治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

悪口は言っとくもんだね

2017-01-16 10:03:55 | 日記
一年前には吉川徹講演会に出かけていた週末、今回は読者対応していました。
そこで仕入れた話。

how to be a 花風社クラスタなのですが、こういうケースもあるそうです。

吉田友子医師の講座→何この上からの感じ超違和感→ぐぐる→悪口書いてあるこのブログにたどりつく→夢中になって過去ログも読む→書店で花風社の本買ってみる→ハマる→花風社クラスタへ

なるほどそういうのもありかも、と思いました。
お母さんたちも世代交代しているので、えらいえらい先生だからといってむやみとありがたがらず「ちょっと変」と思ったらそれをわりとオープンに情報交換する時代が来ているのかもしれません。

いいことですね。

悪口は言っておくもんだ、と思いました。
いや、むやみと悪口言えばいいというもんじゃないですよ。
でも「これって変だろ」と思ったことは屈託なく表現しておけば、同調する人が現れるっていうことです。

それにしても。

支援がなんにもなかった時代には、少数の有名支援者にすがりつきがあったと思うんです。そういう人を絶対視して、その人の言う通りにしようというある種の依存。

そして今、親の会やなんかでトップに立っているのはそういう世代かも。

でも世代交代が進み、これからの親御さんたちは
そういう「ギョーカイのレジェンド」に対しても

「何この上からの感じ。やだなー。あれれ本当に転送頼むのに手紙一本つけない人だったんだ」
「一時間半聞いたけど特性の説明だけで対応法がありませんでしたまる」
みたいな感想を堂々と言う時代になってきたのかもしれませんね。

えらい先生たちが、選ばれない時代がきたのでしょう。

いいことです。

そして「仲間だから悪口言わない」っていうのはなしですね。
同じ発達障害の仕事をしているからって悪口言わないのはなし。

きちんと悪口を言う。
それで価値観の合う人が集まる。
価値観を揺すぶられて再考する人がでてくる。
新たな交流が始まる。
それこそが、本当の仲間づくりだと思います。


一年前の疑問が解けた

2017-01-16 09:05:55 | 日記



一年前の昨日は、私が豊橋まで吉川徹講演会を聴きに行った記念すべき日です。ということを今朝、FBが教えてくれました。いきり立って豪華お弁当買ってグリーン車に乗るところから会場で感じたこと、帰りの車中での感想までFBで実況していた私。最後の実行中継だけここに貼りますね。

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帰りの新幹線なう(自由席。ガラガラ)
今日の会は、本当に薬物療法と環境調整しかない人は不自由でタイヘンだなあと思ったんだけど、あそこの会場にいた聴衆の人たちがコンディショニングをやる気はなんかしない。
なんでだろう。
きちんと聞いていたし、様子のいい会だったのだが。
でもあの人たちが金魚体操して眠れない子を寝かしつける姿が思い浮かばない。
なんでだろう。
と考えていたらきっと、答えが降ってくるだろう。



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これ、今になったら理由がはっきりわかりますね。

まあ、吉川は予想以上に話がマトモで、見た目は気が弱そうで、聴衆の皆さんはまじめな感じだったのだが。
そして話自体は、すでに「言葉以前のアプローチ」で「治った!」と喜んでいる人たちをたくさん見ている身としては、「薬物療法と環境調整しかない石器時代」を見る現代人のような気持だったのだが。

でもいくら熱心でまじめでも、あの人たちが薬物ではなく金魚体操で子どもを睡眠導入剤のない眠りに導く気はしなかったのだが、そして当時それがなぜだかわからず、答えがいつか降って来るだろうと待ちの姿勢だったのだが、それが今、わかりましたね。

それはたぶん「猫本」「人間脳を育てる」「愛着障害は治りますか?」とたどったからこそわかったことですね。






つまり「親に主体性があるかどうか」です。
親の主体性が大事である、と気づいた人たちかどうか。
治るんだけど治すのは医者じゃない、と気づいた人たちかどうか。
それが「薬物と環境調整というギョーカイのお仕着せ以外の」

・自分でできて
・金がかからなくて
・できたら身体の中に何も入れない

方法を試すかどうかを決めると思います。

私たちは猫本で、親が○○を活かして「支援者のいらない育て方」をするといいことが起きることを学び

「人間脳を育てる」で「発達障害者は発達する。その理由がここにある」ことを学び

「愛着障害は治りますか?」で「主体性」の大事さを学んだわけですが

日本のどこかでは、まだ石器時代が続いているのでしょうね。