように、私は静かになってしまった。もう、お洒落どうこうの話ではない。私は、肉汁が染み込み、昼時の新橋のようなにおいを纏った人間に成り果てたのだ。原理的には肉豆腐の豆腐とほぼ同じなのである。ようやく鎌倉につき、これから遠足が始まる、という時に、私だけは既に弁当の時間を迎えているのである。においの面では。

そこからはあまり記憶が残っていない。一つだけ覚えているのは、銭洗弁天のトイレでリュックを水洗いしたことだけである。皆が千円札などを洗ってはしゃいでいる中、私だけリュックを洗っているのである。「え!あんた、銭洗わないで何洗ってんの?」。弁天様もびっくりである。

さらに、帰宅してからは兄にこっぴどく怒られたのは言うまでもない。そりゃあそうだ。一生懸命バイトして買ったリュックが、豆腐になって帰ってきたのだから。

勿論、大人になってみた今では忙しい時でも弁当を作り続けてくれた親への感謝、というのは自然に抱けるものだが、思春期真っ只中の私には難しいことだった。パッキンの締め忘れ、弁当が全体的に茶色い、見たこともない謎の物体が入っている、などの経験をあまた繰り返した結果、私は弁当に対してすっかり怯える仔犬のようになってしまった。しかし、それはどうやら私だけではなかった。

中学2年生の時、私は文化祭実行委員になった。学校が早く終わるある日の土曜日。私を含めた実行委員の男4人は、放課後に文化祭についての話し合いをする事になった。しかし給食が無い日なので、皆弁当を持参していた。 


同級生が帰った後、4人は同じ教室に集まる。いつも通り馬鹿話に花を咲かせていたが、会議までの時間がさほど無かったので早速弁当を広げる事に。机を4つくっつけて、一応テーブルクロスも敷いた。 


「さあ、食べよう!」


皆が弁当箱の蓋に手をかけた瞬間、私の心に突然、妙な気持ちが湧きあがってきた。


(なんか、弁当の蓋を開くのが恥ずかしい・・・)


既に弁当仔犬期に突入していた私である、今日も親が何かをやらかしている可能性は十分にある。しかしこの時は、一番視線を気にしてしまう女子がいるわけでもなく、仲の良い男友達だけ。それでも、なぜか蓋が開けられない。


が、不思議な事に、なんとそんな状況に追い込まれていたのは私だけではなかった。その場にいる全員が何故か同じようなプレッシャーを感じたらしく、誰も蓋を開けようとしないのだ。誰かが一番最初に開けてくれないか、互いに窺っている。そんな気配がみるみるうちにその場を支配してしまい、益々開けられない。 わずか10秒ほどの沈黙であったと思うが、それが永遠にも感じられる。


私は勇気を持って切り出した。


「なんだよ、この空気!おい、お前開けろよ!はやく食えよ!」

「え~、やだよ~。勘弁してくれよ~」


突然振られたIはニヤニヤと照れ笑いを浮かべ開けようとしない。


「じゃあ、お前開けろよ~」

「え?俺は嫌だよ~」

「じゃあお前は?」

「俺はサンドウィッチだから最後でいいよ」

「何それ?意味分かんない。いいから開けろ!」

「嫌だって~」・・・。 


そんなやり取りが永遠に続くが、誰も弁当を開けられない。そしてとうとう文化祭の会議を始める時間になってしまい、先生が教室に入ってきた。


「あれ?おまえら、まだ弁当食ってないのか?早く食えよ!」


しかし、私達は全員一致で弁当を食べずに会議を始める事を先生に告げたのだった。 


なんだか分からない雰囲気に支配され、突然、弁当の蓋すら開けられない状況が発生してしまう。本当にどうでもいい出来事だが、「思春期」という言語化が難しい時期を象徴するような出来事でもあったような気がする。


大人になった今、自分の子供にはつい「自分だけの将来の夢」や「独自の感性」を求めてしまう。しかし、なんの変哲もない、没個性の極みのような学生服やジャージ、味気ないと思ってしまいがちなコンビニ弁当などがむしろ救いになることもあったと、自分の経験からも忘れずにいたい。


