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モデルナに異物が入っている今日この頃、みなさまにおかれましてはご自宅あるいは渋谷のワクチン抽選列でご清祥のこととお慶び申し上げます。
わたくしはまだ1回しか接種してませんがモデルナアームの副反応で肩が真っ赤に腫れあがり仕事を早退しました。
さて東武バスイーストとの別れまであと1か月となりました。前回に続きまして相変わらず年月日の文字列がコロナ対策よろしくガタガタに崩壊しておりますが、異物いや、遺物と言うべき古い時代の年表を作りましたのでぜひご覧なってください。またこれも前回申しましたが参考にしてきた諸々の古書等一覧はこちらに上げております。
年 | 月・日 | で き ご と |
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1924年 大正13 | 4月13日 | 印旛郡船穂村の香取順らが木下町に下総自動車株式会社設立。成田・松尾間、佐倉駅・郵便局間開通、後に「柏・松戸間」開業 |
1925年大正14 | 利根運河に窪田味噌醤油株式会社創業す | |
〃 | 12月12日頃 | 下総自動車の運転士が松戸駅前でガソリン注入時に操作を誤り火災発生 |
1926年大正15 | 1月 | 野田醤油が株式會社野田製氷場を設立、おって野田町会議員・丸三運送店桝田定吉が社長になる |
〃 | 2月23日 |
渡辺源七、野田上町45番で「野田新聞」を創刊し北総鉄道・丸三自動車広告を掲ぐ |
〃 | 9月6日 |
埼玉県宝珠花村の宝珠花銀行休業、昭和3年夏ごろまで野田商誘銀行への合併交渉を行うが不首尾に終わり昭和6年9月23日解散 |
〃 | 10月12日 | 千葉県令により自動車制限速度が定められる(市街地時速14マイル、その他時速16マイル) |
〃 | 11月9日 | 県道松戸野田線七福村大字谷津・同吉春地先道路改修なる |
〃 | 12月10日 | 県道松戸野田線新川村・梅郷村大字下花輪・東深井・山崎地先道路改修なる |
1927年昭和2 | 1月14日 | 野田町の県税戸数割各町村配当額4,254円20銭で千葉県町村中最高(同2位銚子町3,175円26銭、柏町僅かに502円80銭) |
3月11日 | 県道松戸野田線新川村桐ヶ谷、谷、南、中野久木、小屋地先道路改修なる | |
〃 | 3月16日 | 松戸町「かつぶしや(後に『かつびしや』)」渡辺敬蔵が20人乗り程度の自動車で松戸角町-流山間に自動車業を開業 |
〃 | 3月18日 | 県道流山柏停車場線柏町大字豊四季・篠籠田地先道路改修なり供用開始 |
〃 | 3月31日 |
千葉県、県営鉄道多古線等を成田電気軌道株式会社に譲渡。ここに千葉県営鉄道全て消滅 |
〃 | 4月22・23日 | 大恐慌につき銀行支払猶予勅令が発出、全銀行を丸2日間休業させる。東京農商・東葛銀そのまま破産・解散。 野田商誘銀行休業わずか1日のみで営業再開し野田町・柏町における唯一の金融機関となる |
〃 | 5月23日 | 県道流山柏停車場線流山町加地先道路改修なる |
〃 | 6月1日 | 自動車取締令改正。乗合自動車には黒字に白色文字のナンバープレート具備を要す |
〃 | 7月 | 渡辺敬蔵の渡辺バスが中矢切香取神社下に車庫を設ける |
〃 | 9月15日 |
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〃 | 10月 | この頃から争議団の矛先が桝田から野田醤油一本に纏まる。なお争議団協議のうえキノエネ醤油・丸三運送店を対象外とる |
〃 | 11月 | 争議長期化し北総鉄道貨物収入大激減、東京朝日新聞が「銚子醤油出荷にわかに激増-野田醤油争議の影響」と報 |
〃 | 12月 | 争議団による野田正義団員邸宅への襲撃(糞尿撒き等)で愛宕神社から野田シネマ劇場間通行不能となり自動車運転取止 |
〃 | 12月18日 |
吉田甚左衛門が資本金1万5千円で設立した栄自動車株式会社が柏サカエ自動車商会より引継いだ車両に購入中古フォード加え計4両で柏停車場前-水堰橋・流山・布施間乗合自動車営業を開始 |
