私が中学三年生で受験生だったとき、創価学会で自分なりに頑張って活動していた母が自殺未遂をしました。
度重なる父の浮気が原因です。
あの頃のことは思い出すだけでも、ちょっとしんどい。
けど、頑張って思い出してみようと思います。
創価学会系精神病院で躁鬱病なのに鬱病と誤診された母の病状は、
まったく良くなる気配はなく、悪くなっていく一方でした。
すでに通院を始めてから六年が経過していました。
非会員の祖母は「六年も通っていっこうに良くならないのは病院がおかしいんじゃないか」と言っていました。
母は父の浮気相手に対し、中学生だった私に電話をかけろと毎日のように怒鳴りました。
浮気相手の家の電話を母は知っていたようです。
電話をかけて相手の女性に「女狐、古狸と言え!」とものすごい形相で迫るのです。
言うことを聞かないとわめき、怒鳴り、泣き叫び、家の茶碗やお皿をベランダに投げつけてたたき割り、
それでも気が済まなければ、ベランダのガラスをたたき割りました。
私と弟や妹たちは母のヒステリーがおさまるのを、体を小さくして部屋の片隅で祈るように待つしかありませんでした。
こりゃ父も浮気したくなるわな、と大人になった私が思うほどの騒動が毎日のように起きていました。
そしてある日のこと。
母はきょうだい全員分と自分のお寿司を出前で頼みました。
よく分からないけど、お寿司なんて食べるの久しぶりだったので喜んで食べました。
お金大丈夫なんかなとか話をしながら。
そして、食べ終わってしらばくした頃、母がトイレに行く気配がしました。
どたん、とものすごい音が響きました。
トイレから出ようとした母が倒れているのです。
意識は朦朧としているようで、様子がおかしく、近所に住む祖母を呼びました。
祖母はすぐに救急車を呼ぼうと言いました。
そこへ父が帰ってきました。
父は救急車を呼ばなくてももう少し様子を見たら、と言いました。
でも、祖母は救急車を呼びました。
私と父が救急車に乗っていくことになりました。
救急隊員の方から母が倒れるまでの様子を聞かれ、何かかかりつけの病院はありますかと聞かれたので、
創価学会系精神病院の名を言うと、父が「言わんでええ」と睨み付けてきました。
ですが、救急隊員の方が毅然として「言ってください」と言いましたので、もう一度はっきり病院の名を言いました。
結局、母が倒れたのは、その創価学会系精神病院から出された薬をすべて飲んだことによるものだったのです。
精神病院から出される薬は、全部飲んでも死ぬようなことはないように作られているそうで、
たどり着いた病院で母はその薬を口の中に手を突っ込まれるかなんかして全部吐き出させられました。
おえええ、という母の声が聞こえてきて、同席していた看護師さんも気分が悪くなって吐いたという話が聞こえてきました。
母の様態が落ちついて、父と一緒に家に帰りました。
当時、父は創価学会の活動をまったくしておらず、勤行唱題もしていませんでした。
その時の私は創価学会から作り上げられた真面目な女子中等部員でしたので、家に帰るとお仏壇の前に座り、お題目をあげました。
気がつくと、父が後ろに座っていました。
「お父さんも今日から一緒にやるわ」と言い、一緒に勤行しました。
今考えても、何であの時、仏壇の前に座ってしまったんだろうと思います。
父のためには創価学会に戻らない方が絶対に良かったと。
父はそれ以来、学会活動もする壮年部員になりました。
毎日、お題目も勤行もするようになりました。
浮気していた女性とも別れました。
母が見る見るうちに元気になったのは言うまでもありません。
今、晩年を迎えた父はアルコール依存症で二度目の入院をしています。
どんな病でも治るはずの信心ですが、父のアルコール依存症は行き着くところまで行ってしまいました。
もう治りません。
ただ、死んでいくまでになるべくお酒を飲まないように気をつけるしかありません。
二度目の入院はお酒の万引きによる入院ですので、なるべく万引きをしないようにも気をつけなければなりません。
そのことはまた別の時に詳しく書きたいと思いますが、
創価学会の信心をしていなければ、父にはもっと別の人生があったのではないかと思ってしまうのです。
アルコール依存症の専門病院には、人間革命を手にした創価学会員らしき人もちらほら見受けられます。
アルコール依存症というのは途中で進行を止めることが可能な病気です。
それなのに、もう手立てがない、行き着くところまで行ってしまうというのは……。
つまりは「どんな病でも治る」は嘘だということを、父を始め多くの創価学会員のアルコール依存症の方々が証明されているわけです。
「いかなる病障りを成すべきや」中学時代に暗記させられたこれも、今となっては空しい言葉ですね。
余談ですが、アルコール依存症はある程度のお酒を毎日二十年から三十年飲み続けると、どんな人であっても必ずなる病気です。
だから、もしこの記事を読まれているアルコール好きの方がいらしたら、
週に一度か二度の休肝日を作ってください。
たったそれだけのことで、アルコール依存症は防ぐことができます。お題目では防げません。
もしそれができないのであれば、すでにアルコール依存症の土台ができているということですので、
専門病院を早めに受診してください。
早めであれば手立てがあるかもしれません。
