特別なRB10

昭和の東武バス野田の思い出や東京北東部周辺の乗りバスの記録等。小学生時代に野田市内バス全線走破。東武系・京成系を特に好む

懐かしい路線図を復元してみた

2018年11月08日 20時12分47秒 | 旅行
いよいよ冬の訪れが強く感じられる今日このごろ、皆さま風邪に負けることなく元気にお過ごしのこととお慶び申し上げます。

今までこのブログではいたく古いバス路線の話をしてまいりましたが
バス路線を他人様に説明するのに路線図ほど有効なアイテムはございません。

ところが当ブログでぐだぐだご紹介している私の小学生時代の東武バス野田営業所の路線図は今日手を尽くしてもなかなか見つかりません。
平成に入ってからのものを一度見かけたことがありますが、停留所の名前が変わっていたり野田市駅~野田梅郷住宅というわたくしの時代には存在していない路線が
あったり個人的にいささかガックリすることがあります。
ならばと、このほどわが身わが記憶の全てを解放させ、できるかぎり当時わたくしがバス車内で見たままの姿に近づけて路線図を自ら作成してみました。
それがこちらです。




車内に掲示される路線図というのはほぼ例外なく運転士席真後ろのボードに飾ってあるのが昔からの路線バスのならわしですが、
小学5年生だったわたくしがその真後ろ席に座ってじっと見ていた路線図を復元するとこのようなものになります。
昭和56年というと東武動物公園の開業年ですから、路線図があるべきポジションに東武動物公園のポスターが差し替えになっている車両もいて、
さっさと降りて違うバスに乗ったことがあった、ということも以前お話ししたと思います。

昭和時代の東武バスをご存知ない方には今日との差異が強く感じられると思います。
現代では文字の書体にはゴシック体のような線の太さの変わらない万人に読めそうな書体が使われていますが、
わたくしの見た路線図においてゴシック体というと標題くらいであとは明朝体かなにか子供にはちょっと距離を置きたくなるような書体が使われていました。

用紙は厚みのある板紙で新聞のように何十万枚も刷るわけではなく、当時野田市駅前で見た乗合用車両の台数を想起すれば100枚も刷れば十分と思われます。
多色なので各色版を要したはずですが柏03と野07の薄いシアンにマゼンタとYをどんどん入れていくと北02と野06のピース紺のような色味ができそうで色数はそれほどでもない。
純赤は使われておらず柏14などの赤系の色は混色ではなくマゼンタ原色そのもののような色味をしておりました。
オンデマンド印刷なぞまだ世に登場していませんから、極小ロットの印刷物を凸版平台かなにかでK判程度の板紙一枚一枚にちまちま印刷していたわけで製造原価は意外と高額であったろうと思われます。
業平橋の鉄道本社で「野田で予定の路線図の青焼きが到着いたしました」と言われて根津嘉一郎氏がこれを見たかもしれないと思うと妙にワクワクしてまいります。
東京の下町には腕の良い職人がごろごろしており直発注ではなかったでしょうけど路線図のような特殊組版も朝飯前であったでしょう。
学生時代の数年間わたくしは野田を離れておりましたが、
平成初頭のある日、神奈川県某所で小田急バスに乗っておりましたらある乗客が「この路線図くれ」と運転手に言ったら
「人にやるものじゃない」と言われて断られているのを目撃したことがあります。
東武よりもはるかに経営規模の小さい当時の茨急バスの車内掲出用路線図が、極めて安価な手彫りの単色謄写版であったことは従前このブログで申し上げたとおりです。





野田営業所は柏営業所野田出張所へと改組されていましたが路線図には「営業所」とありました。
今日なお東武バスイーストに現存する柏14 東急柏ビレジ線はわたくしがバス沼にはまる前年の冬に開通したばかりでしたがすでに路線図に記されていました。
そこでぜひ注目願いたいのは、花野井木戸から終点の東急柏ビレジまで全て頭に「東急」が冠されていたことです。
「はて?東武バスの車内で東急の宣伝をしているのはどういうことか?」と路線図を眺めながら思案にくれたものです。
東武線が田園都市線中央林間まで乗り入れするなど想像することすらできない時代です。
さらに面白いのは終点に「第三」と付いている。これは今日の路線図では見られないものですが当時はこのように表記されていました。

柏03などの経路線上にある花野井の付く複数のバス停は高校時代に久しぶりに乗ったら「花の井」と野が平仮名に変わって読みやすくなっていましたが、
野田出張所廃止の頃には漢字表記に戻っていました。
下町と野田橋間にある上花輪入口は同年か翌年に現在と同じ「さくら通り入口」に改称されましたがわたくしの記憶が確かならば
東武バスの都合ではなく野田市からバス停改称の要請があったのが改称の理由だったと思います。
越谷駅・大沢四丁目間の御殿入口というバス停は御殿町という越谷市の地名が由来でしょうが、
わたくしの時代バス停の目の前に「御殿湯」という暖簾のかかった銭湯があって
風呂屋とバス停が同じ名前なのを風呂屋の名前をバス停の名前にしたのだと曲解して野田へ帰るバスの車内から一人勝手に面白おかしく見ていたのを覚えています。




