ターザン後藤が肝臓ガン、58歳で亡くなったと
先程知りました。弟子でもあったミスター雁之助のYouTubeチャンネルで。
近年、プロレス界からほぼリタイア状態で
押上の中華料理店の女主人に一目惚れし通い詰め
再婚、そしてまさかの「新婚さんいらっしゃい」に出演したのを
見たのが最後でした。バラエティで「あの人は今?」的に出ていたのですよね。
FMWの副将として若手を鍛え鬼の様にねじ伏せるからか?
「鬼神」とキャッチフレーズを付け。
大仁田引退ロード直前、当日券で仕事後、後楽園ホールに見に行ったら
まさかの「退団」アナウンス。雁之助と市原も付いて行ったと。
大仁田と上手くいっていないのはアングルか?と思いましたが
「ガチ」だったのですね。後藤と大仁田はこの事を話そうとしませんでしたが
雁之助が自身のYouTubeチャンネルで真相を話しておりました。
その後、両国国技館での天龍vs北尾の2戦目で休憩後に組まれた
後藤、雁之助vs邪道、外道の試合。
この試合が当日、一番迫力がある試合でした。
天龍vs北尾が冬木にぶち壊され、消化不良で会場を後にし
連れて行った旧友人に散々ブチブチ言われましたが
後藤の試合は面白かったと。
長州の「インディー批判」は後藤を新日本のリングに上げ話題を作りたいのが
目的の一つでしたしね。
私が人生で初めてプロレスを見に行った
1983年テリーファンクさよならツアー最終戦、後楽園ホール大会。
第2試合がこの2人の取り組みでした。
川田利明VSターザン後藤 1984年11月28日(水)札幌中島体育センター
若手の凄く迫力がある試合でしたね。後藤のフライングボディプレスで圧殺。
デビュー後200戦以上連敗を続けていた頃の川田、ファイトスタイルは全く違いますね。
同時期に活躍した若手で三沢や川田は全日本の顔に、
どうやら馬場に冷遇されたのであろう後藤はアメリカからFMW入り。
初の電流爆破マッチをマスコミも煽り、まさかの東京スポーツ年間最高試合に!
アメリカで苦労していたそうな後藤の起死回生の一戦。
当時は大ブレイクしましたね。大仁田、後藤。
FMWを出てからIWA JAPAN 等インディーを主戦場に
真FMWから後藤一派等、何だか色々名前を変え
私はどこで何をしているのか、判らない人になってしまいました。
初期FMWのビデオを持っておりますが、
日本初インディーの成功した例の映像
やはり面白いです。
今、体調不良で後藤の訃報をイマイチ頭が認識しきっていないのですが
178センチ、130キロ位有ったのでしょうかね?
押上の中華屋の厨房に立つ後藤の映像と
新婚さんいらっしゃいが最後の後藤の消息情報になってしまいました。
人の命が簡単に消えて行く今の世界の御時世。
そんな中、まさかあの人が?という機会で後藤の訃報を知ってしまいました。
チト、頭を整理してまた色んな情報を得たいと思います。
先程知りました。弟子でもあったミスター雁之助のYouTubeチャンネルで。
近年、プロレス界からほぼリタイア状態で
押上の中華料理店の女主人に一目惚れし通い詰め
再婚、そしてまさかの「新婚さんいらっしゃい」に出演したのを
見たのが最後でした。バラエティで「あの人は今?」的に出ていたのですよね。
FMWの副将として若手を鍛え鬼の様にねじ伏せるからか?
「鬼神」とキャッチフレーズを付け。
大仁田引退ロード直前、当日券で仕事後、後楽園ホールに見に行ったら
まさかの「退団」アナウンス。雁之助と市原も付いて行ったと。
大仁田と上手くいっていないのはアングルか?と思いましたが
「ガチ」だったのですね。後藤と大仁田はこの事を話そうとしませんでしたが
雁之助が自身のYouTubeチャンネルで真相を話しておりました。
その後、両国国技館での天龍vs北尾の2戦目で休憩後に組まれた
後藤、雁之助vs邪道、外道の試合。
この試合が当日、一番迫力がある試合でした。
天龍vs北尾が冬木にぶち壊され、消化不良で会場を後にし
連れて行った旧友人に散々ブチブチ言われましたが
後藤の試合は面白かったと。
長州の「インディー批判」は後藤を新日本のリングに上げ話題を作りたいのが
目的の一つでしたしね。
私が人生で初めてプロレスを見に行った
1983年テリーファンクさよならツアー最終戦、後楽園ホール大会。
第2試合がこの2人の取り組みでした。
川田利明VSターザン後藤 1984年11月28日(水)札幌中島体育センター
若手の凄く迫力がある試合でしたね。後藤のフライングボディプレスで圧殺。
デビュー後200戦以上連敗を続けていた頃の川田、ファイトスタイルは全く違いますね。
同時期に活躍した若手で三沢や川田は全日本の顔に、
どうやら馬場に冷遇されたのであろう後藤はアメリカからFMW入り。
初の電流爆破マッチをマスコミも煽り、まさかの東京スポーツ年間最高試合に!
