お天道様は見てござる

元創価学会員。現在は公明党が熱烈に推進し、ビルゲイツから感謝状をもらったコロナワクチンの問題について綴っています。

創価学会を卒業します!

2016-10-22 05:43:18 | 日記
少し前の記事からお知らせをさせていただいておりましたが、この記事の更新をもちまして、ブログの更新を終了させていただきます。
ただ、ブログ自体は残しますので、もう更新はしないブログではありますが、それでもよろしければリンク等はご自由にしていただいても大丈夫です。

このブログを書こうと思ったのは、あくまでも自分の気持ちの整理のためでした。
自分の気持ちを整理し、マインドコントロールから覚醒してもなお、創価学会に振り回され続ける自分を何とかしたい気持ちからでした。
創価学会に振り回されるたびに、自分の人生の貴重な時間が再び創価学会に奪われているということに気付いたからでした。
ブログを始めるに当たって最初にいくつかの決まり事を自分で決めていました。
1.あくまでも自分が見聞きしたことを中心に書くこと。自分で見聞きしてないものは必要最小限でなるべく書かないようにすること。
2.自分の経験をすべて書き終えたら、ブログの更新を終了すること。終了してもブログは削除しないこと。
3.自己憐憫に陥らないこと。自分が可哀想という気持ちに絶対に酔わないこと(これ沼です。罠です。足を取られてしまい、本末転倒になります)。
4.たとえつたなくても、起こった出来事、その時の気持ちを自分なりにしっかり分析すること。
目的が自分の気持ちの整理、創価学会との心理的な決別でしたので、上記のような決まり事を最初に決めました。
結果、どうだったかと言うと、正直すべての気持ちが整理できたわけではありません。
今も思い出して腹が立つことはあります。
ただ、自分がブログを書き始めるときと今とでは、随分と気持ちが変わってきました。
つまり、かなり整理できたんじゃないかなと思います。
昨日更新した「私が創価学会の脱会に踏み切らざるを得なかった理由」を書いているときは、
まだ最近のことだということもあり、気持ちがかなり苛立ったりしてしまいましたが、
それもこれももう、こうしてブログに書いてやった!ということで、整理をつけたいと思います。
どこかで、諦めというのか、これでよし!という気持ちにならなければ、
私の創価学会に対する憎しみは永遠に続いてしまうような気がします。
なぜなら、その理由は、私が何の分別もつかない赤ん坊の頃に自分の意志とは無関係に入会させられたからです。
スタートがいったい何だったのか、自分自身が知らないからです。
どうして創価学会に入会したのか、何のために創価学会が自分に必要だったのかという入会動機がないからです。
だから、自分で決めて自分で終わらせる必要があります。
こうして自分の見聞きしたものをすべて書いてやった!ということで、今日から私は憎しみを捨てる努力をしていこうと思います。
自分の意志で創価学会と決別し、あれもこれも追求してやろうとかいう執着を捨て、私は創価学会を卒業します。
このブログにコメントしてくださった方には、私と同じような学会二世、三世の方もいらっしゃいました。
自分がまだ言葉も話せない、生まれて三ヶ月の時に、自分の意志とは無関係に創価学会に入会させられる。
これは他の方には……おそらく親にも想像もできないほどに残酷なことです。
経験した方にしか、この気持ちはおそらく分からないのではないかと思います。
説明の仕方が非常に難しい部分でもあります。
そして、この気持ちに決着をつけることは、入会させた親でもなく自分自身にしかできません。
気がつけばマインドコントロールが完成していたという、私と似たような境遇の方も多くいらっしゃると思います。
私が子どもの頃、今とは違って未来部はとても人数が多かったです。
あの時の仲間が、いったい今はどうしているのだろうと気になることがあります。
私がこのブログを書こうと思ったのは、あくまでも自分の気持ちを整理することが目的ですが、
もうひとつだけあげるとすれば、同じような境遇の方が、自分の意志など持つ前の赤ん坊の時に強制的に創価学会に入会させられた方が、
私と同じように文章にしてみることによって気持ちの整理をつけることができればいいなという気持ちもありました。
ブログでもいいし、誰にも見せることのない日記でも良いと思います。
ただ、誰にも見せない形のものでも、誰かが見ていると意識して、他の人が見ても理解ができるように状況を説明するよう頑張ってみてください。
誰かに出す手紙を想定してみるのもいいかもしれません。
