微差を積み重ねること、始末をきちんとする事を目指します。悩まずに行動に移します。
毎日0.1%でも
思考方法の多様性と優先度
おはようございます☀️
今朝も参拝しました。またご真言の念誦をしました。
ご真言の念誦の後は仏様に奉納するつもりで堅牢地神品の他、神道について英語で書かれた本、統計の教科書などを音読します。
雑念が薄くなっているので読みやすいです。
神社は早速庭に土が増えていたので掃き掃除をしました。ハイキングをすると広い庭に土がまかれますし、松のないところにランダムに松の落ち葉が分布するという興味深い相関関係があります。
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人格の否定が話題になっているようですので少し考察してみたいと思います。
同僚は、文章を書くことに誇りをもっておられ、どちらかというと視覚優位なわたしは、その機微に気付けない失礼もあったと思います。
でも地理情報の扱いや空間的思考では、私の方が気づいていることもありました。
地理情報や空間的思考は、言語では表現しきれないことを扱うので、例えばお仕事の仕様書にて、空間的な思考や情報処理スキルに富んでいれば、比較的簡単にできるだろうことも、言語化すれば非常に膨大な文書になってしまい、実務的には現実的ではないことはよくあることと思います。
そのような細かいところや論理的に非合理な面を、時間内に、要望の範囲に収まるようにうまくまとめるのが仕事と思っていました。
統計データの思考と、地理情報の思考は方向性が異なる面があり、コミュニケーションは難しいこともあります。
同僚との関係では、私はデータ処理関係の仕事を引き受けていて、全国のデータを期間内に必ず、間違いなく納品しなければいけないというプレッシャーがあり大変だな、と思う上に私の言語能力の拙さを指摘されて辛かったことがあり、強い言葉を言ってしまったかもしれません。
でも同僚にも、武道をしたり、山登りをしたりという修行者の一面があり、さらに研究者としての強さもあるという、根本的に信頼関係があるからこそのことであり、野放図に一方的に行ったことではありません、
こちらの気持ちを言うことが許されるならば、できれば、言語的な思考意外の視点も持っていただきたい、と内心思っていたと思います。
また、同僚はコンを詰めるところがあったので、「自分を大事にした方がいいよ」と言い続けていましたがなかなか伝わらなかった、ということの哀しみとかストレスも感じていました。
そのことが人格を批判しているように思われたかもしれません。
言葉にしていると間に合わないことを、多くの技術者や職人の方はうまくまとめている、ということもあろうかと存じます。
言葉は大変重要ですが、数式や図の表現、データの振る舞いも大変重要な情報で、そのあたりの総合的なコミュニケーションの伝達や優先度の明確化がこれからの時代の重要なスキルになると思いますし、情報を統合して勘案する寛容さや柔軟性も望まれるように思います。
このことと、神社を大事に掃除したいということ、仏教を信仰していることと関係づける必要はないように思います。
今日もありがとうございます😊
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