将軍塚 八世紀末、桓武天皇が平安京造営に際し、王城鎮護のため、
高さ約2,5mの像に甲冑を着せ弓矢を持たせ、京都市内に向けて
埋めた塚であると伝わる。平安末期以後、天下に異変があるときは
必ずこの塚が鳴動して前兆を表すという伝説が生まれ、「源平盛衰記」
によると、源頼朝挙兵の前年、1179年七月には、三度にわたって
この塚が鳴動し、次いで間もなく大地震が起こったと言われる。
大日堂に安置する本尊大日如来像は付近の山中から発見された花頂院
の遺仏と伝えられる。
境内の紅葉は見頃を迎えています。
高さ約2,5mの像に甲冑を着せ弓矢を持たせ、京都市内に向けて
埋めた塚であると伝わる。平安末期以後、天下に異変があるときは
必ずこの塚が鳴動して前兆を表すという伝説が生まれ、「源平盛衰記」
によると、源頼朝挙兵の前年、1179年七月には、三度にわたって
この塚が鳴動し、次いで間もなく大地震が起こったと言われる。
大日堂に安置する本尊大日如来像は付近の山中から発見された花頂院
の遺仏と伝えられる。
境内の紅葉は見頃を迎えています。