Seriously?

ひとりごとです

映画 ■■スポットライト 世紀のスクープ■■

2016年04月25日 | 映画
面白かった!



映画 ■■スポットライト 世紀のスクープ■■





ボストンの地域コミュニティの中でも
影響力の強いカトリック教会の
それまで住民から神様と思われていた
神父たちにより
数え切れないほど繰り返された性的虐待
教会による組織的な隠蔽を
地方紙が暴いて世界的に衝撃を与える話



日本ではあまり話題になってないが
数年前、英会話の授業でこの話を聞いて
信じられない卑劣な犯罪と
長年にわたる隠蔽に
驚愕した

しかも、性に溺れることから
一番遠いところにいると思われてきた教会で

善き人であれと説いている教会で

説いている本人が犯罪を犯し
幼い信者の心をズタズタに引き裂き
人生を狂わせ
それを教会全体で隠してきたのだ



しかし、隠蔽されてきた件数の
あまりの大きさを初めて知った時には
記者たちも呆然としたに違いない
しかも編集部メンバーの多くはカトリック信者
(形だけの…という人もいるかもしれないが)



しかし
実はこのスキャンダルをうかがわせる情報は
過去に何度か編集部に届いていた

それを「重要なことではない」と
見逃してしまっていたのは
無意識のうちに
自分が生まれ育った街のカトリック教会を
庇うような心理があったのかな?
それとも単なる
「教会に限ってそんな…」
という絶対的な信頼感があったからか?



今回
大規模な追跡に始動するためには
ユダヤ人の
他の町から来た編集長の登場が
必要だったのが興味深い



でもなんだか
欺かれていた信者たちにも
「神父様は、親切でいい人だった」
「神父様も弱い人間だったのだ」

可哀想になって同情する心理があるような気がする
(この辺は映画では描かれていないが)

「神父様は
それまで築いてきたものを全て失って
お気の毒
もうそれでいいじゃないか」
と、うやむやに流したい心理

それまで信じてきた
教会やキリスト教の世界そのものが
自分の根幹をなす価値観が
家族を1つに結ぶものが
全て偽りであったかのような衝撃

だから
すべてを繋いでいたものを壊したくなくて
見ないふりしたい心理
なかったことにしたい心理
なんだか
教会の罪の糾弾を
手加減したい心理があるような気がする

「そこを突いちゃあ、お終いよ~」
的な

バチカンだって
あまりいつまでもセンセーショナルに
話題にして欲しくない
もみ消したいだろうし

神父でなかったら
あれほどのレイプ犯は
徹底的に非難、攻撃されているだろうけど

実際のところ
信者の糾弾ぶりはどうだったのだろう?
現場にいなかったから分からない

手加減なんかしないで
長年の信頼を裏切られた怒りを
ストレートにぶつけたのかな?
普通の凶悪犯と同じように
厳しく批判したのだろうか?



神父たちは今も罪を償っているのか
もう出所しているのかな?



映画のあとのエンドロールで
ボストンでの暴露以降
他の町からも
同じようなカトリック教会の性的虐待が暴かれた
その都市のリストが流れるのだけど

アメリカだけでも津々浦々という有様だったけど
アメリカだけじゃないのね
ヨーロッパ各国
(挙がらない国はないという勢い)
南米、アジアでも…

今まで押し殺されてきた声が
一気に「私も…私も」と爆発したのだ

たった1つの地方紙が成し遂げたこの偉業は
本当に歴史的
これこそが奇跡のようだ



そして改めてジャーナリズムの力を感じた

何かの被害者になった時
糾弾したい時
一人一人が、その都度声をあげても
誰にも聞いてもらえない可能性が高い

声を集めて
情報を収集して
味方になってくれる人を探して
綿密に計画的に進めていくことで
初めて社会を動かすことができる

コラボレーションの力はすごい
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