居並ぶ停留所の名前のなかに花田一丁目とか布施新町三丁目などがありますが、わたくしの郷里野田は田舎すぎて地名に「丁目」がつく土地はありませんでした。
なので路線図を眺めながら「これらは銀座四丁目に勝るとも劣らぬ商業繁華な大都会なのであろう」と思いましたが、実際にバスに乗って行ってみてビックリしました。
三井団地の直下には布施新町が三丁目二丁目一丁目と降べきの順によく並んでいて、志村けんの東村山音頭みたいだなぁと思いました。

越谷駅・大沢四丁目間はもしかするともう一つバス停が設けられていたようななかったような、ここはちょっと記憶が曖昧なまま復元しました。

路線を示す線の線種と屈曲点はほぼ当時と間違いなく復元できたものと思います。
現在の路線図は地図を下地にして経路線を引くので道路に沿ってカクカクしていますが、わたくしの時代は実際の地形などほとんど無視されていました。
たとえば流山駅前へ下る線において中花輪・下花輪間でポキッと屈曲していますが実際はただのまっすぐ道です。
また停留所間の線の亘長もバラバラで例えば福田小学校前と福田中学校前の亘長は他部位に比べるとはるかに長く見えますが実際には子供の足でも数分で歩いていける距離です。
一方、流山駅前と柏駅西口が近接しているように描かれてましたが、実際は柏07という両駅を結ぶバス路線を利用しても20分以上を要したほど離間しています。
このような製図思想は同時期の境営業所の路線図にも柏営業所の路線図にも見られました。
今回復元してみた路線図の下部に本当は「千代倉」という今も野田市内にある眼鏡屋さんの
緑地に白抜き・赤抜き文字の広告が紙幅いっぱいに印刷されていましたが割愛させていただきました。

今日のそれと同じく線種凡例欄が左下に設けられていました。
そういうものの大抵1行目には「行先」とか列タイトルが付けられて然るべきですが、
当時の野田の東武バスのそれは1行目にいきなり北01野田市駅なんたらかんたら、と書き始められていました。
凡例は北越谷を示す「北」が付く系統から始まりますが、もともとは野01・野02が付されていた系統です。
野12の次行から柏が始まりますが野田市駅が右側に移り、左側に柏駅西口が並ぶようになります。
経由を示す必要があるときは「~〇×□~」というようにしてましたが、柏12だけ奇妙なことに「(16号経由)」と書いてありました。
柏12は平日1日1本しかない通学線として現在なお運行中ですが、当時は16号における停留所が2つしか描かれていません。

諏訪橋とか水堰橋のように路線改変で起終点ではなくなったのに二重丸印のままの停留所もありました。
北柏駅入口と野田車庫も二重丸になっていて路線の終点であることを示しており当時実際に終点だったのですが、
それぞれの発着便を表すための経路線は特段記されておらず、柏駅西口~野田市駅線に包含されていました。

今日ように停留所を示す〇を□に変えてその中に停留所名を入れることはありません。
どれだけ線数が増えても〇の大きさを変えないので野田市駅の上方は線の判別ができない状態でした。

野田の東武バスは同年の冬頃に路線図を新しいものに差し替え始めました。
新路線図は図中の文字がゴシック体に改められ子供でも見やすくなりましたが、諏訪橋、水堰橋が単純円に変わっており
さらに経路線に曲線が導入され例えば先述の柏12の国道16号に相当する部分は大きいカーブで描画されていました。
それは路線バスのある種の進化を示すもので歓迎すべきものでありましょうが、わたくしは子供ながら何かを失ったような物寂しいものを感じました。








平成13年野田出張所最晩年にバス車内で写したぶれぶれの野田出張所管内バス路線図。
ぶれすぎてどうしようもありませんがわたくしの小学生当時のものとは雲泥の差であることだけはお分かりいただけると思います。

このブログにたどり着いた方は恐らく昭和時代の路線バスに実際に乗ったことがある方々でしょう。
皆様もたまには暇つぶしに子供の頃乗ったバス路線の停留所をうろ覚えでも思い出してみると
車の免許が取れなかった若き日の乗合バスの存在感の大きさを改めて再認識されるとともに、現代の公共交通に対する新たな視点を得られるものと
わたくしはご期待申し上げる次第です。



