Subang Jaya より

「人生は冒険だ」の言葉に痛く共感し飛び出した日本。その後はどうなったか?

万年筆

2019年11月04日 | 日記

今では空港内の免税店でもあまり見かけなくなった万年筆ショップ。

私が海外に出かけるようになったころ、あるいはそれ以前の海外旅行の楽しみは、お土産に免税店でちょっと高級な免税品を購入することだったと思う。

それは、腕時計であったり万年筆であったり化粧品、ウイスキー、タバコであったりした。まるでこれらの免税品を買わないと海外に行った甲斐が無い、というような時代があった。



たしか私がまだ小学生のころ、父はその頃ではまだ珍しかった海外旅行、たぶん招待旅行で香港に出かけた。

例にもれず、お土産の中心は免税店の免税品。その中に万年筆とボールペンのセットが2セットあった。それは、パーカーのものとシェーファーのものだった。

帰国しお土産を広げると、すかさず兄がパーカーのセットを、一歩遅れて私がシェーファーのセットを手にしたのだった。

兄はともかく、まだ小学生の私にはボールペンでさえ必要はなかった。父もまだ小さい息子のために買ってきたのではなかったはずだ。しかし、困ったような顔をしつつもこれらを取り上げることはなかった。

当時、喜んで使ってみたものの、平凡な子供の筆運びではまともに字も書けず、その頃のわら半紙では紙の繊維がペン先に挟まり、突然太い線になったり、インクが乾くのを待てなかったり、とても使いこなせずお蔵入りになっていた。ボールペンも消しゴムで消せない恐怖で実用にはならなかった。

但し、このシェーファーのセットは洒落たケースに入れられており、このケースを筆箱として長い間、ボロボロになるまで愛用したことを覚えている。


そんな思い出から約50年たった今、このシェーファー万年筆を本格的に使い始めたのだ。

マレーシアに来て、こちらでははんこの文化が無く、日本ならシャチハタ印でいいところもサインとなる。当初はローラーボールペンを使っていたのだが、今年からふと万年筆を加えてみた。

小切手や契約書、見積書には万年筆(Fニブ)、その他の書類にはローラボール(Φ1.0)を使用している。

父からもらった物で少なくなった形を残すもの、それがこのシェーファーの万年筆。今では仕事で一番大事なシーンに使用している。インクは色彩雫(いろしずく)の山栗を入れている。

この年になって、やっと万年筆の使い方が分かってきた。筆圧の強弱、筆運びのスピード、紙面との角度、進める方向、・・・・で生きているような文字が書ける。インクによっては濃淡も表現できる。もちろん、ペンを変えると各々の特徴が表れる。

練習をしているとノートの紙面はすぐにいっぱいになる。

インペリアルシルバーの真っ黒に変色していたボディは使い込んでゆくにつれ当初の銀色が甦っていく。


今では空港の中で万年筆ショップを探してもなかなか見つからない。あったとしても書店の片隅に廉価な物を並べているのに留まる。




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