第二次世界大戦をはっきり意識したのは、小学6年生頃だと記憶している。
山口県近郊の小学校の修学旅行は、広島方面に行く。
コースには必ず広島平和記念公園が今もなお組み込まれている。
多分その修学旅行によって、あの不幸な戦いを強く意識付けしたのだと思う。
しかし遠い過去の出来事と思っていた戦いが終結したのは、実は自分が生まれるたった15年前の事だったと認識した時の衝撃は今も忘れない。
12歳の私が、それを知った時でさえ、終戦から27年しか経ってはいなかったのだ。
裕福ではないまでも、お腹が空けば、何か食べ物に有り付けた。
衣服、靴も困らない程には買い与えられた。
少ないながらお小遣いをもらい、買食いもした。
ノートやエンピツはあって当たり前だった。
あの悲惨な戦いから、27年後の小学6年生は、恵まれている事に気付かないまま平和の中にいた。
当たり前な平和が、考えられないほど多くの犠牲の後にあることを、少女の私は受け止めきれず途方に暮れた。
ただ、修学旅行のバスの中で教えられた、鎮魂歌は今も歌える。
抱えきれない現実を、抱え切れるだけでも、記憶から薄らぐことのないように、鎮魂歌を忘れなかった。
私が少女だった頃は、軍歌を良く耳にした。深い意味など考えず、うろ覚えの軍歌も歌った。
軍国主義の色濃いい歌詞は、時代の流れと共に、とんと耳にすることもなくなった。
現に今、息子たちに、
「咲いた花なら散るのは覚悟、見事散りましょう」などと歌わせたくはない。
風化させてはならない悲惨な過去を、ドラマでも、アニメでもいい。ドキュメンタリーでも、映画でも、舞台でもいい。
若者に伝えて行かなければならないと思う。
私とて、もはや戦後では無いと言われた、高度成長期に育った世代だ。
しかし私の世代は、戦争について耳に入ることも多くあったような気がする。
戦争を語る祖父母がいた。子どもの目で戦争を見ていた父母がいた。(母に関してはいるが正しい)
そんな私の世代の役割は大きいのではないかと思う。
コロナ禍で、改めて当たり前になっている平和を考えさせられた今年の終戦記念日に、
書き留めておきたかった。
私自身が忘れないように。