祖父が生きてる時に今生きてるのは藤沢に軍事工場がなかったからだと 飛躍して私に話してたのかもしれないけど 藤沢に軍事工場はなかった
平塚には軍事工場などがあってかなり襲撃をうけたと聞いた
祖父の友達の中には親が亡くなった人や家が焼かれた人もいたらしい 戦争の時は子供だった祖父
空を戦闘機が飛んで行くのを見ていたと言ってた
藤沢の町は物乞いをする人が多くいて 軍人姿だったり偽物もいたって
そんな話の中 藤沢に軍事工場があったら私達は今居ないのだよと
日本から見た戦争
庶民から見た戦争
色々あるけど
今生きてるのは 色んな人たちの悲しみの数々があって それを糧に戦後頑張って来た人たちがいたからこそだと思ってます
誰だって戦争なんかしたくないし巻き込まれたくない
せめて頑張ってくれた人達に顔向け出来るように生きていきたいなと
おじいちゃんはどう思ったんだろう
それを聞かずにお別れしてしまった
平和であれ 平和であれ