一ヶ月間、休む暇もなく、ただただ公●党のために戦う「法戦」を続けた結果、私たちの担当した候補は当選しました。
候補が当選したその日、お祝いムードでジュースとか飲んでいると、
別の子たちが担当した別の候補が酔っ払い、遊説の女子部の体に触って注意を受けたという話が飛び込んできました。
当時はまだちょっと触った程度のセクハラで捕まるとかなかっったので、注意だけで終わったようでした。
でも、私たちが一ヶ月間、それこそ死にもの狂いですべての自分の時間を捧げて当選させた候補が、
セクハラをするような候補だったなんて、その子たちが可哀想だなと思いました。
だけど、もうマインドコントロールは確立していたので、
だからといって創価学会に疑問を抱くことも、公●党を支援に疑問を抱くことはありませんでした。
この一ヶ月間はいったい何だったのか……改めて振り返ってみました。
生まれた時、少年少女部、中等部、高等部と続けられてきたマインドコントロールは、
この一ヶ月で完全に完成したのだと思います。
こうなってしまうともう、マインドコントロールが解けるのは容易ではなくなります。
この期間がなければ、私はもう少し早く覚醒できていたかもしれません(できなかったかもしれませんが)。
最初はF活動のFが何かすら知らない状態から始まりました。
反発をしようにも、それすら許されないある意味で異常な閉鎖された空間に閉じ込められた一ヶ月間。
疑問を抱くと、すぐさまそれを創価の常識で書き換えられる「幹部指導」。
仕事と練習とF活動で自分の時間がほとんどなく、何かをじっくり考える余裕すらありませんでした。
「他の考えが入り込む隙間がない」ということが効率よくマインドコントロールを完成させるための条件なのかもしれません。
最初はみんな同じように「池田さん、なにそれ?」「選挙?なにそれ?」「F?なにそれ?」状態だったのが、
選挙が終わる頃には私も含めて全員が見事なぐらいの創価学会の活動家になっていました。
ずっとこんなふうにして、私の先輩も、私の母親も、幹部たちも皆、マインドコントロールされてきたのでしょう。
一歩離れてみれば、創価学会がいかに異常なものなのか分かるのですが、
その一歩離れる隙を与えないというのが、創価学会のマインドコントロールが成功している理由かもしれません。
一歩離れる暇もないぐらいに、会合会合……そして戦い。折伏、選挙、新聞……。
たとえ会合が休みだったとしても、「次の月曜はあの報告」「来月はあの戦い」となってくると、
体は離れていても、心が離れる暇がありません。
あのスケジュール帳が芸能人並みに埋まってしまう過密な会合日程は、
マインドコントロールを持続させ、解かせないためのものなのでしょう。
友好期間といって、夏休みの時や年末年始など会合が2週間近くお休みになる時期があります。
でも、それが終わると「友好期間中の友好活動のノルマ報告」が待っています。
選挙前だとF報告だったり、折伏期間中だと友達と仏法対話をした数だったり、パンフレットを配った人数だったり。
民音主催の美術展などがあったりすると、それに連れ出した友達の数とかも報告しなければならなかったりします。
だから、お休みとはいえ、結局活動してることになるんですよね。
創価の入り口のドアは簡単に開くのに(むしろ自動ドア?)、出口のドアは容易には開きません(複雑な暗証番号付のロックがかかったドア)。
私と同じようにご自身の体験を書かれていた方のブログに書いてありました。
もしも創価学会に少しでも疑問を抱くことがあったなら、少しだけ離れてみてください、と。
私もこの意見に同感です。
少し離れるだけで、異常なものは異常だと認識できると思います。
ただ、それだけでマインドコントロールは解けないとは思います。
私も創価の活動を完全に休止してから覚醒するまでに五年ほどかかりましたから。
でも、「あれ?なんか創価ちょっとおかしくない?」というきっかけにはなるはずです。
少し離れてみることすらできないその状況が、そもそも異常だということに私ももっと早く気付いていれば。
とは思いますが、いったんマインドコントロール下に置かれてしまうと、
すべての思考が書き換えられてしまうので、なかなか気づけません。
結局自分で頭打ったり転んだり鼻血を出したり骨折したりしないと気付けないのかもしれません。
それは分かってはいるのですが、やはり一人でも多くの人が、なるべく早く、なるべく痛い思いをせずに、
