そらんぢ堂

『そらんぢ』の【墓標】

謎の生命体らしいです(笑)

2023年08月13日 19時30分00秒 | 超雑記
だってそうらしいのです。
そう記す人が在るのです。

私からすると、これを記してくれた人も、十二分に謎多き生き物なのですけどね。

ごめんなさいね、と、お互いに。

曖昧は排除して、ゆるりと、以前と変わらぬ孤独と言う名の罪と罰により背負った業を、楽しんでいきましょう。

何しろ終活の身。
数え切れない程の走馬燈を未だ繰り返し見ている者、それが私。

南風も北の空も、未来のものなら要りません。

私には走馬燈だけ下さいな。





ただの仮説である🤔

2023年08月02日 14時00分00秒 | 超雑記
世間を賑わせている『ススキノの首切断殺人事件』。

殺害状況を【動画撮影】していたとの最新記事を目にして、これまでのイメージとは明らかに逆方向への考えを持たざるを得なくなった。

【ここから先は私の個人的な仮説です】

まず何者かが最初から、イメージコントロールしようとしていたよね?

それは父親なのか母親なのか。

私が考えるストーリーはこうだ。

娘の異常性が限界突破して、いよいよ本物のモンスターが正体を現した。恐れた父親は家の外での生活を開始。

ちなみに殺害された被害者との出会いは5月頃と推測されていて、父親の庭先キャンプは、それより前から始まっている。

つまり被害者と娘とのトラブルの後に、見張りの為に云々は『嘘』と言う事になる。

次に家の中が荒れ放題なのは、それこそモンスターが暴れまわった痕跡そのもの。増えていったクーラーボックスは、もしかしたら殺人を犯す前の『訓練』、もしくは殺人を抑制する為の『小動物等の殺害や解体後の処理、保管用』でなかっただろうか。

ところで何故母親は未だに顔写真すら公開されないのか?

娘がモンスター化したとして、この大事件の【ストーリー化】には、実は母親の脚本が存在していないだろうか?

被害者の斬首された男性は、もしかしたら【手頃な生贄】だったようにすら思える。

被害者の趣向等の噂を入手し、過去にこんなトラブルを起こした『酷いやつ』なんです…と、事実初期の報道や我々一般市民の印象操作には見事成功している。

さてさて、このストーリーを描いた者は一体誰なのか?

今後ますます目が離せない展開です。

霧に巻こうとしていた霧が、少しずつ晴れだした気がします。

捜査機関の皆様には、更なる真実の解明に期待します。

事実は小説より奇なり。
まさしくそうですね。

『間違いではありません』

2023年06月16日 09時30分00秒 | 超雑記
コメント欄を閉じているのは、余計なトラブルを避けたいのもあるけど、私がブログをやっているのは、最長では詩集が出版された頃からの長い時間を過ごした『数少ない貴重なファン(仲良し様)の方々』にだけ、近況報告や言霊を伝えられたら良いかなと思って開いているから。

そしてそういう方々とは、何らかの形で連絡を取り合う手段が確保されているから。

なのでコメント欄やメッセージのやり取りする場は必要ない…と言う、ただそれだけの事なのです。

しかしなんだ。
梅雨のせいか、最近すこぶる調子が悪いワタクシです。

🐸さん、元気を下され〜🐸




言の葉の達人たち✨

2023年02月16日 18時00分00秒 | 超雑記
私が詩を書き出したのは、バンド活動や曲作りに由来する。

当時作曲はするものの、真面目に書く『歌詞』は、それはもう酷いものであった。
※おふざけ歌詞は何故か書けました。

とにかく言葉を書き綴り、様々な文章を作った。

やがて、少しずつではあるが『自分なりの心地良いリズム』みたいなものを発見する。

リズム…つまり『声にして読んだ時でも心地良い文』だ。

自分なりの結論は、果たして世間的にはどうだろか?と、個人HPが流行っていた頃でもあったし、自分のホームページで作品を掲示しだした。

もうこの頃になると『歌詞』の事からは完全に外れ、自分なりのリズム感の言葉綴りばかりするようになった。

私はどうやら『短い詩』を心地良いと感じるみたいだ。

なるほど、確かに書き連ねた文章から、余分なものを削いで削いでとやるうちに、完成を見た作品たちは、ホームページを訪れてくれる方々から『いいね』と評価されるようになった。

そんな中で、ある常連さんから、『コンテストがあるから応募してみて』と言われ、冗談半分で応募したことにより、結果的に詩集が出版されて全国発売されることになった。
※現在は出版社倒産により詩集(中古本以外は)は手に入りません。

そんなこんなで、大病をした今でも、懲りずに同じやり方(それしか出来ないしね)で、『詩もどき』を書き綴っている訳なのですが、やはり短い言の葉の中にありったけの感性を詰める奥義と言うか、その究極は俳句や短歌なのだろうと思います。

今昔問わず歌人たちは皆とてつもない感性と魂を注ぎ込む。

残念ながら私はその様な力を持ち合わせてはいない。

本気で尊敬しますし、私には真似が出来ません。

まあ、私は私の気の向くままの言の葉遊び、まだもう少し続けてみたいと思います。