特別なRB10

昭和の東武バス野田の思い出や東京北東部周辺の乗りバスの記録等。小学生時代に野田市内バス全線走破。東武系・京成系を特に好む

平日往路1本しかない灰毛発柏たなか駅行きに乗ってみた

2016年11月17日 20時17分20秒 | 旅行
以前つくばエキスプレスの柏たなか駅から柏13 野田梅郷住宅循環なる路線に乗った、というお話をいたしました。平日に1本、休日でも午前午後に1本ずつしかないという渋い運行形態の路線です。
ところでこの路線には区間便が設けられていて途中の灰毛を始発地として終点は同じ柏たなか駅というのが1本あります。
系統は全く同じですが循環ではなく往路一本しかない、しかもその時刻たるや平日の朝6時57分発ただこれのみ、これを逃せばとっぷりと夜もふけた19時までバスは一台も来ない、という恐ろしい区間便です。

そも区間だろうがなんだろうがこの系統自体が何年も前に東武から「廃止決定!」と言われたにもかかわらず今日なお延命を保っているのは野田市が何か東武に働きかけしたようです。キッコーマン醤油の茂木家はまだ東武の社外監査役やってるんでしょうかね。ともかく完全に戦力外通告され自由契約ではなく任意引退までしたのにまだ現役続行という、ゾンビのような生命力ある路線ですので一見の価値ありだと思います。





  
11月某日朝6時。天気晴朗。しかしこの時期の野田の朝はまことに寒い。

   
さらにお寒いのがこの時刻表で、見ているだけで全身凍りつきシャッターを押す手の震えが止まりません。

灰毛は「ハイゲ」と読みます。一日に何十本も柏駅西口~野田市駅間をバスが走っていたわたくしの小学生時分からこの停留所はこの不思議な名前で存在していました。昭和の昔運賃区間は二ツ塚入口と一つ手前の三ツ堀の間に挟まれていて運賃区界でもなんでもなかったにもかかわらず記憶に残っているのは「ハゲ」という子供が大好きなワードにそっくりな地名だったからでしょう。二ツと三ツの間でも二点五ツとは言いません。
古代の野田市は「牧」という軍馬の放牧地があったそうですから例えばこの地で白毛馬や芦毛馬がよく産まれた、などという意外と歴史ロマンある地名かも知れません。



2001年9月30日か31日の灰毛停留所。柏から乗ってきて途中下車して当時近隣にセブンではなくファミマがあってそこで用足しをして戻ってきてから撮影したもの。当時は用足し後に待とうと思えば待てるほど本数があったのです。柏市内で東急柏ビレジ線とか三井団地線をこなした車両が野田に帰庫するときにここを通っていたのですから。原写真では時刻表がうっすら見え15時台あたりに3本/hあるように見えます。「野田市駅行」と書いてありますが本数の3/4程度は野田車庫止まりになっていたと思います。ごらんのように停留所位置は今よりやや野田方向寄りに立っています。次便に乗るときにバス共通カード通し忘れて野田車庫で降りるときにおじいちゃんみたいな運転士に怒られました。


さて、現代に話を戻しましてこの灰毛発柏たなか駅行きというのは灰毛から南下して柏たなか駅に行くのであろうと思いきや、のぼりくだりの時刻表を見たところ、逆に灰毛から北上し、お約束の野田梅郷住宅エリアをぐるり一巡してから南下する、というものであることに気づきました。

バス待ちの間、大型車が何キロ出してんだか知りませんがビュンビュン通っててそのあおりの風が寒くてしょうがないので、そばの資材置き場のような敷地の塗炭壁に隠れて風をしのぎ、定刻3分前に表通りに出るといつの間にやら先客の一人の女性が停留所にいました。
どうせ閑散線だろと高をくくっていたのでいささか驚きを隠せずにおりました。常連客のようなオーラが感じられるお客様で、わたしが後方に着くと「ん?誰だオマエは」という感じの一瞥を浴びました。

 
6時57分定刻、ワンステップのエルガが柏方面から北上してきました。泣いても笑ってもここから駅に行くにはこの1本しかないっ。
運転士は女性で今朝はかなり朝焼けの日差しがきついのでサングラスを装着してます。
こんな路線にエルガなんてもったいないなあ、とこの時は思いました。側方表示がどうなってるのかは見忘れました。


先客の女性はおそらく毎日座席を決めて乗っていると思われ迷うことなくすばやく着席。
ここで車内音声を聞くとおそらく柏たなか駅発のものを流用して流しているのか「毎度ご乗車ありがとうございます」というセリフなしにいきなり「次は二ツ塚入口」と普通に次の停留所をアナウンスしています。すさまじい朝焼けの光が車内に降り注ぐなか行路は始まりました。

8月の盆休みに柏たなか駅から普通に乗ったところ乗客が少なくて「うーん」と思いましたが、平日通勤時間帯に乗ったこの日は乗り間違えたのかと思うほど利用状況に違いがありました。

  
木野崎入口で男性一人、鹿野橋で女性が一人。電建第一住宅で男性一人。新橋で男性と女性の二人。前方を照らす朝焼けの明るさよりも次から次に人が乗ってくるほうにわたくしは目を見張りました。


ところで「新橋」は昭和時代「第二住宅入口」と言っていたようです。地元の人なら図を見てお気づきになると思いますが、場所は今日とは全然違うところにありました。これから出て来る「梅郷○号公園」というような停留所は2001年の茨急移管と同時に新設されたものです。(昭和60年『のだ市報』)
2001年9月、柏から帰ってきた野田行きのバスが「時間調整します」と言ってこの旧「新橋」で車両を止めて、前述のおじいちゃんみたいな運転士氏とオタク席に座っていたわたくしとでよもやま話をしたのを昨日のことのように思い出します。


二ツ塚小学校前と梅郷五号公園には乗客なし。

  
梅郷八号公園でなんと列が出来ていて4人!梅郷十二号緑地で1人。なるほど野田梅郷住宅を経由して客拾いしていかないと損ですなこれは。
さらに梅郷住宅を出て福田中学校入口で男性一人。大利根温泉で女性一人。柏に出て六軒町で男性一人。船戸入口で一人。


と、決してガラガラで走ってるわけではありませんでした。ポンチョであれば後部シート含めて満席です。さらに言えば一見の客はわたくしただ一人で、他は定期客が多いように見受けました。これすなわち固定収入なのであって廃止なんてもったいない、とわたくしは思いましたがいかがでしょうか。



降りるときにハタッと気づきましたが運賃表示器の券なし~3番まで金額表示がない、ということは現金払いだと、始発地灰毛から乗るときからすでに4番の整理券が発行されるわけで、整理券的にもまさに正真正銘の区間便であることがわかります。

灰毛発6時57分→柏たなか駅着7時23分。実際所要26分、運賃はICで288円でした。


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