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度重なる父の浮気が原因です。
あの頃のことは思い出すだけでも、ちょっとしんどい。
けど、頑張って思い出してみようと思います。
創価学会系精神病院で躁鬱病なのに鬱病と誤診された母の病状は、
まったく良くなる気配はなく、悪くなっていく一方でした。
すでに通院を始めてから六年が経過していました。
非会員の祖母は「六年も通っていっこうに良くならないのは病院がおかしいんじゃないか」と言っていました。
母は父の浮気相手に対し、中学生だった私に電話をかけろと毎日のように怒鳴りました。
浮気相手の家の電話を母は知っていたようです。
電話をかけて相手の女性に「女狐、古狸と言え!」とものすごい形相で迫るのです。
言うことを聞かないとわめき、怒鳴り、泣き叫び、家の茶碗やお皿をベランダに投げつけてたたき割り、
それでも気が済まなければ、ベランダのガラスをたたき割りました。
私と弟や妹たちは母のヒステリーがおさまるのを、体を小さくして部屋の片隅で祈るように待つしかありませんでした。
こりゃ父も浮気したくなるわな、と大人になった私が思うほどの騒動が毎日のように起きていました。
そしてある日のこと。
母はきょうだい全員分と自分のお寿司を出前で頼みました。
よく分からないけど、お寿司なんて食べるの久しぶりだったので喜んで食べました。
お金大丈夫なんかなとか話をしながら。
そして、食べ終わってしらばくした頃、母がトイレに行く気配がしました。
どたん、とものすごい音が響きました。
トイレから出ようとした母が倒れているのです。
意識は朦朧としているようで、様子がおかしく、近所に住む祖母を呼びました。
祖母はすぐに救急車を呼ぼうと言いました。
そこへ父が帰ってきました。
父は救急車を呼ばなくてももう少し様子を見たら、と言いました。
でも、祖母は救急車を呼びました。
私と父が救急車に乗っていくことになりました。
救急隊員の方から母が倒れるまでの様子を聞かれ、何かかかりつけの病院はありますかと聞かれたので、
創価学会系精神病院の名を言うと、父が「言わんでええ」と睨み付けてきました。
ですが、救急隊員の方が毅然として「言ってください」と言いましたので、もう一度はっきり病院の名を言いました。
結局、母が倒れたのは、その創価学会系精神病院から出された薬をすべて飲んだことによるものだったのです。
精神病院から出される薬は、全部飲んでも死ぬようなことはないように作られているそうで、
たどり着いた病院で母はその薬を口の中に手を突っ込まれるかなんかして全部吐き出させられました。
おえええ、という母の声が聞こえてきて、同席していた看護師さんも気分が悪くなって吐いたという話が聞こえてきました。
母の様態が落ちついて、父と一緒に家に帰りました。
当時、父は創価学会の活動をまったくしておらず、勤行唱題もしていませんでした。
その時の私は創価学会から作り上げられた真面目な女子中等部員でしたので、家に帰るとお仏壇の前に座り、お題目をあげました。
気がつくと、父が後ろに座っていました。
「お父さんも今日から一緒にやるわ」と言い、一緒に勤行しました。
今考えても、何であの時、仏壇の前に座ってしまったんだろうと思います。
父のためには創価学会に戻らない方が絶対に良かったと。
父はそれ以来、学会活動もする壮年部員になりました。
毎日、お題目も勤行もするようになりました。
浮気していた女性とも別れました。
母が見る見るうちに元気になったのは言うまでもありません。
今、晩年を迎えた父はアルコール依存症で二度目の入院をしています。
どんな病でも治るはずの信心ですが、父のアルコール依存症は行き着くところまで行ってしまいました。
もう治りません。
ただ、死んでいくまでになるべくお酒を飲まないように気をつけるしかありません。
二度目の入院はお酒の万引きによる入院ですので、なるべく万引きをしないようにも気をつけなければなりません。
そのことはまた別の時に詳しく書きたいと思いますが、
創価学会の信心をしていなければ、父にはもっと別の人生があったのではないかと思ってしまうのです。
アルコール依存症の専門病院には、人間革命を手にした創価学会員らしき人もちらほら見受けられます。
アルコール依存症というのは途中で進行を止めることが可能な病気です。
それなのに、もう手立てがない、行き着くところまで行ってしまうというのは……。
つまりは「どんな病でも治る」は嘘だということを、父を始め多くの創価学会員のアルコール依存症の方々が証明されているわけです。
「いかなる病障りを成すべきや」中学時代に暗記させられたこれも、今となっては空しい言葉ですね。
余談ですが、アルコール依存症はある程度のお酒を毎日二十年から三十年飲み続けると、どんな人であっても必ずなる病気です。
だから、もしこの記事を読まれているアルコール好きの方がいらしたら、
週に一度か二度の休肝日を作ってください。
たったそれだけのことで、アルコール依存症は防ぐことができます。お題目では防げません。
もしそれができないのであれば、すでにアルコール依存症の土台ができているということですので、
専門病院を早めに受診してください。
早めであれば手立てがあるかもしれません。
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