manakoの今日もぐるぐる

四十路女〈manako〉。まだまだ人生に迷いながら、日々ぐるぐる回って生きています。そんな管理人の日常を綴る日記です。

物語を紡ぐということ

2024-12-17 17:37:00 | 日記
大河ドラマ「光る君へ」のART BOOKを購入しました。

お衣装やセットをクローズアップした美術解説書、大河ドラマでこういう書籍が出るのは初めてとのことです。

美しいお衣装や調度などなど、平安時代風俗好きには堪らないのですもの
絵を描く時の参考にもなりますし
映画「陰陽師0」のビジュアルブックも購入したのですが、あれにはそういうお写真がなくて、残念に思っていたのですよね…
なので、今回のART BOOK発売を知り、絶対欲しいと思ったのです。

ああ、このお衣装の襲、素敵年賀状イラストの参考にしようかな〜
やはりこれだけの再現が出来るのって、大河ドラマだからこそだよなぁ…。


ここでひとつ、白状します。
実は、大河ドラマ、ほぼ見ていませんでした…
最初、数話は見たのですけど…。
放映日が必ず休みの仕事ではなく、仕事だと放送時間に家に居ることはほぼなく…。
録画して見ようとしたのですが、後からってなかなか見ないものなのですよねぇ…(そうやって溜め込んでいるドラマ・アニメ、他にもありますし。買った映画のディスクも見れてないの〜
おまけに、連ドラ予約にしとけばよかったのですが、ちまちま都度予約してたものですから、ある時忘れてしまった回があり、もういいや〜ってなっちゃったんですよね
ガイドブックなど関連書籍も購入してありますが、こちらも見事に積読です



でも、ドラマ最終回だけは、録画してちゃんと見たのです!!
「ちゃんと見てなかった奴が語るな!!」て言われちゃうかもですが、感じたことをつらつらと。
ドラマ作品自体の感想というよりは、最終話を受けて、『源氏物語』好きのもの書きが考えたことでしょうか。


それは、〈「物語」とは何か〉ということ。
人が「生きる」ということも、自分だけの「物語」を紡ぐということかもしれません。
その人が生きる過程で、見聞き体験し感じたことが、創作としての「物語」を生んでいく。
だから、「物語」はその世の中を写し出すものかもしれない。

ドラマの主人公まひろ(紫式部)は、「物語」を書くことにより、その人生の「物語」を共に紡ぎたいと願ったであろう道長のそばに寄り添い支えとなりました。
彼女にとって「物語」は、生きる糧であり、生き方そのものだったかも。
だから、ドラマ内で臥せる道長が「生きることはもうよい」と、その「物語」を終わらせる言葉を口にしたことは、凄く辛く切ないな…と感じました。

また、病床の道長にまひろが語って聞かせていた、三郎(道長の幼名)少年を主人公にした物語。
道長はどんな気持ちで聞いていたのでしょう。
己が貴族の生まれでなかったら、川の畔で出会った少女と別の人生があったのだろうか…と考えてみたり?
「物語」は、それを通して別の世界を体験出来る方法でもあるかも。

まひろとききょう(清少納言)が語り合っていた、自分たちは「物語」を通して政を動かしたのだということ。
「ペンは剣よりも強し」という言葉もあります。
文学だけでなく、歌や演劇、現代のSNSだって「物語」だと思うのです。
バズることで、世界から反響がある。
「物語」は人の生き様であり、その人が紡ぎ出すもの、それはいつの時代も「人の想い」なのかもしれません。


自分は『源氏物語』は、光源氏を通して「人が生きる」ということを描いた物語であると考えています。
光源氏って、高貴な生まれで、イケメンで、いろんな才能にも恵まれているけれど、しょうもない己の過ち(←でも、本人にとっては求めてやまないもの故の行為)で、人生を波乱万丈にしているよなぁ…と。
おかげ関わる女性たちの人生も、平穏ではいられなかったり…
人生って本当に難しくて、どんな人間もぐるぐる回るものなのだなぁ…と。


