三陽工業営業部長業務日誌

三陽工業営業部長が多々難題に挑む状況をつづるブログです。反論や同情のコメントお待ちしております。

出世の街、浜松

2024-04-05 06:43:31 | 日記

皆様、おはようございます

本日は浜松ターミナルホテルでカキコです

タイトルの通り

浜松は、『出世の街浜松』と言われているようです

これは徳川家康が29~45歳まで浜松で過ごし

その後、飛躍的な出世したことかららしいですが

浜松によりますと

出世とは、決して働く人のためだけの言葉ではありません。
自らを成長させ、夢を叶えること。
目標に向かって努力を重ねること。
生きがいややりがいを持ち、幸せになること。

とのことです

さて、製品写真ですが

本日のヤマシナ同行の為、用意しました簡易サンプルボックス

浜松ターミナルホテルの部屋で撮影

役に立つと良いのですが・・・

話変わって、現在、私の独断で数々の試作を行っている件

そろそろカラフルバージョンも飽きてきましたので

今回はK柴ットマンの要望もあり

釣り具関連

これに対抗する製品を作ってみようと思います

わたしは釣りはしないのですが

K柴ットマンによると

色々な釣り具をベストに引っかけて使うらしい

『絶対に売れます・・・』とのことで

釣りファンの多い小千谷工場の方々に

色々意見を聞き、Bestな逸品を作ってみたいと思います

金属部品も取り付くのでLADVIKに頼めるかも・・・

そして、昨日の昼食は

八ツ手屋さんの天丼!

相変わらず、うまい!!!

さてさて、今日は

ホテルにてリモート会議を行ってから

安城駅へ

安城駅での下車は人生初めてです

ヤマシナのKMT部長にお迎えいただきます

今日は三河の地でがんばるずら!

おっと、当社の歴史の話忘れてました

2003年からは不況の為、数々新事業に取り組む

電源ユニットの装置組立事業や車のヘッドライト用ハーネス事業

そして、私が取り組んだ中国プロジェクト

2004年には前述2事業は、ほぼ確立されつつあり

各々月に2千万円程度の売り上げが見込まれた

なので、中国プロジェクトの目標は、月に5千万円

ただ、自社工場は無くファブレスでの取り組みだったため

一筋縄ではいきませんでした(T T)

10年掛けて目標達成!

でも、その頃には他の新事業は、ほとんど崩壊しておりました

中国製品の販売は飛躍的の延びたのですが

国内生産品がまたまた冷え込んでしまったため

2010年に国内営業に復帰・・・と、言うことにしておきます

この間の2005年には親会社が三井物産から現在のヤマシナに変わりました

わたしは中国だったので、蚊帳の外・・・

わたしにとっての失われた国内10年です

国内営業復帰後、この十年は、薄利多売品は極力排除し付加価値の高い

カスタム製品にターゲットを絞り拡販

この結果なのか

2021~2023年まではフル生産状態でした

これは取り組みの結果ではなく情勢のおかげですね・・・

でも、採算性重視の方針で

現在の大幅受注減の状態でも、なんとかやりくり出来ております

で、問題はこれからです

さすがに、この状況が続くと大変です

ハッピーな歴史作りに、日夜取り組みたいと思います

最後は自叙伝みたいになったしまいましたが

当社は今年で創業78年目

100年超企業を目指しがんばります!