チキンナゲットとタイ米

2020-07-30 19:45:00 | その他

毎月28日は「ニワトリの日」でケンタッキーがお買い得なセットを販売するらしく、一昨日初めて買いに行ってみた。細長い箱にはフライドチキンが数個と、ナゲットが入っている。ケンタッキーのナゲットというのは初めて食べたが、なかなか美味しい。


「ニワトリの日」から二日後の今日。今年の夏前半は涼しい日も多く、TwitterTLでは久しぶりにあの平成の記録的な冷夏の話題を目にした。


ナゲットと冷夏。私は中学2年生になる前の春休みを思い出していた。

✳︎

埼玉の祖母の家。祖母が「こんなもんでゴメンね」と謝りながら食卓に上げたのは、冷凍食品のナゲットと細長い粒のご飯だった。


私の両親は、私が小学校低学年の時点で既に修復が困難な関係に陥っていた。苦悩の末に母親は「義母を呼び寄せ同居してもらう」という奇策に打って出た。一般的に嫁にとって義母というのは決して居心地の良い存在ではない筈だが、当時の母はむしろ一緒にいてもらい父の様子を見てもらった方が良いと考えたようだ。後期ビートルズがビリー・プレストンを呼び寄せたようなものだろう。しかし、程なく父親はうちを出てしまい、義母(私にとっての祖母)と母、我々兄弟という奇妙な組み合わせの共同生活が始まった。


私は祖母に猛烈に可愛がられた。いや、「祖母は私を可愛がった」と言った方が正確かもしれない。私はそれを愛情だと理解できなかったから。「何より教育が第一」という考えの持ち主だった祖母は、毎日広告の裏に手書きの問題をみっちり書き込み、学校から帰宅した私はそれを全て解いてからでないと遊びに出られなかった。


また食べるものにも煩く、ポテトチップスなどは絶対に買ってもらえず、甘味といえば蒸した芋などが中心。晩ごはんも出来合いのものは決して食卓に上げず、塩辛でさえも毎回イカを捌いて取り出した肝を和えて作っていた。図工の時間に「ドーナツの絵を描くので見本として一人一個買ってきてください」と言われた時ですら、自分で手作りのドーナツを揚げていた。とにかく私には「本物」を与えたかったようだ。夏場の土曜日。お昼前に学校が終わり帰宅すると、祖母はよく真っ黒な汗をかいていた。祖母は「クーラーをつけるのは贅沢」と考えており、うだるような暑さの室内で白髪染めをしていたのだ。頬に黒い線を作りながら、「すぐにお昼作るからね」とソーメンを茹でる祖母が私は怖かった。


しかし、幼い私は学校から帰ったら一目散に遊びに飛び出したかった。既製品の人工甘味料たっぷりのお菓子が食べたかった。粉雪のような粉糖を纏ったドーナツを持って行きたかった。ソーメンよりカップラーメンが食べたかった。


ある日、読書が好きだった祖母が『温もりの〇〇』というタイトルの本を読んでいた。

「お婆ちゃん、温もりってなーに?」

「この家にないものだよ」


いつになく素っ気なく答える祖母の様子に、私はそれ以上質問を重ねなかった。程なくして、祖母は埼玉の家に戻ることになった。


暑い夏の日。私は友達とマンションの中庭で野球をしていた。


「お婆ちゃん、車に荷物を積み終わったよ。お見送りしなさい」


母親が私を呼びに来たが、私は頑として見送りに行かなかった。幾ら怖いという印象を抱いていたとはいえ、数年間ずっと面倒を見てくれた相手である。あの時、何故見送りに行かなかったのだろう?