そうすれば、まず自分がその時の状況を改めて理解することが出来ます。
新しい視点で新しいことに気づけることもあります。
自分で自分を見つめるようにして、冷静に、生まれた時からのことを思い出して綴り、分析してみて欲しいと思います。
文字で他の人にも状況を理解できるように書くというのは、自分を冷静にさせてくれます。
私はこうしてブログという他の人に読んでいただく形を取りましたが、これはブログを更新する励みになりました。
そして、思いもかけずたくさんの方にブログを読んでいただいたことは、
最後の脱会の部分までちゃんと書き続けることができた理由だと思います。ありがとうございました。
また、文章で綴っていくと、今まで記憶として理解はしていても、また違った見方ができることもあります。
私もブログを書いているうちにそうしたことがいくつもありました。
創価学会に対してさらに腹の立つことも出てきたりしますが、それもそれとして受け入れれば、自分の気持ちの整理になります。
私の場合は「祖父が死んだら祖母が勝手に創価学会員にされていた」という事実は理解していたのですが、
今回改めてブログを書きながら、「ああ、あれはノルマのためだったんだ……」と初めて気付いたことがありました。
さらに創価学会に腹が立ちましたが、昔からそれだけどうしようもない組織だったんだと理解を深める手助けにもなりました。
また、創価学会の文化祭に出たときのことを綴りながら「あ、そういえばあの弁当高かった。あれもひょっとして……」と初めて思い至ったりしました。
そういう自分でも今まで気付かなかったという多くの発見がありました。
そうしたことが出てきたときに、腹を立てるだけじゃなくて、分析してみると、それが気持ちの整理に繋がったりしました。
思い出すのは辛い作業となるときもありましたが、
何に腹が立っているのか分からず腹を立て続けているよりは、ここが腹が立つ、ここも腹が立った、こういう理由で腹が立ったと
ひとつひとつの理由を解明していけば、それは気持ちの整理に繋がります。
気持ちが整理されていけば、訳が分かって腹がたつ、なので、少しマシになります。
書かないよりは書いた方が、きっと気持ちの整理はついていくのではないかな、と思ったりします。
学会二世の場合は、入信動機がないので、いったいいつから始まってこうなったのか分からないので、
特に細かな分析が必要になってくると感じます。
また、学会二世の方ばかりでなく、このブログをご覧になっている方は、
創価学会のために傷ついた経験をお持ちで、まだ傷の癒えていない方が多いのではないかと思います。
そうした方にも、文字で気持ちや経験を綴ってみることはおすすめしたいです。
誰かに公開するブログやSNS等でも、非公開の日記や手紙でもいいと思います。
さまざまな理由で創価学会に振り回され、その出口が見つからなという人には特におすすめです。
訳も分からず創価学会に腹を立てている時間、それはまぎれもなく自分の大切な人生の貴重な時間で、
そんな貴重な大切な時間を創価学会にくれてやる義理はありません。
なので、いろんな方のそうした時間が少しでも減っていけばいいなと思っています。
読んでくださる方の存在に励まされ、気がつけば一気に、子どもの頃からのことを綴ってきました。
気がつけばこの記事で45記事(これを含めると46記事)……こんなに書くことになるとは思いませんでした。
でも、全部綴るとこんなことになっていました(汗)。
自分の中にこんなにも鬱憤がたまっていたことにも驚きました。
でも、おかげで、鬱憤的なものはかなり解消したように感じます。
だからもう、創価学会に振り回されるのはこれで終わりにします。終わりに出来るように努力していきます。
自分のために。自分のこれからの人生の貴重な一分一秒を大切にするために。

立ち寄ってくださった皆様、コメントくださった皆様、またブログやサイト等でこのブログを紹介くださった皆様、
本当にありがとうございました!
私、にゃんこ丸はこの記事をもって創価学会を卒業いたします!

※ブログが終了したにもかかわらず、温かいコメントを多くいただきまして本当にありがとうございます。
コメントの掲載、お返事ができない非礼をどうかお許しください。
でも、いただいたコメントはお米を噛みしめるように、大切に大切に読ませていただいております。
本当に本当にありがとうございますm(_ _)m(2016年10月23日追記)

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