manakoの今日もぐるぐる

四十路女〈manako〉。まだまだ人生に迷いながら、日々ぐるぐる回って生きています。そんな管理人の日常を綴る日記です。

アダルトチルドレンという生き方

2023-10-24 20:33:38 | 日記
【注意】
本日の内容は、少々、重めかもしれません。
本来、あまりブログに暗いことは書きたくないのですが、吐き出すところもないので、書いておきます。
苦手な方は、スルーして下さい。










夏前くらいに、仕事に対する気持ちが折れてしまい、以降、ぼんやりと過ごす日々です。
自分は昔から生きづらさを抱えていて、この原因て何だろうなぁ…とずっと考えていました。
大人の発達障害だろうか…と調べてみても、何かちょっと違うような…。(まあ、鬱っぽさはあるんですけど。)
先日、メンタルヘルス系の動画を見ていたところ、ドンピシャリの内容を発見!!

そうか、自分て、アダルトチルドレンだったのか!?…と。

正直、家族がしんどいなぁ…という思いは昔からあったのですが、自分の生きづらさはそれとは別と考えていました。
自分の努力が足りないからとか、自分がポンコツだからなのかなぁ…と。(←というか、この思考がもはやアダルトチルドレンゆえなのですよね…)

特徴として、「正に!!」と思ったのが、自分の考えや感情が分からないということ。
マジで、分からないのです!!
だから、人と会話したり、関係を築くのが非常に苦手です。
かといって、逆に、人の感情を察することは出来るのです。(むしろ、感情移入し過ぎることすらある。)
分からないけど、よく考えれば出てくるから、「無い」わけではないかと考えていたのですが、よくよく思い返すとやはり「無い」のではないかという結論に。
たぶん、自分は常に最適解を求めているのだと思います。
他人が求めている回答をしようとしてる、そしてそれを間違えてはいけないと考えているような気がします。
思い返せば、子どもの頃の将来の夢とかも無かったのですよね。
ケーキ屋さんとか、お花屋さんとか、周りの子達が言ってるから、それに合わせて言っていたように思います。
あと、文章を書くのはわりと得意なのですが、自分の考えを述べなければならない感想文とか小論文とかは苦手です。特に、制限時間がある試験などになると、何も書けなくなります。
そして実は、趣味すら、自分の好きなこととは言い難い部分があります。
読書は、賢い子という演出面もあるし、知識を吸収して賢くならなきゃという実用面もあるかと…。
料理は、もうずばり親の助けになるからですね。
絵は、「下手の横好き」なら良かったのかもしれませんが、微妙に描けてしまったので、賞をとって親を喜ばせたり、親の仕事の手助けの術になってしまいました。
大人になってからの趣味の旅行も、純粋に楽しんでいるというよりは、寺社仏閣巡りをして自分を見つめ直し、心身を鍛練しようとする向きが強いよなぁ…と。


それから、「他人に怒られるのが怖い」ということ。
「えっ!?普通の人って怖くないの?」と、逆にびっくりしてしまいました。
アダルトチルドレンの特徴というのは病気ではなくて、育った環境の中で出来上がっている自己の価値観だったり、生き方だったりするので、自分ではその異常さが分からないのですよね。
自分の場合は、「怒る」の前段階の「不機嫌になる」というのが、すでに怖いです。
だから、自分の言動で相手を不機嫌にしてしまわないかビクビクして、不機嫌にしないように、もう無意識に気をつかっているんですよね。
これは、子どもの頃、親が不機嫌なことが多くて、どうしたら不機嫌にならないでいてくれるのだろうと考えていたからだと思われます。

これに繋がるところで、自分は病気になったり、怪我をすることも怖いです。
この「怖い」は、病気や怪我に対する痛みや苦しみへの恐怖心とか、なった後の生活への不安とかではないのです。
もう単純に、病気になって、人から怒られるのが怖いということ。
子どもの頃から、風邪とかひくと、自分の不注意とか健康管理が出来ていないせいだと怒られていたので、そのせいですね。


こうして、つらつらと思い返してみて、自分の追い求めてきた「いい子」とは何なのかを整理すると、

勉強が出来て、行儀が良くて、親の感情や状況を察して立ち回ることが出来、病気や怪我をしたりしない

………、それって、もはや人間ではなくないか…と、思わず笑ってしまいました。
機械だって、不調を訴えることがあるだろうよ。

でも、そうでなければ自分は存在を肯定されなかったと、少なくとも自分自身は感じているのだと思います。
頑張らないと生きていてはいけないから、何事にも真面目に一生懸命取り組もうとするのですが、世の中には頑張っても報われないことはあるし、やっぱり疲れてしまうこともあるのです。
そして、今の時代は、より自分というものがないと生きていけないし。
でも、それで弱音を吐くと、「自分の努力が足りない」とか、また怒られるからさぁ…。
真面目な優等生というのは、親や教師など大人からは手のかからない良い子と見られ、同じ子どもからはからかわれたりウザがられたりして馴染めないしで、ずっとずっと孤独です。
たぶん、自分は誰のことも信用してないのだろうなと思っています。

でも、親だってひとりの人間だし、みんなそれぞれの人生があって、みんな自分の人生に精一杯だろうし、誰かに助けてなんて言えないよ…。

生きるのにはお金が必要だし、その為には働かなくてはいけない。
頑張らないと生きていてはいけないというのも、やはり事実かなとも思うのです。

結果、やはり自分が悪いというループ。


若いうちは、体力とか気力で何とかカバー出来てきたけれど、40にもなると体力も落ちてきて、どうにもならなくなってきているのかもしれません。


生きるって、難しい…。




















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