創価の間違いに気付いて欲しいなと思います。
候補が当選したその日、お祝いムードでジュースとか飲んでいると、
別の子たちが担当した別の候補が酔っ払い、遊説の女子部の体に触って注意を受けたという話が飛び込んできました。
当時はまだちょっと触った程度のセクハラで捕まるとかなかっったので、注意だけで終わったようでした。
でも、私たちが一ヶ月間、それこそ死にもの狂いですべての自分の時間を捧げて当選させた候補が、
セクハラをするような候補だったなんて、その子たちが可哀想だなと思いました。
だけど、もうマインドコントロールは確立していたので、
だからといって創価学会に疑問を抱くことも、公●党を支援に疑問を抱くことはありませんでした。
この一ヶ月間はいったい何だったのか……改めて振り返ってみました。
生まれた時、少年少女部、中等部、高等部と続けられてきたマインドコントロールは、
この一ヶ月で完全に完成したのだと思います。
こうなってしまうともう、マインドコントロールが解けるのは容易ではなくなります。
この期間がなければ、私はもう少し早く覚醒できていたかもしれません(できなかったかもしれませんが)。
最初はF活動のFが何かすら知らない状態から始まりました。
反発をしようにも、それすら許されないある意味で異常な閉鎖された空間に閉じ込められた一ヶ月間。
疑問を抱くと、すぐさまそれを創価の常識で書き換えられる「幹部指導」。
仕事と練習とF活動で自分の時間がほとんどなく、何かをじっくり考える余裕すらありませんでした。
「他の考えが入り込む隙間がない」ということが効率よくマインドコントロールを完成させるための条件なのかもしれません。
最初はみんな同じように「池田さん、なにそれ?」「選挙?なにそれ?」「F?なにそれ?」状態だったのが、
選挙が終わる頃には私も含めて全員が見事なぐらいの創価学会の活動家になっていました。
ずっとこんなふうにして、私の先輩も、私の母親も、幹部たちも皆、マインドコントロールされてきたのでしょう。
一歩離れてみれば、創価学会がいかに異常なものなのか分かるのですが、
その一歩離れる隙を与えないというのが、創価学会のマインドコントロールが成功している理由かもしれません。
一歩離れる暇もないぐらいに、会合会合……そして戦い。折伏、選挙、新聞……。
たとえ会合が休みだったとしても、「次の月曜はあの報告」「来月はあの戦い」となってくると、
体は離れていても、心が離れる暇がありません。
あのスケジュール帳が芸能人並みに埋まってしまう過密な会合日程は、
マインドコントロールを持続させ、解かせないためのものなのでしょう。
友好期間といって、夏休みの時や年末年始など会合が2週間近くお休みになる時期があります。
でも、それが終わると「友好期間中の友好活動のノルマ報告」が待っています。
選挙前だとF報告だったり、折伏期間中だと友達と仏法対話をした数だったり、パンフレットを配った人数だったり。
民音主催の美術展などがあったりすると、それに連れ出した友達の数とかも報告しなければならなかったりします。
だから、お休みとはいえ、結局活動してることになるんですよね。
創価の入り口のドアは簡単に開くのに(むしろ自動ドア?)、出口のドアは容易には開きません(複雑な暗証番号付のロックがかかったドア)。
私と同じようにご自身の体験を書かれていた方のブログに書いてありました。
もしも創価学会に少しでも疑問を抱くことがあったなら、少しだけ離れてみてください、と。
私もこの意見に同感です。
少し離れるだけで、異常なものは異常だと認識できると思います。
ただ、それだけでマインドコントロールは解けないとは思います。
私も創価の活動を完全に休止してから覚醒するまでに五年ほどかかりましたから。
でも、「あれ?なんか創価ちょっとおかしくない?」というきっかけにはなるはずです。
少し離れてみることすらできないその状況が、そもそも異常だということに私ももっと早く気付いていれば。
とは思いますが、いったんマインドコントロール下に置かれてしまうと、
すべての思考が書き換えられてしまうので、なかなか気づけません。
結局自分で頭打ったり転んだり鼻血を出したり骨折したりしないと気付けないのかもしれません。
それは分かってはいるのですが、やはり一人でも多くの人が、なるべく早く、なるべく痛い思いをせずに、
創価の間違いに気付いて欲しいなと思います。