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ひとりごとです

イザベラ・バード「日本奥地紀行」1〜4

2023年03月26日 | 読書

1878年(明治11年)

日本が西洋化を進めていた頃
イギリスの冒険家
イザベラ・バード
東京から日光
新潟から東北をまわって
北海道へ渡り
アイヌの集落を訪ね、寝食を共にし
暮らしぶりや
伝統・文化を紹介している
 
イザベラ・バードについては
Wikiをどうぞ
 
 

イザベラ・バード - Wikipedia

 
 
 
今でこそ東京から北海道まで
数時間で行けるが
当時は日光まで行くことさえ
大変な道のり
鉄道で行けるのはほんの少し
あとは馬に乗ったり
人力車や籠に乗ったり
徒歩で道なき道を進んだり
男性にとってでさえ
かなり困難な旅行だと思うが
それを女性がやってのけたとは
驚嘆しかない
 
冒険家というから
屈強で逞しい
肉体の限界に挑戦するような
冒険家かと思ったら
地理、歴史、民俗学
地質学、生物学、あらゆる知識を
豊かに備えておられ驚いた
(プラス屈強な体と桁外れの好奇心)
1人の学者さんが
学術的な本を出版するために
日本北上の旅を
実施したように感じた
その綿密な記録と考察力には
ひれ伏したくなった
 
 
当時の日本では
公家や武家出身の人達は
豊かで清潔な文化的な生活をし
高い学問をおさめていたようだが
 
そうでない家庭に育つ
裕福ではない人達は
ノミやシラミ、カビに覆われた
粗末な小屋で
ひどい生活をしていたようだ
 
明治時代の山口県の女性の識字率は
30%ちょっとだったそうなので
私が当時の日本に
女性として生まれていたら
おそらく、不潔な生活環境の中
読み書きもできないまま
一生を終えていただろう
同じ女性なのに
イザベラ・バードとえらい違い
 
 
最近、「親ガチャ」という言葉を
よく聞くけど
どの時代に生まれたか
どの国に生まれたか
どの町に生まれたか
どの民族に生まれたか
どの宗教を信じる家に生まれたか
男性に生まれたか女性に生まれたか
裕福な家庭に生まれたか
貧しい家に生まれたか
どのような家族構成に生まれたか
生まれた時の条件で
だいたい、どんな人生を送るか
決まってしまう
 
イザベラ・バードだって
文字を持たない少数民族として
生まれていたら
 
或いは虐待されて
生まれてから10年以上
地下室に幽閉されていたら
 
冒険家とは
違う人生が待っていたであろう
 
そんなことを考えた
 
 
でも私は昭和に生まれて
こうやって考えを文章にしたり
イザベラ・バードの紀行を
読んだりすることができる
とても恵まれたカプセルを
引き当てたのだ
 
やろうと思えば
彼女のように博学な女性になり
歴史に残る偉業も達成できた
可能性を含んだカプセルを
引いたと思うのだが
私が彼女のようには
ならなかったのは
やはり私にはそうできるほどの
才覚がなく
また、そうしようと目指す野心も
努力を続ける能力も
なかったのだということだ
 
とまあ
彼女の旅行記とは関係のない
そんなことを考えた
 
 
1871年に
アイヌ学校が設立され
アイヌの人びとにも
日本語による教育が始まった
…と、Wikiにはあるが
 
イザベラ・バードが
北海道を訪れたのは1878年だが
まだアイヌの人々は集落に住み
アイヌの伝統や文化が鮮やかに残る
暮らしをしていて
日本語を話す人も少なかったようだ
 
どんどん自分たちのテリトリーや
伝統や言語を
守っていくことが
難しくなっていることに対して
和人への不満や怒りは
感じられなかった
それは、この時点では
まだアイヌのアイデンティティーを
守った生活ができていたからなのか
 
とりあえず安堵したのだけど
自分の国の歴史なのに
全然知らないなあと
改めて思った
(いつもこれ)
 
 
終わりの辺りに
「この国(注: 日本)が近い将来豊かな国になると思わせるものは何もない。」
という文章がある
 
いやいや〜
 
日本の家屋はノミやシラミなどない
清潔なものになって
80年代から90年代は
日本企業が
ニューヨークのビルを買ったり
有名な絵画を買ったり
調子に乗ってましたけれども
 
真に豊かな国には
なってないのかもね
 
 
調子に乗って
「朝鮮奥地紀行」も読んでます
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