フジテレビ騒動で再び世間に名前が出ている鹿内一族だけど、ニッポン放送株の返還要求している鹿内宏明はフジサンケイグループの前総帥の親父の娘婿だ。
親父の娘婿の娘ムコってなんかややこしいね。そうか、前総帥の親父っていうからややこしいのか。そもそも親父ってのがフジサンケイグループの創始者なわけで…
…ロングロングアゴー…
鹿内信隆氏がニッポン放送を創業、産経新聞やらなんやら手に入れてグループを形成
…んでもって
1985年に息子の鹿内春雄氏が継ぐ
…と思ったら
1988年に春雄氏は43歳の若さで病死。
信隆氏は一度は復帰するが娘婿の鹿内宏明氏が後継者に。
1990年に信隆氏がに死去。
宏明氏がすべての実権を握るが影響力は衰え…
1992年にクーデター勃発。
…そして今の日枝政権に至る
結局のところ“代”で言ったら二代目が日枝政権にとって変わられたという図式なんだけどね。
なーんだ。日枝さんも創業者一族を追い出してんじゃん。因果は巡るぢゃねーかよ。って思うかもしれない。でもこれには色々とウラが有るとか無いとかいろんな説が乱れ飛んでいる。そもそもの大モトは鹿内家内のお家騒動、つまり内輪もめが原因なんじゃないか…って説とかね。
そのミステリアスな想像をかきたてるのが病死した春雄氏の奥さんの存在。
春雄氏の奥さんというか未亡人は元NHKの人気アナウンサーだった頼近美津子さん。彼女はフジテレビに移籍した後、春雄氏に見初められ結婚する。
↓こんなのを見つけたのでとりあえず参照
★鹿内美津子インタビュー
↑これ読んだだけで、一体なにがあったんだろうって思っちゃうよね。
その後、JRのCMでお茶の間でも有名なあの五嶋龍くんの“追っかけ撮り溜めビデオ”を毎年一回ドキュメンタリー形式で放送するという「五嶋龍のオデッセイ」って番組が始まるんだけど、それのパーソナリティをつとめているのが彼女なんだ。これが始まったのは、すでに日枝政権になっている1996年。
さらにもうひとつミステリアスなのはおなじく1996年のNHKの大河ドラマ「秀吉」にお市役で出演しているのだ。テレビから遠ざかっていた上に演技の経験もない彼女が抜擢ってのはなんか意図があるのでは?と勘ぐってしまう。
春雄は生前に自分を信長に例えて社員を鼓舞する演説をぶったっていうんだけど、美津子さんがその大河ドラマでやった役が信長の妹の役だった。これもなんか意味ありげ…。
当時、週刊誌とか注意して見てたら色々拾えたかもしれないけど、そんときゃウラどころかフジテレビの経営なんて全く興味がなかったから、
「ああ頼近さん現場復帰したのね、両方とも古巣のコネってやつね…」
としか見てなかったからなぁ。
大企業の社長が替わっても、ああ変わったんだ…って、それくらい。多分、その時は電車の吊り広告くらいは見てるんだろうけど“お家騒動”なんて見出し見たとしても「あることないこと色々書いてんだろうなぁ…」って改札過ぎたら忘れる程度のノリだったからな。いまだったら改札から本屋に直行だけど(笑)。
ITの小デブが「シナジー、シナジー(相乗効果)」と、いままでのメディアにはなかったものをオレか提供してやるんだみたいなノリで言ってるけど、そもそもフジサンケイグループってのはひとつひとつの企業は、例えば産経新聞なんて読売や朝日などと較べると(部数的には)しょぼいくせに、グループだとけっこうブイブイ言わせてきたじゃない。それこそシナジーに長けていたってことでしょ。
ポニーキャニオンとか、フジパシフィックとか、扶桑社とかってけっこう有名だけど日テレや朝日のグループ会社って経済通じゃないとすぐ名前出てこないもんね。
フジも勿論創業者がいちばんやり手だったんだろうけど、春雄氏の就任していた時期ってこのシナジー効果を含めフジテレビの黄金時代だったかも。女子アナブームだとか、トレンディドラマとか、目玉ロゴとか、ひょうきん族(←おいらは好きでなかったけど)とか。
春雄氏が死んだあたりからすでに何かがズレはじめてきちゃったのかもね。春雄氏が生きていたら逆にどっかのITを買収したかもしれない。今の放送業界は何しら変革が必要なのかもしれないけど、少なくともそれはあの小デブではないと言っておこう。
と楽園シリーズは三部作で完結したと言ったにもかかわらず、ひきずるようにその続きのような内容。はい、はい、もう書きませんよ、ホリエモンのことは…
最後なので↓こういうのもひっぱってみた
★ホリエモン=ロビンソン・クルーソー仮説
前にリンクした江川氏のインタビューとあわせて読むと迫力が増すというもので(笑)。5.1chなんて目ぢゃありません
さて今日の一曲は、結局楽園から抜け出せてなかったので
ビクター・ヤング・オーケストラで「エデンの東」