6 コメント

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突然で、すいません。 (とまと)
2018-11-26 00:55:14
突然の質問で申し訳ないのですが、沼南営業所とはまた違うのでしょうか?
東武バスイースト沼南営業所のバス運行経路の朝夜関係なしの道路状況や運転士さんの雰囲気、お客様の雰囲気などを詳しいかたにお話を聞きたいなと思い、調べたらこのブログに行き着きました。時間があるときで構わないので、なにかお話を聞けたら幸いです。
失礼致しました。
返信する
沼南営業所 (surrender90)
2018-11-27 13:12:31
こんなブログに立ち寄っていただきありがとうございます。
沼南営業所というと平成になってから出来たものでしょうから、わたくしの時代とはズレがあってお伝えする話が殆どないのが正直なところです。
営業所が出来た平成元年私は柏駅の北側にあった代ゼミに通っておりましたが、何となく幼時を思い出し柏駅東口から沼南車庫行きに乗ってそのまま折り返して帰って来たことがあります。
乗ったのはその1度だけでしたが柏駅の南側しか記されていない路線図は新造されたばかりの真新しいもののように見えました。
小学生の頃みた柏営業所の路線図は柏駅の南北に線が伸びていたので時代の流れを感じましたが当時はすっかりバスマニア的な目線を失っていたので、
嬉しいとか残念とか特別な感情を抱くことなく「酒井根ゆきも沼南営業所とやらの管内になったのだな」などと冷めた目で眺めたのを覚えています。
車庫は路面が舗装された部分と泥んこの未舗装部分が混在していて乗ったバスはわたくしを降ろすと泥んこの方へ入って行きました。
終点まで乗っていたのは私一人でした。
青塗装が残存していた野田とは異なり車庫に到着して視界に飛び込む留置中のバスは片っ端から現在のオレンジ色の塗装のものばかりでした。
帰りのバスは行きとは違う車両でしたがやはり泥んこスペースの方から出てきました。
今思い出し得るのはこんなところですね。
沼南町のことは沼南町の方にお尋ねされるのが一番かと存じます。
お力になれず申し訳ありません。
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Unknown (なんちゃって特急)
2019-04-05 22:28:42
最近このブログを知りまして、私も幼少に野田、越谷のバスを利用してまして、懐かしい思いで拝見してます。
路線図ですが、私の記憶で覚えていることがあり、お役に立てれば...と書き込みました。今さら...
2点あって、1つは越谷駅〜大沢4丁目間にあったバス停は、新石1丁目だと思います。越谷駅〜越谷駅入口間にあり、今もこのバス停がありますので。
もう1つは、花田1丁目はこの当時はなかったかと...昭和60年頃かな?少なくとも、さくら通り入口改名の後です。私はその前を知りませんので。確か、コンビニのあるT字路は、交差点はなく、越谷から野田方向に左カーブでした。区画整理で、交差点ができた時に、元々バス停間も長かったので、新設された記憶です。
これからも楽しく拝見します!
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ご指摘ありがとうございます (surrender90)
2019-04-06 20:39:42
申し訳ありません。はい、花田一丁目はないですね。
これはポカでございました。お恥ずかしゅうございます。
今ひとつご指摘のあります新石1丁目はどうにも今一つ記憶がありません。別名ではなかったのでしょうか。あるいは利用者がいないので記憶し損ねたか。
うんうん唸りながら思い出しているうちに、越谷駅にあった転車台、北越谷駅にあった大正大学入口行きのボロボロの茨急のバス停の面影が脳裏に浮かんでまいります。
ありがとうございました。


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Unknown (なんちゃって特急)
2019-04-08 12:51:56
早速の返信ありがとうございます。
記事を読んでて、色々と記憶が蘇っています。幼き疑問で、なぜ茨急の方向幕はなぜ背面が書かれていないのか(空白だったり、壊れていた?り)、そもそも系統表示がなかったり。

それで、新石一丁目は多分間違いないです。北越谷行きが当たり前だった自分にとって、なぜ「駅入口」の次が終点じゃないのか?も疑問で、親に質問したほど…
「(越谷)駅入口」は足立越谷線上、駅から離れてバス停があり、間隔を考慮した位置だったのかもしれません。と、もう1つ蘇ったのが、新石一丁目にはポール3本立っていたかも。うち1本は国際興業バスのもので「駅前通り」と違うバス停だった記憶です。もしかしたらバス停名が逆だった?可能性はあります…
返信する
お返事遅れてすいません。 (surrender90)
2019-04-27 20:16:28
大分前にコメントいただいておりながら失をいたしました。
新石一丁目・・ですか。うーん、大沢四丁目は運賃区界停留所なので嫌でも覚えてますが、んー。
もしかしてわたくし記憶の欠落を起こしてるかもしれません。申し訳ありません。
その前の御殿入口の御殿というのがテープ音声のアクセントがゴ→テン↓ではなくゴ→テン↑イリグチというアクセントだったのが強烈に覚えていて、
そちらに気を取られたかな。
いずれせよ大変失礼いたしました。
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