✳︎


数年後。私は中学生になっていた。ブカブカだった学生服がちょうど良いサイズになり、2年生に進級する間近の春休み。


「どこか行きたいところある?」


と母親に聞かれた私は、埼玉の祖母の家に行きたい、と答えた。母親は明らかに嫌な顔をした。祖母の家には別居した父親も住んでいる。今から考えれば両親は既に離婚が成立していたか、成立する間近だった筈である。後年、「そのタイミングであんたをあの人のもとに行かせるのは怖かった」と母親は語ったが、さすがの私もその時点で二人が良くない関係にあることは理解していた。それでも私は祖母の家に行くのを望んだ。

一つには久し振りに父親と釣りがしたかった。父親は釣りの天才で、幼い頃から私は様々な技術や知識を叩き込まれた。そして、どういう訳か祖母に会いたい、という気持ちもあった。最後に別れの挨拶をしなかったことが、ずっと心のどこかに引っ掛かっていた。


母親は「一人で行くこと、帰りは迎えに行くからダラダラしないですぐ帰ること」を条件に渋々許可をした。


埼玉県某町。駅前に車で迎えに来ていた父親は、私を乗せるなりそのまま釣り場に直行した。街道沿いに立ち並ぶ山田うどんを幾つも通り過ぎ、田んぼ沿いの名もなき川に到着する。ヘラブナ釣り用の台座をセッティングして糸を垂らすと、面白いように釣れる。和竿で釣るフナというのは思いの外引きが強く、それほど大きなサイズでなくても本能を刺激する堪らない感触がある。


夕方。サイズの良い数匹を魚籠からバケツに移し、祖母の家に帰る。久し振りに会う祖母は少し小さくなっていたが、昔と同じように「よく釣れたね」と笑顔で出迎えてくれた。ひと目見てもらったら祖母の家の前の用水路に魚を逃すのも昔と同じである。「釣りの後はよく頭を洗わないとミミズが住み着くぞ!」。子供の頃と同じ脅し文句を投げてくる父親。祖母の家の風呂場は少し古くて、中学生になっても怖かった。何もかも変わっていなように思える。


風呂から上がると、三人で食卓を囲む。


「こんなもんでゴメンね」


謝りながら祖母が食卓に上げたのは、冷凍食品のナゲットと細長い粒のご飯だった。前年の冷夏が影響し、年が明けても連日米不足が報道されていた。いわゆる「平成の米騒動」である。どこから手に入れていたのか知らないが、私の家ではずっと国産米が食卓に上がり続けていたので、この時初めて、テレビを賑わしていたタイ米を目にしたのである。


当時「タイ米は不味い」と誰しもが口を揃えて批判していたが、これは国産米と特徴が異なるタイ米をいつものように炊飯器で炊いていたことが原因であると今では分かっている。しかし、当時初めてのタイ米を口にした私は、そもそも全く不味いと思わなかった。というより普段の米との違いすら分からなかった。単純に舌が馬鹿だったのだろう。


それよりも問題はナゲットだ。あの祖母が、まさか冷凍食品を使っているなんて。そのことの方が私には衝撃だった。最近は白髪染めもあまりしていないのだろうか?一緒に住んでいた時よりも、明らかに白いものが目立つようになっている。


「もっとちゃんとしたもの作りたかったんだけど」


しきりに謝る祖母。しかし、正直に言うと、私は手作りの塩辛や小麦粉を炒めて作るカレーより、よっぽどこちらの方が美味しく感じられた。しかし、とてもじゃないが、そんなことは言えない。


外は暗くなり始め、突然雨が降り出した。土壁の古い家は、湿気に満たされた。


それから数日間、食卓にはレトルト食品や冷凍食品が必ず並んだ。深夜、大声でうなされる祖母の寝言で必ず目が覚めた。


最終日。母親が迎えに来た。父親はどこかに出かけてしまっていた。玄関から中に上がらず、祖母に通り一遍の挨拶を済ませる母。中から出てきた私を見て少し安堵したような表情を浮かべた。