親父の娘婿の娘ムコってなんかややこしいね。そうか、前総帥の親父っていうからややこしいのか。そもそも親父ってのがフジサンケイグループの創始者なわけで…
…ロングロングアゴー…
鹿内信隆氏がニッポン放送を創業、産経新聞やらなんやら手に入れてグループを形成
…んでもって
1985年に息子の鹿内春雄氏が継ぐ
…と思ったら
1988年に春雄氏は43歳の若さで病死。
信隆氏は一度は復帰するが娘婿の鹿内宏明氏が後継者に。
1990年に信隆氏がに死去。
宏明氏がすべての実権を握るが影響力は衰え…
1992年にクーデター勃発。
…そして今の日枝政権に至る
結局のところ“代”で言ったら二代目が日枝政権にとって変わられたという図式なんだけどね。
なーんだ。日枝さんも創業者一族を追い出してんじゃん。因果は巡るぢゃねーかよ。って思うかもしれない。でもこれには色々とウラが有るとか無いとかいろんな説が乱れ飛んでいる。そもそもの大モトは鹿内家内のお家騒動、つまり内輪もめが原因なんじゃないか…って説とかね。
そのミステリアスな想像をかきたてるのが病死した春雄氏の奥さんの存在。
春雄氏の奥さんというか未亡人は元NHKの人気アナウンサーだった頼近美津子さん。彼女はフジテレビに移籍した後、春雄氏に見初められ結婚する。
↓こんなのを見つけたのでとりあえず参照
★鹿内美津子インタビュー
↑これ読んだだけで、一体なにがあったんだろうって思っちゃうよね。
その後、JRのCMでお茶の間でも有名なあの五嶋龍くんの“追っかけ撮り溜めビデオ”を毎年一回ドキュメンタリー形式で放送するという「五嶋龍のオデッセイ」って番組が始まるんだけど、それのパーソナリティをつとめているのが彼女なんだ。これが始まったのは、すでに日枝政権になっている1996年。
さらにもうひとつミステリアスなのはおなじく1996年のNHKの大河ドラマ「秀吉」にお市役で出演しているのだ。テレビから遠ざかっていた上に演技の経験もない彼女が抜擢ってのはなんか意図があるのでは?と勘ぐってしまう。
春雄は生前に自分を信長に例えて社員を鼓舞する演説をぶったっていうんだけど、美津子さんがその大河ドラマでやった役が信長の妹の役だった。これもなんか意味ありげ…。
当時、週刊誌とか注意して見てたら色々拾えたかもしれないけど、そんときゃウラどころかフジテレビの経営なんて全く興味がなかったから、
「ああ頼近さん現場復帰したのね、両方とも古巣のコネってやつね…」
としか見てなかったからなぁ。
大企業の社長が替わっても、ああ変わったんだ…って、それくらい。多分、その時は電車の吊り広告くらいは見てるんだろうけど“お家騒動”なんて見出し見たとしても「あることないこと色々書いてんだろうなぁ…」って改札過ぎたら忘れる程度のノリだったからな。いまだったら改札から本屋に直行だけど(笑)。
ITの小デブが「シナジー、シナジー(相乗効果)」と、いままでのメディアにはなかったものをオレか提供してやるんだみたいなノリで言ってるけど、そもそもフジサンケイグループってのはひとつひとつの企業は、例えば産経新聞なんて読売や朝日などと較べると(部数的には)しょぼいくせに、グループだとけっこうブイブイ言わせてきたじゃない。それこそシナジーに長けていたってことでしょ。
ポニーキャニオンとか、フジパシフィックとか、扶桑社とかってけっこう有名だけど日テレや朝日のグループ会社って経済通じゃないとすぐ名前出てこないもんね。
フジも勿論創業者がいちばんやり手だったんだろうけど、春雄氏の就任していた時期ってこのシナジー効果を含めフジテレビの黄金時代だったかも。女子アナブームだとか、トレンディドラマとか、目玉ロゴとか、ひょうきん族(←おいらは好きでなかったけど)とか。
春雄氏が死んだあたりからすでに何かがズレはじめてきちゃったのかもね。春雄氏が生きていたら逆にどっかのITを買収したかもしれない。今の放送業界は何しら変革が必要なのかもしれないけど、少なくともそれはあの小デブではないと言っておこう。
と楽園シリーズは三部作で完結したと言ったにもかかわらず、ひきずるようにその続きのような内容。はい、はい、もう書きませんよ、ホリエモンのことは…
最後なので↓こういうのもひっぱってみた
★ホリエモン=ロビンソン・クルーソー仮説
前にリンクした江川氏のインタビューとあわせて読むと迫力が増すというもので(笑)。5.1chなんて目ぢゃありません
さて今日の一曲は、結局楽園から抜け出せてなかったので
ビクター・ヤング・オーケストラで「エデンの東」
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