ゴリラは鼻歌を唄うらしい。
みんなんでも唄うが1頭でも唄うらしい。
ゴリラには内省的な気持ちがあるらしい。
そして相手を推し量ることができる。
だから子供や小動物など自分より力が弱いものと遊ぶことができる。
これはニホンザルなど序列社会を形成する猿には見られないことらしい。
とすると、ゴリラは相手の喜びを自分の喜びとすることができるのだろうか?
それができる条件はそろっているような気がする。
しかし残念ながらこれはできないようだ。
チンパンジー研究で著名な松沢哲郎さんの「想像する力」を読んでそう思った。
人間の子供は3歳を過ぎれば「お母さんも食べて」と互恵的な行動をする。
これは教育によってそう言ってるわけではないと。
もっと本質的な部分からそういう行動をしていると。
チンパンジーの子供は、5歳になっても10歳になってもそういう行動はしないらしい。
利他的行動はできない。
それは人間の様な「お互いさま」という感覚が無いからだ。
共通認識というものがないからなのだろうか。
そういえばゴリラもチンパンジーも言語を持っていない。