超×2伝説のプログ

【普通のプログ】基本的に恣意的ブログ。新題→「伝説」<超>付けた。「超」を拒んだ。超を二乗にした。

成吉思汗の件だけど

2015年04月09日 16時10分24秒 | 義経はジンギスカンだったのか?
2回目くらいで落ちたなテンション

最初は期待したんだがやっぱ自分好きな仮説になりがちだし

それを修正していくのは面白くない

でも冷静な視点ではしょうがないのだが

成吉思汗に日本人らしい痕跡や

義経由来と思われるものを上げてく作業なら誰でもできる

それはメインじゃなく反論の反論みたいなは最小限やておきたいが

それにしたって長くはならないシリーズ 5回目までもつかね?


まあしばしブランク空けるつもりだけど閃いたりしたメモがわりに何か書くかな。


義経は成吉思汗だったのか?②

2015年04月08日 01時33分01秒 | 義経はジンギスカンだったのか?
22歳になるまで幼少をモンゴルで過ごした義経が

戦国時代の日本で一旗あげようと来日したのは

やはり根っからのモンゴル人の若者ではなく日本人の親を持つ家系だったと推測できる。

その生い立ちははっきり不明だが

『吾妻鏡』からによれば、22歳のときに駿河の黄瀬川に陣を布いた源頼朝を訪ね、兄弟の対面した記録を残しており、

これが彼の表舞台デビューみたいなもん。

そして、この時に身分を証明できる物を持参してるはず

だからこそ源家を頼り名前も上げて出世も希望したのだろう

しかし

源家の扱いは1時的には喜んだものの結局は前向きな支援は行わなかった。

それはやはり微妙な生い立ちのせいであろう

両親が表立って公表できない人物であったと思う。

だから日本に来た義経は数年間特に表立った活躍の場は与えられていない。


このへんの事情は蒙古で育たなければいけなかった理由と見事にかぶる。


(そこが明らかになるのは無期限未来であろうな)


そしてテムジン時代は義経のルーツかというと、そうでもないように思う。



なぜならテムジン(ジンギスカン)には日本的な名称等をあやかったものが多く

必要に応じた虚構として準えたプロフィール内容に思う。


■テムジン時代からの日本的符号の幾多★

●テムジン(鉄木真)=天神(てんじん)のもじり 日本では古代神

●成吉思汗(ジンギスカン)=支那読みでは源義経上(ゲンギケイカミ)はジンギスカンに近くなる。

●テムジンにはジェルメ、ジェベ、クビライ、スブタイらが「四狗」と呼ばれる4重臣がおり。護衛としてボオルチュ、チウラン、ボロクル、ムカリが「四駿」と呼ばれる重臣でいる。

源義経にも義経四天王と呼ばれた4人がいる。
武蔵坊弁慶・伊勢義盛・常陸坊海尊・駿河次郎などだが
文献によってはこれに、鎌田盛政や鎌田光政も混在する。

総勢19人の「源義経19臣」であるなら
テムジンの「四狗」+「四駿」=8人なので誰かが該当する変名かもしれない。
無論これはテムジンの重臣メンバーが義経四天王らからのモデルだとする仮定であるが。

ジンギスカンの時代になっても数十人の家来の中に大男がおり、弁慶ではないかと神津探偵の弁。また身長の記述が曖昧なジンギスカンの影武者も弁慶が演じてた可能性も指摘。

●テムジンの幼少期のエピソードに義経の幼年時代のものと似てる話がある。

:::::::::等・他は後述





これら若きジンギスカンのもじらえたプロフィールであるなら
あまりに義経時代の日本を例えるものであり、それはやはり彼が故郷を愛する
日本人であり、日本に郷愁を持つ、
日本人の両親から生まれた若者である明かしに思う。

:::::::::::