「帰りの電車、時間分かります?」


母が尋ねると、祖母は引き出しの奥から時刻表を取り出した。


「あ、時に一本来るね」

「なら間に合いますね」


僅かな滞在時間でそそくさと母親は別れを告げた。祖母は門まで見送りに出て、いつまでも私達に手を振っていた。祖母が私の家を去ったあの日、私もキチンと手を振るべきだった。


祖母が見えなくなって、私は


「お婆ちゃん、冷凍食品使ってたよ」


と母に教えた。母は


そう」


と短く答えた。遠くの方に駅が見える。突然一筋の光が真っ暗闇に包まれた新興住宅地を照らし出した。電車が駅に入っていく。祖母から伝えられた時間にはまだ、だいぶ時間がある。どうもかなり古い時刻表を見たらしい。


「まったく!だから田舎は嫌なのよ!」


母親は不機嫌な表情を浮かべそう吐き捨てた。私は(そんな言い方をしたらお婆ちゃんが可愛そうだな)と心の中で思った。

それが祖母に会った最後の日々である。


新時代の蕎麦がきのリアル。「インタビューのポーズは蕎麦がきで!」

2020-06-01 17:07:00 | その他

どうも。蕎麦がきインタビュイー、片手袋研究家の石井です。この写真は数年前にウェブメディア「DANRO」に掲載されたインタビュー時の写真です。この写真、個人的に凄く気に入っておりまして。「そこ、大事」と呼んでるんですが、物凄く深淵なテーマについて語っていそうなのに話してるのは片手袋のこと、っていうギャップが良いんですよ。「DANRO」は3月でコンテンツ配信を休止、掲載されているコンテンツの公開は9月までなので紹介させていただきました。

☆「ろくろを回す」に新たな風を
インタビューに掲載されるインタビュイーの写真、何故か「ろくろを回す」ようなポーズが多いと言われますよね(特にWEB業界の人が多い、という説もあるようです)?
※こういうやつですね

でもこのポーズを表現するのに「ろくろを回す」って言って大勢の人がすぐに理解できるのって、陶芸とかその製作過程が広く共有されてるからじゃないですか?で、私は思ったんです。「蕎麦がきもそこまで持っていきたいな」って。

なので、試しに「ろくろを回す」が「蕎麦がき」でも代用可能か、実験してみます。ちなみに蕎麦がきを作る際のアクションはこんな感じですね。


せっかくなんで、この『蕎麦がき研究入門』のコンセプトをお伝えするインタビューをお届けしながら、徐々にポーズが蕎麦がきになっていく様にご注目下さい。果たして「蕎麦がきポーズ」は新時代の「ろくろを回す」になれるのか?もし気に入ったら皆さんも使ってみてよね!

「蕎麦がき」は日本の食卓の風景を変えるか?今最注目の「蕎麦がき研究家」に見えている景色とは?

「蕎麦がき」。ありとあらゆる食材・料理と日々接する飽食の時代において、あまりに存在感が薄い食べ物である。もしかしたら「一度も食べたことがない」あるいは「聞いたことすらない」という方も少なくないのではないだろうか?しかし、そんな蕎麦がきにスポットライトを当て、静かなる革命を企てる一人の男がいる。

石井公二さん、39歳。我々はそんな蕎麦がき革命家が何を考え、何を達成しようとしているのかを聞いてみることにした。

■「あるのに見えてない」に惹かれ続けてきた人生
ー本日はよろしくお願い致します。まずは、蕎麦がきを研究するようになったきっかけを教えて下さい。

石井:蕎麦がきの話をするには、どうしても片手袋の話をしなくてはなりません。実は私、元々の肩書は「片手袋研究家」なんです。

ー片手袋ってあの道端によく放置型として落ちてたり、拾われて介入型になってたりする、あの片方だけの手袋のことですか?