1928年昭和3 | この年、林重吉が「黄色い車体のバス」で松戸-秋山間に八柱バスを開業 | |
〃 | 1月 | 手に手に鎌等を持った何者かによって共楽前バス停(共楽館斜め前にあった)に停った駅行き自動車から醤油社員無理やり降車せられ負傷 |
〃 | 3月20日 |
13時6分東京丸ノ内・明治ビルヂング表で争議団副団長堀越梅雄(野田町中ノ台)、天皇直訴し即逮捕。15時前NHKが第一報。北総鉄道輸送す東日・朝日号外が野田町駅に到着、賊の正体分かり町内一瞬にして緊迫。町内に「聖上御無事」の垂れ幕見らる。北総鉄道・野田乗合自動車ともに運休・減回した記録見当たらず |
4月 | 東葛飾郡小金町の丸山鉄五郎、「東葛自動車」と号し松戸駅-日暮間に車両2台で自動車業開業 | |
〃 | 4月12日 | 流山町の根戸屋・秋元金次郎が5人乗り幌掛けT型フォード1台で根戸屋・運河駅前間に乗合自動車をはじめ後「秋元自動車」と号す |
〃 | 4月17日 | 野田橋の管理者を千葉県知事と定む |
〃 | 5月11日 | 野田町金杉村間野田渡船場の廃止が告示さる |
〃 | 7月1日 | 栄自動車、柏停車場前-松戸小山間開業(★) |
〃 | 8月4日 | 栄自動車、我孫子-木下間開業、相前後して我孫子町に営業所を設く(★) |
〃 | 11月3日 | ![]() |
1929年昭和4 |
3月29日 | 栄自動車、柏-土村増尾間を開業 |
〃 | 4月13日 | ![]() |
〃 | 5月8日 | 吉田甚左衛門が巨費40万円を投じた柏競馬場が開場、柏駅間に栄自動車線(所要5分)を設く。翌年平日の穴埋めのために「ゴルフの民主化」を標榜し内馬場に『柏民衆ゴルフコース』を完成 |
〃 |
8月23日 |
公私経済緊縮千葉県地方委員会実業家5名に野田町茂木七左衛門指名(他ヤマサ醤油濱口儀兵衛、ヒゲタ醤油濱口吉兵衛、千葉貯蓄銀行宇佐美敬三郎、千葉合同銀行専務古荘四郎彦) |
〃 | 11月27日 | ![]() |
〃 | 12月1日 | ![]() |
〃 | 12月24日頃 | アイラヘイズ野田清愛幼稚園に園児の描いた丸三マークのボンネットバスの絵画が飾られている |
1930年昭和5 | 4月 | 野田醤油に初の帝大卒業生、高梨小一郎(京大法科)入社 |
〃 | 4月10日 | 丸三運送店桝田定吉、野田町-警察署-梅郷間、野田町-小学校前-中野台-野田町間に乗合自動車を開業 |
〃 | 6月1日 | 野田醤油、子会社の野田運輸合資会社と丸三運送店とを合併せしめ野田運輸株式会社(資本金35万円)を創設 |
〃 | 8月1日 | 東寶自動車丸三野田運送株式会社(当時の広告社名のママ)中里(川間役場)-尾崎間を開業。野田町駅-梅郷間を運河まで延伸 |
1931年昭和6 | 6月28日 | 常総鉄道株式会社、我孫子駅前-取手駅前間(5.2km)開通 |
〃 | 8月11日 | 流山秋元自動車、フォード新調し流山~鰭ヶ崎間を開業 |
1932年昭和7 | 総武鉄道が越沼自動車、越ケ谷自動車、大宮市街自動車、岩槻自動車、栄自動車、野田乗合自動車(路線名から丸三野田運輸のことと判る)、秋元自動車等の自動車利用調査開始、昭和10年までに「沿線乗合自動車影響回答」を鉄道省に提出 | |
〃 | 1月8・10日 | 新川村(流山市)・野田町間に乗合自動車線を企図していた柳沢清春・桝田定吉一派と茂木・高梨家が千葉県会選挙を巡って対立、双方新聞に声明を発し町論二分す |
〃 | 4月 | 境・関宿間に境町民経営の舟橋架橋さる |
〃 | 4月15日 | 西関宿-東関宿-境町間に自動車営業免許下賜 |
〃 | 10月 | 警察署~清水公園間野田本町通りにアスファルト舗装工事開始(翌3月完)。銚子市制に刺激を受け野田市制施行の声あがる |
〃 | 10月7日 | 栄自動車、柏停車場-土村名戸ヶ谷間開業 |
〃 | 12月 | 総武延伸に対抗し越ヶ谷自動車・岡庭善一が野田・越ヶ谷間を60銭から50銭へ値下 |
1933年昭和8 | 1月 | 境町の自動車事業が古河町佐藤洋之助・茨城急行自動車株式会社に移る |
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