ある農夫は一匹の老いたラバがいて、ある日ラバはうっかりして井戸に落ちました。井戸が深いので、どうしても救い出せなく、農夫はあきらめて、ラバが深い井戸の中でもがいているのを見るに忍びないので、泥で深い井戸を埋めることに決めました。農夫はシャベルで泥を井戸の中に投げ入れ、ラバはついでに背中の泥を振り落とし、そして泥を踏んで上へ上がりました。ラバは絶えず泥を振り落とし、結局ラバの頑張り抜いたため、もともとラバを泥で埋めるつもりだったが、かえって新しい命を得る段階になりました。
人生には多くの予想外の出来事があります。わたしたちはいつも思いがけない時に逆境にぶつかり、挫折、苦難に遭います。このような時、わたしたちの人性の弱さは往々にしてはっきりと現れます。わたしたちのうちのある者は尻込みしてしまい、続けて前へ進む勇気がなくなります。ある者は一度のつまずきで立ち直れなくなり、再び立ち上がるのに必要な根気を失ってしまいます。またある者は絶望に陥って、生きていく勇気さえ失ってしまいます。……わたしたちにとって、苦難は老いたラバを埋める泥のようなものです。しかし、わたしたちが「泥を振り落として一歩一歩上がる」精神と根気がなければ、最終的にきっと泥の下に埋められます。
しかし、ある人たちは積極的に苦難に直面することができ、また苦難の中で自分を鍛え、自分の欠けたところを補い、自分の根気を鍛えることができます。「死地に置かれてこそ生きられる」というのがそのとおりです。失敗、つまずき、挫折、苦難はかえって、彼らの成功の土台になりました。経験した後、彼らはみな「苦難は、神がわたしたちに与えられた最もよい祝福です!」と感嘆します。
ある時、人生は本当に不可思議です。本当の命の富は、苦しい試練を経験してはじめて得られます。順境にあっても真理を得られる人は一人もいません。試練を受けている時のヨブが言ったように、「しかし、神はわたしの歩む道を知っておられるはずだ。わたしを試してくだされば、金のようであることが分かるはずだ」(ヨブ23:10)。ヨブは神からの試練を逃れませんでした。彼は試練が彼の命を鍛えて、彼にもっと多くの真理を理解させることができると知っていたからです。苦しい試練の中で、神に対する彼の信仰、従順、畏れ敬いはみな昇華しました。
本当に意義がある人生には、神が各段階でわたしたちに与えられる苦しい試練が欠かせません! わたしたちが神の導きに依り頼み、心をもって経験し、体験しさえすれば、きっと思いがけない収穫を得られます!
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