ところで前回の親の部分で未来人とかの可能性言ったけど
単に隠し子の養子でも辻褄は合いそうな。
モンゴルの隠し子・・しかし母はアイヌ人かも知れない

なぜなら後で言うけどアイヌ伝説オキクルミに神として崇められるきっかけは
アイヌの血も貢献したと見るべき。そして彼は女性のような美少年の記述もあり
日蒙ハーフのが美彩は放つのではないだろうか。
また半分の血族としてアイヌの人々とも交流あったとみるべき。
それがアイヌ伝説の発祥とも思える。




続く

(この個人研究は恣意的に行う前提なので後々訂正が入っていく過程も描く予定である。たとえば日蒙ハーフの件も、あるいは蝦夷に逃げ延びた際にアイヌ女性と関わったのかもしれず(その子孫は日本に残された?)その縁でモンゴルに渡る手配もしやすかったとかだと、わざわざ蒙古の隠し子にしなくて済む仮説にはなる。つまり日本史どうりの義経の両親は源義朝×常盤御前)




源義経は成吉思汗だったのか?①

2015年04月06日 22時30分28秒 | 義経はジンギスカンだったのか?
正直ブログに書く事がないので

前から関心のあった「義経=成吉思汗 同一人物説」をシリーズ化しようと思う。

恣意的に時々書こうと思う。(カテゴリー「義経はジンギスカンだったのか?」も作った)




自分がこの説に関心よせたのは高木彬光さんの「成吉思汗の秘密」角川文庫がきっかけ。


必要ならば古本とかで再購入してもいいが実家にはまだその時の文庫があった気がする。

今はインターネットなどで情報は氾濫し自分でも補える箇所もありそうで

この説のおさらいと検証をしてみようと思う。

::::


そもそも日本の武将・源義経と
モンゴルの英雄ジンギスカンを同一人物だと言いだしたのは誰なのか。

アイヌのオキクルミを「判官殿」と呼ぶ江戸時代の義経北行説から

林羅山・鵞峰親子の「本朝通鑑」

新井白石の『読史余論』『蝦夷志』でも義経の生存と北海道への移動を指摘

徳川光圀の『大日本史』で義経は蝦夷(北海道)に渡り、神になってると注釈

幕末期、沢田源内の『金史別本』でも通説のように一般的に義経の生存と活躍は信じられていた。

明治時代初期グリフィスがその書『皇國(ミカド 日本の内なる力)』生存説のちの活躍

シーボルトの書「日本」で義経が大陸に渡って成吉思汗になったと主張

末松謙澄の「義経再興記」や大正末年に小谷部全一郎の『成吉思汗ハ源義經也』が著され大ブーム、多くの信奉者を生んだ。

明治以降はは反論者も多くなり

戦後の高木彬光さんの頃は、もう研究テーマとしては沈静化し

推理小説家の余興として改めて取り組んだスタイル

このテーマの話題を始めると、ほとんど人が

「なにそれ本気で信じてるわけ?(笑」と完全にトンデモ扱いされることが滅法多い。

それは、ほとんどの歴史研究家からは噴飯物の珍説であり完全否定されてる現状ゆえだ。


しかし物事の理解には冷静で平等な視点が必要と思う。

科学者なら尚そうだ。

義経=ジンギスカン説がノストラダムスの予言のように周期的に上がるのも

珍説というより、そこに真理がなければならぬ

1人2人の捏造やでっち上げではこうはならんということ。


何ゆえに同一人物説がもてはやされ、即刻否定されるようになったのか。


珍説だから否定されたんじゃろ?とか言われそうだが

自分が見た限り、反論者の方が感情的で論理に破綻が多い

また、反論者は頭ごなしや耳も貸さない態度で「はなっから信じる気はない」

いうなればアンチのような態度である。

つまり貶しすぎる・・そこが逆に怪しい。

もっと強く言えば

義経とジンギスカンが同一人物なら何か不都合があるのか?

高木さんの「成吉思汗の秘密」で既に触れてるが

義経と成吉思汗の慰霊祭(オボー祭り)みたいなものが
遠い異国を隔てて同じ日に行われる。

歴史上の有名人2人に、この偶然はありなのか?

