皆様、おはようございます
本日は『とき301号』でカキコです
本日は日帰りの小千谷出張です
まずは、昨日紹介しましたスマホ用
拡大レンズを使用してショット
普通はシース(外被)があるケーブルをカール加工するのですが
これは心線を撚った状態の物をカール加工
そして、私のスマホにはマクロショット機能があることに気づき
その機能を使用して同じものをショットしてみました
チョットピントがあってませんね・・・
と言うことで、拡大レンズ購入
チョットは効果ありと言う立証ショットでした
普通にショットした写真
で、この珍しいカールは
コロナ禍依頼訪問していなかった
タングステン線加工が得意な
三和電気【MITSUWA】 | タングステン加工、タングステン電極など微細加工技術に応える
からの、お困りごと相談
で、昨日訪問してきました
3~4年ぶりですかね・・・
なんと、ギネスに認定されたと言うことで
その楯を拝見
人生で初めてギネスの楯に触れました!
そもそも、この会社とは
タングステン線を三つ編みしてくれないか・・・
との依頼でチャレンジ
ただ、あまりにもタングステンは硬すぎ
軟銅線のようには行きませんでした
失敗経験です
この会社からは、色々難題を言われておりますが
それが、当社の技術力になればと思っております
言い忘れましたが、OJTとして
ムッツリーノSTUも同行しました
そして、当社の歴史パート2
今回は昭和40~50年代を紹介
『あゆみ』によりますと
成長期、成熟期とあります
日本電電公社向けのPVC屋内線のほか
昨日も紹介のマイクロホンケーブルは
誘発ノイズをマイナス100dbに抑えたケーブルの開発に成功し
大手有力メーカーへの納入が決まったとあります
また昭和44年には日本通信工業(日通工)から
卓上電気計算機の組立OEMもしていたそうです
その技術を生かし、NEC向けのキーテレホンの組立なども行ったようです
そして、何よりビックリなのが
昭和47年には埼玉県狭山市にボーリング場までオープンさせたとのこと
さらには渋谷付近にカレーショップまでオープン
ただ、このボーリング場とカレーショップは
わずか1年半で閉鎖となったそうです
意外とバブリーだったのですね
見事にはじけましたが(T T)
そこで気づいたのか、電線製造に専念するかごとく
昭和48年に韓国馬山のフリーゾーンに全額出資での工場設立
社名を韓国三陽工業としたようです
電線の事業は順調だったようですが
このころ当社は3事業部あり
他の事業部であるプラスチック成形部門やフィルム成形部門は
昭和46年くらいから低迷となっていたらしいです
その後のオイルショックで
どんどん深みに
で、昭和53年に電線部門が独立し三陽工業の名を引き継ぐこととなりました
そして昭和58年には輸出用モジュラーコードの生産が間に合わぬため
茨城県友部町に友部工場を開業
この時代は、イケイケだったようです・・・
が、今日はここまでとします
最後に昨日の昼食
浜松からやって来たNOEと一緒に
ゴーヤチャンプルー定食・・・
もうすぐ乗り換えの『浦佐駅』に着きそうですので
今日はここまでです
今日も小千谷でがんばりマッスル!