プロコフィエフの日本滞在日記

1918年、ロシアの若き天才作曲家が、大正期のニッポンで過ごした日々

コサトさんの謎

2005-08-15 | 余禄
約2ヶ月にわたったプロコフィエフの日本滞在日記も、ひとまず完結しましたが、今日は内容にまつわるお話をひとつ……。

翻訳にあたり、文中に登場するさまざまな人物名に関して、わかる限りの注をつけたのですが、ただひとり、詳細のわからなかった人物がいました。1918年7月31日、離日決定の挨拶まわりの際に、プロコフィエフが訪ねた「コサト(小里?)」さんです。

挨拶に行くくらい親しかったわりには、この名前はそれまでいっさい登場していません。当初は名字かと思ったのですが、該当する人物は判明しませんでした。ひょっとしたら名字ではなく女性の名前――それも、お気に入りの芸者さんの名前かもしれません。

プロコフィエフは日本の芸者が大層気に入り、日記のなかにも何度も芸者を侍らせての宴席のようすが描かれています。6月6日の日記には、明らかに日本女性とのセックスを暗示する記述もあります。もっとも、極めて淡々と言葉少なく述べられているので、このお相手の素性はわかりませんが、大正期のことですから素人女性が会ったばかりの外国人と性交渉をもつとは考えにくいですよね。

コサトさんも、そうした夜の宴席で知り合った女性のひとりなのではないか?というのが、翻訳スタッフ女性陣の推測です。さて皆さんはどう思われるでしょう?
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