高木さん(劇中では神津探偵)は
義経とジンギスカンが同じ人間だと知ってる身内は存在してた。

ゆえに2人の慰霊祭は同時に行われてる・・と。

つまり判る人は当然知ってた裏歴史であると。

そして義経(成吉思汗)も
成吉思汗の言動や様式などに自分が日本の武将である痕跡を残した。

(後述するが笹竜胆や9の数字など)

その暗号と信憑性、更に歴史舞台を騙し抜いた大トリックへの想像とロマン。

推測と興奮を喚起させる歴史テーマだろう。


そしてその決着は頭ごなしや軽視などでなく

冷静に判断しうる可能性と推理によって成立する収束が望ましい。

それを自分なりにやってみたいと思った

が、まだ時期早々に思う




でもおさらいくらいはできそうだし、やっても見たい。ブログネタにもなるし。








さてその一回目は、「2人のアリバイ」と「同一人物で都合の悪いこと」を挙げたい。



アリバイというのは2人の過ごした公式上の年月日で被ってたらもうおしまいよ。

でも神津探偵の時もこの検証はクリアーしてる

なぜなら成吉思汗には幼少時代テムジンの記録もあるが

文字を残さないモンゴル民族の口承であり

それって後でこしらえたものとも言えるし出生不明というのが正しい人物。

そして源義経も22歳以前の記録がさっぱり分からない謎の人物であること。

謎と謎の人物同士だしアリバイはないわけよ。

(アリバイ=不在証明)

このブログテーマはある程度この説を知ってる人向けに書く事もあるけど

たとえば北海道まで生き延びた義経がどうやってアジア大陸に渡れたか?という疑問

それには神津探偵こう答えてたっけ

当時の北海道とアジアを結ぶ船の航路は開けて
て繋ぐ船は多かったから義経がアジアに行くことくらい可能だろうと。

あっそう

(´・ω・`)ふーん

義経って実はアジアで育ってたってことないかな?

幼少をアジアで過ごし22歳になって日本に来た

それで日本の過去が見つからない

生き延びて北海道からアジアに向かえるのか?って言う前に

そもそもアジアからやってきた男なら帰っただけじゃん

海を渡った経験があったなら

義経が北海道からアジアに行けたのも納得は出来そう。

むろんこれ仮説ですが、テムジンの空白10年間の日本に義経が現れて

義経の死後(平泉)数年後のアジアに成吉思汗が現れてるから、あながちよ。

(ここでいうアジアってモンゴル蒙古ね)



彼が何故アジアで過ごさねばならんかったのかの理由もいる

誰ぞの隠し子であったとかメロドラマならこう来るとこ

しかもその可能性も無きしもあらずなんでイイ線

もしもジンギスカンが義経だと言うなら

この出生の秘密も明かさねばならぬだろう。

義経の周囲としては、そこは・・まだ伏せておきたい

それゆえに2人が同一人物である決定的な証拠も隠しているのではないか。

だからこそ曖昧な仮説として信ぴょう性だけで語り継がれている。

でも実は真理だった それゆえに語られる基盤があったのよ


証拠の伏せられた真理は皆が信じる強さがあった そう思うよ




でも証拠が出てないのをいいことにアンチの言われ放題にされてるのが現状

そうゆうことね






・・そして、その出生とは

同一人物説に匹敵するどころか日本史もひっくり返しかねない大秘密なのかもしれない。

それこそアンチどもが絶対に見逃さない真理なのかもしれない。

それはいったいなんであるか

月刊ムーなら未来人の介入とか言いそうだが

いま同一人物説を整理してる段階で

超トンデモみたいにしたくない

この未来人説は保留で行く

まぁ意外な親なのかな、まだわからんが。


とにかく幼少の義経は蒙古で育った可能性はある・・というとこまで

真理の証拠は、いづれは公開される可能性も持ちたいね。

(これらは生きてる管理者がいるというより霊的な免除と封印的なニュアンスで言及してます
それ自体がムー的だったりなw)

続く