De kantwerkster : レースを編む女
寛ぎながらもレース編みに没頭している佇まい。
伏せた目元や聡明そうな額。
繊細な指先。
ゴッホを魅了した「レモン色、ほのかな青色、パールグレーの配置。」
クッション型の裁縫箱からこぼれる糸。
伏せた目元や聡明そうな額。
繊細な指先。
ゴッホを魅了した「レモン色、ほのかな青色、パールグレーの配置。」
クッション型の裁縫箱からこぼれる糸。
その驚くべき美しい描写。
静かで、穏やかな時間。
淡い光の詩。
眺めていると
自分が彼女のすぐそばに立っているような気がしてくる。
それなのに、わたしには彼女の手元、
編まれているレースそのものを見ることができない不思議な感覚。
レース編みの合間に手を伸ばせば届く場所に
何気なく、ごく自然に置かれている聖書にふと目が留まる。
「宗教画」と銘打たれた絵画そのものよりも、
こんなふうに聖書などが
静かで、穏やかな時間。
淡い光の詩。
眺めていると
自分が彼女のすぐそばに立っているような気がしてくる。
それなのに、わたしには彼女の手元、
編まれているレースそのものを見ることができない不思議な感覚。
レース編みの合間に手を伸ばせば届く場所に
何気なく、ごく自然に置かれている聖書にふと目が留まる。
「宗教画」と銘打たれた絵画そのものよりも、
こんなふうに聖書などが
日常の情景にごく自然に溶け込んでいる方が、
人びとのなかに生きているジーザスの存在を感じる。
なんとなく聖書を開きたい気分になって
人びとのなかに生きているジーザスの存在を感じる。
なんとなく聖書を開きたい気分になって
久しぶりに手に取った。
わたしの聖書は夫のお古で、
かなりくたびれている。
彼が子供の頃に読んでいた聖書。
挿絵もあって、とっつき易い。
だから、彼はこれをわたしにくれたんだと思う。
はじめての聖書だし、英語だし。
とっつき易さは重要だ。
わたしはクリスチャンではないけれど
アメリカ人の夫はクリスチャンだったので、
彼と一緒に教会へ行った。
ゴスペルに魅せられて
誰でもウェルカムなクワイア(聖歌隊)で
歌っていた時期もあるし、
ちょっと勉強してみようかなと思って
バイブル・スタディに参加してみたりもした。
洗礼を受けようという気持ちにはならなかったけれど。
それでも、いまでも時々、
ふしぎと聖書を開きたくなるときがある。
どういうわけか、少しほっとする。
若くてかっこいいまま、さっさと死んでしまった夫を
少しだけ近くに感じられるような気がするというだけなのかもしれないけど。
あやや。
今月のカレンダー『レースを編む女』から
どんどん話が逸れてこんなところに行きついてしまった。
読んでくださってありがとうございます。
早くも7月。
もうすぐ七夕ですね。
ハンギングのナスタチウムを切り戻ししました。
せっかくエディブル・フラワーなんだから、と
サラダとサンドイッチと砂糖漬けを作って、残りを水に挿してみた。
さっぱりした株は、秋にまた花を咲かせてくれることでしょう。
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