Subang Jaya より

「人生は冒険だ」の言葉に痛く共感し飛び出した日本。その後はどうなったか?

愛好家のだれもが辿る路

2019年11月04日 | 日記

ある趣味に入ってゆくとき、それが物であるとき、どれにも入門用と言われる物がある。

古くは、走り屋に憧れている者のB110サニー、KP61スターレットがそれにあたる。
TE27レビンはこの後にしよう、などと夢は後回しになっていた。
万年筆で言うと、LAMYのSAFARIがそれに相当する。万年筆世代を飛び越えてしまった我々世代が、もう一度万年筆と仲良くできるか確かめるのがこのペンだ。

LAMY SAFARI 下は同ボールペン

調べたわけではないが、LAMYは先進的なメーカであると感じる。
それは、様々な先進的なデザインを取り入れ、古参のモンブラン、ペリカンなどにみられる、強いアイデンティティを持つ作品は少ないと思うからだ。
M社、P社(他にもある)は、ちらっと見ただけではモデル名までは無理だが、少なくともメーカーは特定できる。
多くのデザイナーを登用しているため、「LAMYはこの形」と言う印象は残せなかったが、今では先進的なデザインを見るとLAMYか?と思うのは私だけではないと思う。
肝心の書き味は廉価な製品でも手を抜いていないと感じる。
地元ドイツの若者は誰もが1本は持っているという記事を見たことがある。

万年筆が一般的ではなくなった今、万年筆ってどんなもの、何が楽しいの?を知るためには最も適した一(いち)モデルがLAMY SAFARI であると思う。
万年筆がSAFARIで終わっても、テクニックを磨くのがB110で終わっても、これらを使いつくした者は、立派な理解者、熟練者であると言いたい。
これが、B110 やKP61に例えた理由だ。

昭和の中ごろ生まれの私には、万年筆との出会いは殆ど無くなっていいた。
兄の世代までは、中学の入学祝いの定番は万年筆だった。その時すでに使途は限られていたが、3年後の私の中学入学にはこの習慣は無くなっていた。「中一時代」だったか?の雑誌の付録に万年筆があったように思う。
その後、技術系に進んだ私には、定年寸前までますます万年筆の出番はなかった。
世の中の記録・保存文書の記述は油性ボールペンの寡占状態になっていった。

マレーシア駐在が無かったら、また昔手にした一本が無かったら、万年筆との再会は無かったと思う。
ひょんなことから、沼に向かって歩き始めることになったのだ。


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