①ってあるけど時々適当に続ける予定。
「広重の予言(改正版)」と「その元絵は江漢だった」の2冊買ったのだけど
この2つでそれぞれ補完して東海道53次のなんたるかが、ちょこっとわかる塩梅。
まず広重の予言とは何かというと
彼の代表作である「東海道53次」の中に現在(2013)までの予言が含まれてる
のではないかというトンデモ考察なのですが
読み進むとと不思議な論法解釈な信憑性が微妙になってくる。
ひょっとしたらマジなのか?この改正本は2011年版だが
旧作は2006版であり、
その後のリーマンショックや東北大震災を当てたと実証にし、
その流れで2013年は富士山が爆発し地震や火災に苛まれる未来を指摘してるのである。
(;゜Д゜)!
今年ももう半分来てるが
その予言どうりなら今年後半が災害ラッシュというのかな?
あながちと思うが
この広重の予言をこのブログなりにアプローチしてみたい。
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浮世絵「東海道53次」は江戸・日本橋から京都まで53の場面で構成された
当時の旅情風景画である。
永谷園のおまけカードが有名だが、「広重の予言」とは
作者である歌川広重が「東海道53次」に託した未来図を解く考察である。
↑の絵が53次の出発点である日本橋の光景なのだが
なんら怪しいとこも無く、晴天清らかな江戸の風景にしか見えないが・・
予言考察者の解釈によると
この「日本橋」は寛政の大火などの1797年の火事被災を暗喩したものだという。
東海道53次は1833年に作成されたものだが
最初の10枚は既に過去の事件だというらしい。>日本橋1797~小田原1833
またその絵の易年が割り振られて、その年の予言という内容だ。
日本橋1797
品川1801
川崎1805
神奈川1809
保土ヶ谷1813
戸塚宿1817
藤沢宿 1821
平塚宿1825
大磯宿1829
小田原宿1833
______<ここから広重から見た未来>
箱根宿1837
三島宿1841
沼津宿1845
原宿1849
吉原宿1853
蒲原宿1857
由比宿 1861
興津宿 1865
江尻宿 1869
府中宿 1873
鞠子宿1877
岡部宿1881
藤枝宿1885
島田宿 1889
金谷宿1893
日坂宿 1897
掛川宿 1901
袋井宿 1905
見附宿 1909
浜松宿1913
舞阪宿 1917
荒井 宿1921
白須賀宿 1925
二川宿 1929
吉田宿 1933
御油宿 1937
赤坂宿 1941
藤川宿1945
岡崎宿 1949
池鯉鮒宿 1953
鳴海宿 1957
宮宿 1961
桑名宿 1965
四日市宿 1969
石薬師宿 1973
庄野宿1977
亀山宿 1981
関宿1985
坂下宿 1989
土山宿 1993
水口宿 1997
石部宿 2001
草津宿2005
大津宿 2009
京都到着 三条大橋 2013
・・という塩梅↑
どうゆう要領なのか1枚目の日本橋から見ると
日本橋の場合は寛政の大火などの1797年の火事被災を暗喩したものだと前述した。
それは2人の男の視線が火の見櫓を指し夕焼けの赤さで火災を示唆してのだと言う。
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この53次には奇妙な点が多く存在し
広重は実景を見て描いたのではないとされる。
実景には存在しない山や道、行事や建物の形状などが研究者によって指摘されてる。
「広重の謎」ってのはそこなのだが
たとえば蒲原宿↑の雪景色など選んでるが、この地方では雪など滅多に降らないから
観光マップでもある53次には適さない絵柄。
しかし蒲原宿の易年である1857年には江戸に大雪が降っている記録があり
当時の異常気象などを予知したもの・・といえる。
実に広重の53次は
毎度、通常の旅情テーマの絵画シリーズとして逸脱してるリズムがあって
結構、実景というより本人のアレンジやイメージで再構成された
恣意的な表現であり、その閃の中で予言的な要素が話題になってるのだと思う。
そして長らく研究者の中では、
(学者は予言とか言わないから)・・「謎」とされてたわけだ。
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さっき「本人のアレンジやイメージで再構成された恣意的な表現」だと言ったが
種を明かせばこの53次には参考にした元絵がある。
最初に言った2冊目がそれだ。
当時の浮世絵には資料として別の作者が書いた元絵を参考に書く事も珍しくなく
パクリとか贋作の類でなく取材旅行とか大変だし写真もない時代だし
手元で使えそうな絵画は利用してたのだよ。
でもってさっきの蒲原宿も
「なぜ広重は雪の降らない地方なのに雪景色を選んだんだ??」
という雪景色の謎も、わざわざ異常気象の予言とか言わなくとも
そもそも元絵が雪景色だった・・というオチがある。
オチっつうかネタバレ。↓
司馬江漢が書いたと言われる蒲原宿。司馬江漢は広重より先50年は離れてる洋画家。
この洋画が本当に江漢作なのか真偽はあるが
広重53次の参考資料になった可能性はある。
まあ100歩譲って模写だとしても広重のアレンジ力もたいしたもので
構図的にダイナミックに鮮烈に仕上がってるのはやはり広重の方だと言える。
要は昔はそうゆう制作法が常だったとも思うし
さらに司馬江漢の53次で引用してない、全く違う絵柄(宮宿など)も有るのは
絵柄のチョイスに自重が入ったからだと、この本は記述する。(元絵は旅情向きでない)
すると広重は更に別の図案から引用したのかな。
どっちにせよ広重53次の方が見てて楽しいし
触発される内容もうかがわれる。
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ついでに言えば司馬江漢の53次は
サインこそあれ江漢らしからぬ画風も見えなくはないが
これが当時の発刊物であれば例え紛い物でも広重の資料にはなり得たであろう。
もっとも昭和に制作された贋作という意見もある。
実際の広重の参考資料は「東海道名所図会」など交付されてた観光マップみたいなもの。
検証サイトもあるので興味ある人はどうぞ
http://koktok.web.fc2.com/53ron2010/kunisada/kunisada.htm
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広重の「東海道53次」の予言の要領はお分かりいただけたと思うが
自分は更に別の意見を持っている。
それは易学が100年ずれてないか?というもの。
もしそうなら富士山噴火も2013年じゃなく2113年になるのだが・・?
ま。それは今後の検証次第で、とりあえず(続く)