石井:そう、それです。幼い頃から片手袋を気にしていたんですが、15年前からは研究も始めまして。研究といっても見つけたら死なない限りは必ず撮影する・死ぬまで片手袋にまつわるありとあらゆることを研究し尽くす・人間の生活や都市の変化を片手袋から読み解くといったライトな物ではあるのですが。片手袋に惹かれてしまう理由は沢山あるのですが、「まちの至る所にこれだけ大量に存在しているのに、誰も見てないし気にもしてない」というのも大きな要因です。それって、とても不思議じゃないですか?
※石井さんが実際に撮影した片手袋

ー確かに。石井さんのご著書『片手袋研究入門』を拝読してから、「こんなに沢山の片手袋に囲まれて生活してたのか!」と気づくようになりました。

石井:ありがとうございます。でも片手袋が見えてくるようになった目で世界を見渡すと、他にも「あるのに見えていない」片手袋的なものがいっぱいあることにも気づくんです。で、私はどうやらそういうものを素通りできない体質なんですね。「皆が見てないなら、せめて自分一人は徹底的に見て考えてやる!そして、その魅力を広めるんだ!」という、誰の為にもならない独りよがりな使命感に燃えてしまう、と言いますか(笑)

ーまさに、その対象が蕎麦がきであった、と。

石井:その通り!

■『蕎麦がき研究入門』で大事にしていること
ー石井さん自身はどうやって蕎麦がきと出会ったんですか?

石井:どういうわけか、うちは蕎麦がきを普通に食べる特殊な環境だったんですよね。まあ、徐々にそれが当たり前じゃないことに気づき、驚きましたよ。「え?みんな、蕎麦がきって普通に食べないんだ!」って。それでもたまに蕎麦がきを食べたことある方に出会うんですけど「粋な大人の食べ物だよね」とか、お年寄りの場合だと「あんなマズいもの2度と食べたくない」とか言われたり。でも、僕にしたらそれも不思議なわけです。「いやいや、別に子供でも気軽に食べられるし、めちゃくちゃ美味しいじゃん!」って。それがずっと続いたんで、「これはなんとかしなくちゃいけないぞ」という気持ちが芽生えました。


ーその結果、今年2020年にブログ『蕎麦がき研究入門』がスタートしたんですね。最初にどのようなコンセプトを設定したんでしょうか?

石井:まずは味より何より、「簡単に作れる」ということを前面に出そうと思いました。実際、基本のプレーンな蕎麦がきって必要な食材も材料も極端に少ないんです。5分もあれば誰でもできる。正直、「人生最高の…」とか「死ぬ前に最後に食べたい…」とか大袈裟な旨味のある食べ物ではないんですけど、手軽にしみじみ美味しいものが作れる、って最高じゃないですか?

ー食べるものを手作りする、という重要性もありますしね。

石井:ああ、それは違うんです。私自身は外食やコンビニの料理を否定する気は全くないです。『天のしずく 辰巳芳子“いのちのスープ”』という、料理研究家辰巳芳子先生主演の素晴らしいドキュメンタリー映画があります。辰巳先生は映画の中で終始一貫して、食べるものを丁寧に手作りすることの大切さを訴えておられて、とても尊敬できます。しかし現代のライフスタイルにおいては、その考えによって苦しめられたり罪悪感を背負ってしまう人もいるはず。一方、料理研究家土井善晴先生の『一汁一菜でよいという提案』という本では、「まあ、無理せずご飯と具沢山の味噌汁くらいあれば良いんちゃう?」という提案がなされています。人によってはそれですら重く受け止めしまうかもしれないんですが、多分土井先生が仰りたいのは「料理を作ることをそんなに重く受け止めなさんな」っていうことだと思ってて。何しろ「究極、作ったもんが不味くても良いじゃん」みたいなことまで書いてあって。優しい物腰ですけど、あの人はパンクですよ。何より家庭料理の第一人者である土井勝先生の子供がそれを言う、ということに意味がありますよね。「肩に力を入れすぎなさんな」って。


ーでは、『蕎麦がき研究入門』では何を訴えたくて、それをどう表現しようと思っていますか?

