やりたいことは、やり残したことだ!

今日一日を出来るだけ楽しく過ごすよう努めています。
日々の他愛のない出来事を取り留めもなく書いています。

エドウィン・ロサリオ

2017-05-26 10:23:18 | 日記

ロサリオが34歳で亡くなっているのを最近知った。

麻薬とアルコールが原因の動脈瘤が死因だったらしい。

ボクサーは引退後は幸せに暮らしている人が少ないから

ロサリオもどうなっているのだろうと思いふと検索してみた。

生きていればまだ50代半ばなのに・・。

ロサリオの試合をタイムリーに観たのは平仲明信選手との対戦だった。

2階級制覇したばかりのロサリオに平仲選手が挑んだ試合は、

試合前から楽しみだったのを覚えている。

平仲選手には頑張ってもらいたかったがロサリオ優位は動かないだろうと

思っていたので、あの初回TKO負けの結果には驚いた。

ロサリオは南米の選手らしく典型的な気分屋ではないだろうか?

経歴を見てもタイトルを獲ってもすぐKO負けしたり、調子にすごく

波があるように思える。

20歳でチャンピオンになっているのを見ても天才タイプだったのだろう。

スタイルは背が低いがリーチがあり、距離をとって強打を打ち込む

ボクサーパンチャーの様なスタイル。

同じプエルトリコのウィルフレッド・ゴメスやバスケス、トリニダード

のように天性の強打者だった。

アーロン・プライアー

2017-05-25 09:32:30 | 日記

アメリカの元WBA・IBFジュニアウェルター級チャンピオン。

プライアーと言えば、アレクシス・アルゲリョとの2度の激闘が有名だ。

特に第1戦は80年代を代表する死闘だと思う。

自分的にはレナード対ハーンズ戦よりこっちの方が好き。

アントニオ・セルバンテスに勝ってチャンピオンになった試合は

昔過ぎて知らない。

日本の亀田昭雄選手との防衛戦は動画で観た。

当時日本ではこのクラスには亀田選手、浪速のロッキー赤井秀和選手、

たしかまだライト級だったか後に世界を獲る浜田剛史選手がいて

賑わっていた記憶がある。

赤井選手は日本でブルース・カリーに挑戦して撃沈した。

亀田選手はよく当時最強のプライアーに敵地で挑戦したと思う。

プライアーのスタイルは今のパッキャオよりもアグレッシブだった。

終始パンチを繰り出し相手に休む間を与えない。

背は低いが肩幅が広くリーチがあり、左ジャブ、右ストレートの射程距離は長い。

続く左フック、左アッパー、右アッパーなどパンチは多彩でどれも強い。

それらを矢継ぎ早に打ち込んでくるのだから相手はたまらない。

アルゲリョ戦でも一体プライアーのスタミナはどうなっているのだろうと

思うほどだった。

しかしそんな無敵とも思えたプライアーも、アルゲリョとの再戦後は王座を

剥奪されたり事件を起こしたり様子がおかしくなってくる。

プライアーはすごく強かったが人気がなかった。

しかし人気者アルゲリョとの2戦だけは注目された。

プライアーはチャンピオンになった当初の頃も、ロベルト・デュランやレナードとの

対戦の話があったらしいが、契約の問題やレナードの引退で話は流れてしまったらしい。

もし彼らと対戦していたら・・・きっといい試合になったのではないだろうか。




メルドリック・テーラー

2017-05-24 13:46:04 | 日記

メルドリック・テーラーはアメリカの元ジュニアウェルター、

ウェルター級チャンピオンだ。

ロサンゼルスオリンピックで金メダルを取っているが、アマチュア時代

はフェザー級だったから増量してプロに転向したことになる。

1988年にジェームス・マクガートの持つIBFジュニアウェルター

タイトルに挑戦し、最終回にTKO勝ちして初タイトルを獲る。

しかしテーラと言えば何といっても1990年のフリオ・チャベスとの

王座統一戦だろう。

苦戦らしい苦戦もなく連勝を重ねていた当時無敵のチャベスを、果敢な

ファイトであと一歩のところまで苦しめる。

最終回のレフェリーの判断は物議を醸したが、この試合は90年代を代表する

名勝負になった。

ショッキングな負けを喫した後、テーラーは階級を上げタイトルに挑む。

WBAウェルター級王者アーロン・デービスを下し2階級制覇。

さらに3階級制覇を目論みWBCミドル級王者のテリー・ノリスに挑戦する。

しかしノリスには明らかにパワーで圧倒され完敗した。

防衛より複数階級制覇が評価されるアメリカにあっても、テーラーの増量の仕方は

急激で無理があったように思う。

その後ウェルター級に戻るがクリサント・エスパーニャに負けて王座を追われる。

さらに因縁のチャベスと再戦するが8回TKO負けでリベンジは果たせなかった。

スタイルは抜群のハンドスピードを生かしポイントを重ねていくタイプ。

パンチはなく連打で効かすタイプだ。

きっとレナードがアイドルだったのではないだろうか?

