特別なRB10

昭和の東武バス野田の思い出や東京北東部周辺の乗りバスの記録等。小学生時代に野田市内バス全線走破。東武系・京成系を特に好む

名称変更なった柏03に乗ってきた

2018年05月24日 21時28分39秒 | 旅行


反則タックル事件の日大アメフト部内田前監督が関西学院大学をカンサイ学院大学と誤読したことで大きな騒ぎになってますね。
ことほど左様に学校の名前は非常に重要なことでありましょう。

ところでわたくしが子供の頃からある柏~柏市立高校線は終点が柏市立柏高校なのに「柏」が一個抜けて柏市立高校が終点の停留所名に冠されています。
高校受験を意識しだした中学時代にわたくしはこの異変に気づきましたが「柏が2回も出てくると語幹がどこにあるのかさっぱりわからなくなるからであろう」と軽く考えておりましたが、
このほど東武バスがいよいよ「市立柏高校」に改称するとのことで、経路上にはさだめしピッカピカの新しいバス停が設けられているであろう、とワクワクしながら行ってきました。


路線バスというものは概して車の運転をしない、あるいはできない人が利用するものでありましょう。
そういう意味で鉄道駅と教育機関を結ぶバス路線は極めて社会的効用の大きいものがあります。
この地に高校ができたのは昭和53年。
以来わが町の東武バス野田営業所が雨の日も風の日も柏駅から生徒さんを乗せて通学輸送に励んできました。
郷土のバスがこの学校の吹奏楽部や野球部の抜きん出た活躍の一助となりましたことは、野田の民として欣喜雀躍を禁じ得ないところです。


昔話は置いといて、さっそく柏駅西口のバス乗り場へ参りますと【柏03 (市立柏病院経由)市立柏高校】とあります。
いにしえの方向幕時代は幕を逐次新造しなければなりませんが、LEDの登場でROMの書き換えだけで済む良い時代がきました。


  
雨だというのに妙に乗客が多くて、行く先々の途中停留所でちまちま客降ろしのため停まります。
停車中にバス停を見やるとボードには行先としてまだ「柏市立高校」の表記が修訂正されることなくはっきりくっきり残っています。



柏たなか駅に着きましたがここでもやはり「柏市立高校」のままです。はて?。
下方にある「柏13灰毛行」というのも数年前にとっくに無くなっています。


いよいよ次は今回の名称変更対象たる「柏市立高校入口」まで着ましたが、車内の電光はしっかり「市立柏高校入口」に変わっています。
柏から420円。
わたくしの小学生時分は同額で遥か彼方の野田市駅まで行けたものです。

 
さて、ここが終点の「市立柏高校」。

なんとっ!名称が全然変更されていない。
せめてガムテ貼りしてマジックかペンキの手書きで直されてるようなせせこましく面白い姿を想像していましたが、それすらも見事に空振りを喰らいました。


ちなみに校内の降車場の円板も「柏市立高校」のまま。


ところで校内は立ち入り禁止です。
平成13年9月、野田出張所の最後の日、わたくしはここから柏行きのバスに乗りました。
日曜日なので学校関係者はおらずわたくし一人の貸切状態となったので運転士さんとおしゃべりをしたのですが、「生徒じゃない一般人が終点まで乗って来ても校内で降ろすのか?」と尋ねました。
帰ってきた答えは「門の前で車内を振りかえり、制服しか見えなければ怪しいヤツはいないと判断して校内へ入っていく。今まで怪しいヤツなんかいなかった」とのことでした。
わたくしは最初にして最後の怪しいヤツとして大変恐縮しました。


運転士さんはY田さんという名前の方だったと思いますが、その時すでに15、6年ほど野田にお勤めなられた、とのことでした。
わたくしが「野田出張所が無くなると聞いたので昨日から野田のバスをあちこち乗ってる」「野田が担当してる柏ビレジの路線は開通直後に子供一人だけで柏から乗って・・・・当時はあの辺も開拓されたばかりで全く家が少なかった」「高校時代には、もう何年も前に無くなったが関宿の東宝珠花行きに乗った、途中で筑波山が見えて景色が美しかった」と思い出を滔々と語っていると、鼻が徐々に赤くなりキラリと鼻水が光るのが見えるとY田さんは2,3回「ズズッ」と鼻をすすりました。
「やっぱりみんな悲しいのだなぁ」としんみり思いました。



市立柏高校入口には旧称のままの昔懐かしいオレンジ色のバス停があります。野田出張所最後のあの日でもすでに珍しい存在に感じられたのでわたくしは「写ルンです」でアップを撮っておりました。

 
今や文字もふちどりもすっかり薄くなりましたがわたくしと同じ野田に生まれ、野田出張所のDNAを残すこのバス停の凛とした姿が、SL大樹フォトコンテストの比ではないほど価値あるものに思えてならないのです


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