石井:ですから、忙しい日々の中でちょっと時間がある、と。その隙間に簡単に作れるものの選択肢の中に、蕎麦がきが新しく加われば良いと思ってます。「蕎麦がきが普通に食卓に上がる日を目指す!」という野望があるんですが、その為にはむしろ気軽で手軽であることが重要だと思ってて。だから基本的な作り方や分量は提示しつつ、「蕎麦粉は国産であれ!」とか「これは絶対にこの分量を計らなきゃ駄目!」みたいな書き方はしてません。毎回、私自身が失敗もありうる状況で新しいレシピにチャレンジしつつ、方向性だけ伝われば良いと思ってて。「今回はトマトソースを試してみるけど、トマトソース自体は色々ググってみて!」くらいのノリで。今時、レシピなんて幾らでも見つかるんで、私は「蕎麦がきを使って何が出来るか?」という可能性だけ提示するに留めてます。見た人が「じゃあ違う作り方してみよう」も全然OK。こういったところも片手袋に通じるんですよね。私は世界で唯一の片手袋研究家でありますが、それ故に今は研究の土台を築き上げて可能性を提示してる段階なのです。これからは色んな人が色んな考え方やり方を気軽に持ち込んで欲しいんです。


ーなるほど。あくまで手軽さが重要なんですね。とはいえ、作るのが若干面倒臭そうなレシピもありますね。

石井:そうですね、揚げたりするのはやはり手間が掛かりますね。手軽だ、簡単だ、というのを主軸にしつつ、アレンジしたり手が込んだものを作る可能性も残しておきたいんですよね。忙しい中で何がなんでも手作りのご飯を用意する必要はないけど、たまに時間がかかるものを作って自分や人を喜ばせたい、というのも自然な欲求じゃないですか?特にコロナ禍において自宅生活が長引いた時、家で何かに作る楽しさに目覚めた人もいると思います。蕎麦がきはその意味でも最適で、あっという間に作れる手軽さと、多様なアレンジを加えても受け止めてしまう懐の深さと両方兼ね備えていて。ただ塩だけつけて酒のツマミにしても良いし、明太子とチーズを挟んで揚げてもいける。万能選手ですよ。


■今後の展望
ーこれまでブログをやってきて、新しい発見はありましたか?

石井:私自身、こういう機会がなければ「水じゃなくて牛乳で蕎麦がきを作ってみよう」とか思わなかったので、毎回発見の連続ですね。実はブログを始める前は新たなレシピの蕎麦がき料理を、毎回「マニアブログフェスタ」参加者の方々に試食してもらおうと思ってたんです。コロナによってその企画は実現できなくなりましたが、逆に「リモート蕎麦がき」なんていう企画ができました。あの企画のおかげで、「蕎麦がきにはナンプラーや蜂蜜が合う」なんていう発見もできました。


ー今後やってみたいレシピや企画はありますか?

石井:レシピはもっと大胆な冒険をしても良いですね。今はまだ置きにいってるんで。失敗する可能性がかなり高い挑戦もしてみたい。チョコでコーティングする、とか。あとは「リモート蕎麦がき」みたいに食べる環境や状況自体の模索もしたいですね。「アウトドア蕎麦がき」なんて面白そうだな、と思ってます。一人で突き詰めるのも良いんですが、色んな人と一緒に試行錯誤してみたいですね。

ーありがとうございました。最後に何かありましたら。

石井:本当に簡単に作れるものなんで、ぜひ試してみてください。一つだけ注意があるとすれば、フライパンはテフロン加工のものか、〇〇コートみたいなやつを使うこと。そうすれば極めて失敗の少ない料理なので。あとは「こんなのやってみて」とか「こんなことやりませんか」なんてご提案があったら、お気軽にご連絡ください。


■取材を終えて
身振り手振りを交え、熱く蕎麦がきを語る男の姿。途中から実際にフライパンや出来立ての蕎麦がきが我々の目に浮かんでくるような、そんな生々しいインタビューとなった。この男、まだまだ世の中をかき回していくに違いない。そう、それはまるで蕎麦がきを作るように。(インタビュー収録:6月1日 取材・構成:石井公二)