明日また陽が昇るなら −カウンセラーもり あずさ(もるも)のブログ−

人の給与は忙しさには比例しない? –社会人あるある–

東京は今日もスッキリ晴れましたね。

 

梅雨の合間の貴重な晴れの日々です。

 

私は今日、午後は特に打合せもなくただずっと机のPCの前で

調べ物をして18時半まで過ごしました。

 

以前はこういう日があると「こんなに時間が空いているなんて、私は誰にも

期待されていないのでは?」と不安になることもありました。

 

でも今は、特に予定がない日があっても全く気になりません。

(昼ごはんの後1時間くらい眠いのだけはなんとかしたいですが笑)

 

給与とかお金って、何の対価としてもらうのかな?とよく考えます。

 

一般的には、提供している労働量の対価なのでしょう。

 

でも今の私は、仕事自体はチームのみなさんがとても精度高くやってもらえるので

普段はその仕事内容を確認したり、方向性を決めて上司とネゴをしたりするのが

メインで、自分自身が作業の手を動かすことはあまりありません。

 

最初は「こんなんで給与もらってよいのかしら?」と気になってました。

 

でも、なぜか今はそれがあまり気になりません。

 

たぶん、そういう時間を長く過ごすことで、自分にとって当たり前になったのだと思います。

 

人からの評価もこれと似ていて、すごく一生懸命やったり、忙しかったり

そういう時って、あまり人から評価されているとは感じられません。

(そもそも忙しすぎて被害者意識が肥大化しているので、周りの人たちが自分の努力を

労ってくれていても、当の自分は「茶化されている」とか「バカにされている」と

思ってしまったりします。

忙しいの「忙」という漢字は「心を亡くす」とはよく書いたものですね)

 

忙しい時期を過ぎて、時間が経ってから当時を振り返った時「ああ、あの時は

あの人たちは私のことを気遣ってくれてたんだな・・・」と気づくこともしばしば。

 

人の愛情って、余裕が無いと受け取れないんですよね。

 

・・・ここまで書いて気づいたのですが、給与も同じかもしれません。

 

働き過ぎて身も心も余裕が無いときは、高い給与は受け取れない。

 

でも、少し余裕を残していると、高い給与も自分に相応しいと思えるようになる。

 

社会人人生の中でも両者のアップダウンはあると思いますが、今の自分は

もしかしたら後者の時期なのかも知れません。

 

・・・そんなこと言ってたら、急に忙しくなったりして笑

 

その時はその時で、また心を亡くして愛情を受け取れなくなる

そんな自分自身を楽しもうと思います。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

素敵な月曜日の夜を。

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