超×2伝説のプログ

【普通のプログ】基本的に恣意的ブログ。新題→「伝説」<超>付けた。「超」を拒んだ。超を二乗にした。

デスノートを考える

2015年09月13日 23時45分08秒 | 今日の名言
さっきドラマ版デスノート最終回を見終えて

これは人殺せる傲慢なエゴと狂気をゲーム化して描くエンターテイメントだと思いつつも

最後が独裁者の是非を問う収束になって

今の倫理社会ではその独裁は殺人者として抹殺される結末

それはまあその通りだとは思うが

ドストエフスキー「罪と罰」の中で主人公が

1人の天才に支配された世界の方が人類は幸せだと主張さうる場面を思い起こす

この主張は当時のドイツで流行ってた考えらしく

「罪と罰」はそもそも殺人を正当化する弁での引用だし本気ではないだろうけど

その独裁世界の肯定が、またどこかで開花する気配もある

特にこのご時世では特に

悪徳でもなんでもいい

この世の中は何か強くたくましい改革を欲しがってる

それがこの「デスノート」人気の根源と思ったね

でも悪い人を殺せばそれで済むのかといえば

それは少し整合しない気もする

デスノート以外の人徳や知性の配慮が要るのだろうな

つまりデスノートを持つ人が神になるのは

逆で

神のような人しかデスノートは使いこなせない

ということをデスノート側の敗北劇を連続することで肯定してるロジックね

今までのデスの所有者は結局は俗人で失格者なわけ(今回のドラマ版に限らず)

失格者だからドラマに描けたわけだ

その完成された主人公を散策してこれからも時々デスノートは制作されるようだが

様々なアプローチで

その境地はどこにいくのか見ものではある




日テレドラマ版もお楽しみであったし

これから日曜の夜は暇になるな





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