シェーン・モズリーに似ているが、モズリーはテーラーと違いパンチがある。

アメリカはこういう驚異的なハンドスピードのある黒人選手がたまに出てくる。

ジュリアン・ジャクソン

2017-05-24 11:49:56 | 日記

元ジュニアミドル、ミドル級チャンピオン。

現役当時は言わずと知れた屈指のハードパンチャーだった。

世界初挑戦は1987年WBAのマイク・マッカラム戦。

1回左フックで王者をぐらつかせるも2回、逆に左フックで

ダウンを奪われた後ラッシュされストップ負けを喫した。

2回で試合は終わるが内容の濃い試合だった。

翌年同じWBAの王座決定戦で白仁鉄に勝ち王座を獲得する。

この試合では白を3回に倒すまで、珍しく足を使ってボクシング

していた。白を警戒していたのだろうか?

このタイトルの防衛戦ではテリー・ノリスを右フック1発で倒している。

1990年、WBC王座決定戦でへロール・グラハムと対戦し

これまた右フック1発で倒す。

ジャクソンの最大の武器は左右のフックだ。

長身のスリムな体型をしているが、完全なファイタータイプ。

ジワジワと相手に接近して強打を打ち込む分かり易いスタイルだ。

身体は固く打たれ強くない。

何回か防衛するが1993年、新倒し屋のジェラルド・マクラレンの挑戦を

受け5回TKO負けを喫する。

この試合はお互い強打を振るう見応えある試合だった。

マクラレンとは再戦するが今度は1回でTKO負けをしてしまう。

その後1995年に再び王座に返り咲くが、初防衛戦でクインシー・テーラー

に8回TKO負けをしてしまう。

ジャクソンの試合はいつも倒すか倒されるかで面白かった。

ジャクソンのパンチを受けた選手は、体を硬直させるほどそのパンチは

強力だった。

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ロジャー・メイウェザー

2017-05-23 13:13:30 | 日記

元ジュニアライト、ジュニアウェルター級チャンピオン。

今はフロイド・メイウェザーの叔父として有名かもしれないが

自分がボクシングに興味を持ち始めた時、海外の強豪選手として

メイウェザーのことを知った。

あまり知らないけど、若くして世界チャンピオンになってるから

チャンピオンになる前から期待のホープだったのではないだろうか。

スタイルもボクシングセンスを感じさせるものだった。

左腕を下げたスタイルから長いジャブを打ちながら必殺の右ストレート、

右アッパーを狙う。

この階級にしては背が高いので、あまりフットワークは使わず上体の

動きとブロックだけで相手のパンチをかわしていた。

しかしロッキー・ロックリッジに1回KO負けで王座を追われた後は

あのフリオ・チャベスに挑戦しているが2回TKO負けを喫している。

メイウェザーはジュニアライト級時代は打たれ弱かった。

その後階級を上げライト級で北米タイトルをかけパーネル・ウィティカと

戦うも判定負けを喫する。

この試合では得意の右ストレートでダウンを奪い、ディフェンスマスターを

あと一歩というところまで追いつめている。

さらに階級を上げ1987年、WBCジュニアウェルター級王者レネ・

アルレドンドに挑戦して6回、凄い右ストレートで倒してチャンピオンになる。

何回か防衛するものの3階級制覇を目論むチャベスと再び対戦して敗れた。

初戦と違い今度は簡単には倒されず10回終了時にメイウィウェザーが棄権した。

メイウェザーは階級を上げて打たれ強くなり、逆にチャベスはパンチを強振する

ようになりコンビネーションが続かなくなったのが原因と思われる。

その後IBFタイトルに2度挑戦するがラファエル・ピネダに8回までリード

するも9回に左フック1発で倒され、コンスタンチン・チューには勢いの差か

判定で完敗した。

晩年はパッとしなかったが一時期自分が憧れたボクサーだった。