そう言えばドラマ内で、光源氏の死を描かなかった理由をまひろは「幻がいつまでも続くように」と道長に語っていました。
それって、自分にもピタリとはまるかも。
自分のハンドメイド活動の屋号って、「ものつくり工房・儚(はかな)」と言います。
「儚」という字は、よく言われるように「人」の「夢」という形から成っている文字です。
自分にとって「物語」(創作活動)は、自己表現であり、自分が「生きる」ことそのものだったりします。
故に、この屋号は、己の想いが形に出来る活動であるように、そしてそれが続くようにとの思いを込めています。
また、この前の同人活動時代のサークル名は「夢浮橋」って言います。
これはズバリ、『源氏物語』の巻名から取ったもの。
意味的には今の屋号同様に、己の夢の架け橋と成れってところです。

あと、活動名。
現在のmanako(まなこ)。
これは、ブログサービスで日記を書き始めた時につけたのだったかな…。
もの書き用に使用している歴代ペンネームと比べて、アルファベット表記にしていることもあって、だいぶ普通の名前に見えるかも。(響きはナマコみたいで、変わってるかもですが
でも、これが一番、命名の呪術的要素は強いと思います。
実は、一応、漢字表記があります。
「真名呼」と書きます。(「呼」は「子」を使用しても良いのですが…)
こう書くとズバリですよね、本名を呼ぶという意味です。
「本来の自分に近い存在であれ」という意味を込めた、実際の本名の一字を含んだ名前だったりします。
また、音の響き的には、「眼」「愛子」という意味も込めています。
「真実を見る目を持つように」、そして「愛し愛される人間であれるように」との意です。
あとは「愛呼」で、「愛ある言葉を紡げる人間であるように」という意味かな。

実は一人称も、基本的には「自分」を意図的に使用するようにしていて、自分という存在を凄く意識している名前だったりします。



話が少し逸れてしまいましたが…
「物語」は、人が生きること。
大河ドラマ「光る君へ」は終わってしまいましたが、自分の「物語」はこれからも続きます。
己の想いをまだまだ紡いでいかなくては…。

「光る君へ」は29日に総集編放送があるみたいですね。
今度は、録画してちゃんと見よう!!






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2 コメント

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共感... (Passy)
2024-12-17 19:53:53
manakoさん、はじめまして、そしてこんばんは。

偶然に初訪問してみたら...
ほとんどドラマは観ていなかったとおっしゃりながら鋭い考察...
さすが『源氏物語』好きさんですね...
しみじみと読ませていただきました。
叶わなかった実らなかった恋であっても...
年齢を重ねてみれば...心の中で糧となることも。
そして...成就したはずの恋が壊れていくこともあるのですよね。
誰もが自分の人生を紡いで...
そして...人生には「もしも」はないことも教えてくれる物語でした。
そんな思いで読ませていただきました...
どうもありがとうございました♪
返信する
Unknown (管理人:manako)
2024-12-17 23:08:15
Passyさん、初めまして、こんばんは。
管理人のmanakoです。
記事へのコメントをありがとうございます。

「物語」に対する感じ方は、人の数だけあるもの。
その中で、大河ドラマを視聴されていたPassyさんに、自分の考えが共感頂けたことは嬉しく思います。

『源氏物語』の映像化はこれまでもあり、その中で紫式部も描かれることはありましたが、今回の大河ドラマは、その彼女の人生そのものを中心に描くもの。
今回は『源氏物語』もピースの一つでしかなく、歴史的事実、資料など散らばる数少ないピースを繋ぎ合わせて、このような作品に仕上げた脚本家の大石先生は凄いなぁと感じています。
大河の脚本を書くということは、やはり特別なことだと、改めて実感しますね。

登場人物たちそれぞれの稔侍・覚悟を持った生き方が描かれていたように思います。
そして、それはドラマのキャラクターだからではなく、千年前の人物たちも実際にそうであったからではないでしょうか。
政争の道具にされがちだった高貴な女性たちも然り。
まひろは道長の妾になることを断りましたが、『源氏物語』でも、男君に惹かれながらも求愛を受け入れない女君の描写があります。
また、当初は内気だった彰子さまの、最終話「側室なんか要りません」発言!!
しっかり道長の意思を受け継いでいますし、なんか『源氏物語』の明石中宮みたいだなあ…と思ったり。
和歌などもまた人の心の機微があってこそのものでしょう。
「物語」はそうやって人の想いがあってこそ、紡がれるものだと思うのです。

とまあ、文学の研究とは、こういう正解のないことをつらつら考察する学問なので、自分の領分なのかなぁと思います。

共感のコメント、誠にありがとうございました。
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