人生の記憶

30才になった記念に、これから日記をつけよう!

もう

2014年03月31日 | 日記
年度末。
期待だけを胸に社会に飛び出す前日は何年前だったかな。
あの時の理想通りのおっさんになれてるかなぁ?

自分では、給料が安いのは誤算だったが、充実した生活を送ってると思います。

今日でバスケ引退かな。

卒園式

2014年03月24日 | 日記
ついこの間まで赤ちゃんで、つい最近入園したと思ってたソラオ君が、お陰様で卒園式を迎えました。
この子の親としては喜びの気持ちでたくさんです。

彼が入園式を迎えるちょうど1月前、大震災が起こり、彼の入園式の前日震度6の余震がありました。
市川市はホットスポットと呼ばれており、よその場所に引っ越したり一時避難をしたりする家族もいる中でした。

園庭は当時立派な芝でしたが、数値が高いとの理由で刈られ、プール(水遊び)もなし。何を食べて何を飲めば良いかもわからない状態だったのを覚えています。

今現在、何かが解決した訳ではなく、依然私には想像出来ない困難に立ち向かっておられる被災者の方々、復興に向けて働く皆さん、福島第一原発で作業する皆さんがいらっしゃいます。
3年が経過し、風化してゆく現代社会に寂しさを感じます。

私は彼らの入園式の時、年長さんが歌った歌声で勇気付けられました。
その年長さんを彼らも立派に修了しました。
小学生になるソラオ列びに4月に小学生になる全ての児童が、健康で元気で、困った人に手を差し伸べられる様な優しい子供に大人に成長してくれる事を祈ります。

ソラオ君の将来の夢
マクドナルドのお兄さん

頑張れ!

私の3.11

2014年03月07日 | 日記
その日はいつも通りの金曜の午後だった。
船堀にある外注先に行く為に新大橋通りを営業者で走行していた。

朝から絵美子蒼空小桃は友達とイチゴ狩りに行ったので感想を聞こうと電話していた。
森下を過ぎ住吉辺りで、まだ友達の家に居た絵美子がそれを告げた。
「あっ地震だ。」
俺は車なので気付かなかったが、続けて
「何これ?デカイ!!蒼空!!」
と。
そこで俺の視界にある世界が揺れた。
足元から突き上げられる様な揺れ。

この時は直ぐに収まると思い、案の定直ぐに収まった。

3分後、また来た。最初からデカイ。
片側3斜線道路の一番右を走行していたが迷わずハザードを点け停車した。
後ろからクラクションを鳴らされたが、構わない。抜きたいなら抜いてくれ。
ただ、みんな止まった。1台トラックが一番左斜線を凄いスピードで通過したが、みんな止まった。
それくらい只事じゃない揺れ。
しかも終わらない。長い。永い。

「電話切らないで。大丈夫。落ち着いて。」
なんて言いながら、動揺しまくってた。

街路樹が揺れている。信号が揺れている。ビルが揺れている。道路が波打ってる。
車で潰されるのはごめんだと思い、車を降りた。
歩道はビルの外壁が落下している。歩道は危ない。
老夫婦がおろおろしている。「こっちだ!!」と。
6斜線道路の真ん中なのでビルが倒れても大丈夫だと思った。
老夫婦がよぼよぼ来た。「俺に捕まって」
あーこの世の終わりだ。と思った。
電話に向かって「大丈夫」。老夫婦に向かって「大丈夫」。自分自身に「大丈夫」と励まし続けた。

止まった。

老夫婦を歩道に戻し、車に戻った。
生きてた。これが正直な感想。
絵美子蒼空小桃も無事だ。

また来るかも知れない。
電話は2度と繋がらない筈だからこのまま通話は続けた。

10分程で外注先に到着。
従業員は全員室外に非難している。
少し喋っていると、また来た。

この回の揺れはまた大きく長く永く、下町の工業地帯&首都高の脇という立地の為
前2回に無かった聴覚的な恐怖があった。
あちこちで鉄板が落ちる音。爆発音(これが何だったのか分からない)。

ここではじめて家に帰ろうと判断した。
会社に戻ったら、たぶん家に帰れない。家族に会いたい。

外注先を後にし、家路に向かった。
この時間はまだ大渋滞が始まっておらず京葉道路で帰った。

携帯のワンセグで情報収集。震源?震度?
故郷が震源だ。
画像には津波の映像。津波の映像というより黒い何かが猛烈な速さで田圃を飲み込んで行く、引いた画像。
何だこれは?何が起きているんだ?
アナウンサーは、高い建物に非難して下さいと繰り返している。

当然、母、兄には繋がらない。北海道にいる姉に電話。繋がった。
無事だ。地震直後電話したら母に繋がったらしく無事との事。
安堵。兄も絶対大丈夫だ。

何だ?何が起きてるんだ?頭は大混乱。

友人宅でテレビを見ている絵美子も色々情報をくれる。
お台場のビルが燃えてる。どこどこが燃えてる。どこどこで爆発してる。

篠崎⇒市川間は高速に乗る訳だが、市川から先は既に通行止め。
ここから大渋滞。
市川ICから家まで1時間くらい掛かって漸く自宅に到着。

そのまま妻子を迎えに。この辺りで絵美子との電話を切った。
絵美子と電話が繋がっていたのは、本当に心強かった。
俺がしっかりしないと。と心から思ってた。

友人宅に到着。車はある。車も無事だ。
近くの広場に避難してるってんで捜査開始。

うぉい。いねーぞ。走り廻って探す俺。ここのはずなのに。
電話掛け捲る。
出た。「友達の家に戻ってた」
なんだそりゃ。

漸く家族と会えた。蒼空は泣いていなかった。抱き上げる。
小桃は1歳。絵美子に抱っこされてる。
絵美子も抱き上げたかったが、自重。

家に帰る。
我が家の愛犬バンビさんがテレビに潰されて居ない事を祈り、
まず、俺だけ家に入る。
この時点でキャンキャン大鳴き。
生きてた。

家の中の被害は正直覚えていない。
あらかた絵美子が片付けてくれた。

そこから、ずーーっとテレビを見ていた。
愛する故郷が壊滅的被害を受けている。らしい。
たくさんの人が津波により亡くなっているらしい。
火事が起きているらしい。
ずーーっとテレビを見ていた。

蒼空にも見せた。見ておけと言った。今思うと判断間違えたかも知れないけど、
一面火の海の気仙沼の映像を見せた。
忘れるな。大きくなっても、絶対忘れるな。と言った。

それ以降、テレビは見せなくした。
絵美子にも極力見るなと言った。

俺だけ見てた。

家族は寝かせた。

俺は朝まで起きてた。朝までテレビを見てた。
何も出来ない。ただ自分の無力を思いテレビを見てた。
ただ、テレビを見てた。
ただ、起こっている状況を眺めていた。