オダサク倶楽部編、平凡社(Corona Books)、2013年、1600円
書名のとおり、作家織田作之助の生誕100年にちなんだタイムリーな一書。
上方贔屓の方は言うに及ばず、少しでも大阪に関心のある方には愛おしいと感じる文章と写真が並び、思わず涙ぐんでしまうのではなかろうか。オダサクについての素敵な備忘録といったところ。
織田が活躍した昭和10年代の大阪は日本の中で最も光り、輝いていた街だった。産業都市・軍需都市であったことや、関東大震災により多くの被災者が京阪神地区に移住していたことなどがその背景にあったのだが、それまでになく香り高い文化を享受する風が生まれていた。とは言え、多くの庶民の生活が急に華やかになったわけではなく、貧困に追いかけられる層が依然として中核を成していた。そんな大都会の混沌とした中にあって、それを冷静に見据えて、赤裸々に描き出したのが織田であったと言えよう。
そんな訳で、当時の状況をほうふつとさせるような書物となった。筆者は「わが町」に大阪市立電気科学館が登場することや、映画ではロケが行われたことなどからオダサクとプラネタリウムの関係を書かせて戴いた。請う、ご購読を! (2013.10.9.)
書名のとおり、作家織田作之助の生誕100年にちなんだタイムリーな一書。
上方贔屓の方は言うに及ばず、少しでも大阪に関心のある方には愛おしいと感じる文章と写真が並び、思わず涙ぐんでしまうのではなかろうか。オダサクについての素敵な備忘録といったところ。
織田が活躍した昭和10年代の大阪は日本の中で最も光り、輝いていた街だった。産業都市・軍需都市であったことや、関東大震災により多くの被災者が京阪神地区に移住していたことなどがその背景にあったのだが、それまでになく香り高い文化を享受する風が生まれていた。とは言え、多くの庶民の生活が急に華やかになったわけではなく、貧困に追いかけられる層が依然として中核を成していた。そんな大都会の混沌とした中にあって、それを冷静に見据えて、赤裸々に描き出したのが織田であったと言えよう。
そんな訳で、当時の状況をほうふつとさせるような書物となった。筆者は「わが町」に大阪市立電気科学館が登場することや、映画ではロケが行われたことなどからオダサクとプラネタリウムの関係を書かせて戴いた。請う、ご購読を! (2013.10.9.)
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