アメリカで苦労していたそうな後藤の起死回生の一戦。
当時は大ブレイクしましたね。大仁田、後藤。
FMWを出てからIWA JAPAN 等インディーを主戦場に
真FMWから後藤一派等、何だか色々名前を変え
私はどこで何をしているのか、判らない人になってしまいました。
初期FMWのビデオを持っておりますが、
日本初インディーの成功した例の映像
やはり面白いです。
今、体調不良で後藤の訃報をイマイチ頭が認識しきっていないのですが
178センチ、130キロ位有ったのでしょうかね?
押上の中華屋の厨房に立つ後藤の映像と
新婚さんいらっしゃいが最後の後藤の消息情報になってしまいました。
人の命が簡単に消えて行く今の世界の御時世。
そんな中、まさかあの人が?という機会で後藤の訃報を知ってしまいました。
チト、頭を整理してまた色んな情報を得たいと思います。
馬場の雑誌インタビューから、消息の聞かなくなっていた後藤について尋ねられた話では、アメリカ人女性(デスピナ・マンタガス…?)と恋仲になった後、リングに上がらなくなり、飲食店でコックとして働いているとのコメントでしたが、帰国後に実力を上げて大仁田とのタッグで、天龍・阿修羅の龍原砲を破った頃までが、後藤&FMWがもっとも輝いていた時期だと感じます。両国の興行で天龍・北尾戦の前を務めていたのも思い出しましたが、リングに登場した時の佇まいは全日で観た頃とは打って変わって貫録があって、メインエベンターとしての自信も備わっていたのかと思います(当日、メインの試合後に顔にペイントを施した浴衣姿の太刀光が乱入して来たにもシラけましたが)。
ただ長州も一目置くほどの実力のわりにはレスラー人生は恵まれていなかったようで、一時期、総合格闘技で闘うような話もあったかと思いますが、もし出場していたら悲惨な結果となったような気がします。実は私の仕事場に近い浅草の一角で、ライブが行える地階のレストランバーのような店を経営していたらしく、度々、店の前を通りました。何でも店内にはステージやリングが設えてあって、試合を伝えるポスターが店頭に張り出してあったのを見たことがあります。あまり流行らなかったようで、間もなく閉店したようですが…。
大仁田と袂を分かって、FMWを離脱した経緯は雁之助のYouTubeチャンネルで知りましたが、大仁田は引退試合後に数年でカムバックする予定で、FMWに戻って来た時のことを考えて、後藤を団体トップに据えて置くのは得策ではないと思っていたのではないかと思います。
後藤が力一杯のパワーファイトでしたし、トンボ帰りとかはしませんでしたが
川田のファイトも噛み合い熱い試合でした。やはり若手の前座試合はこうでないと、と
後に思いました。今は1試合目からメインイベント迄同じ様な試合多いケースも有るし。
デスピナ?さんでしたっけ?女子プロレスラーと結婚し奥さんがチャンピオンで
初期FMWのリングに上がっておりましたね。
アメリカ時代、皿洗い等アルバイトで苦労した奴だから、とポーゴに誘われてました。
FMWのコテコテ路線は成功していたと思います。見には行っていませんが
両国国技館での龍原砲vs大仁田、後藤のMVPは後藤と言われましたよね。
川崎での大仁田vs天龍の電流爆破見に行くか?バイト先の人と話し合い行きませんでしたが‥。
全日本プロレスでの上下関係はやはり相撲部屋並みだったのでしょうかね、
カブキと対峙した時、カブキは気の弱い目をしてたと落としておりましたが
まともに考えれば高千穂、小鹿等、曲者ばかでしたし。
MMAは冷静に考えて無理ですよね。UFCでチャンピオンになったダンスバーンを
IWAジャパンに呼び、川崎球場でスリーパーホールドでTKO負けでしたね。
FMWの後々は大仁田も猪木の様に院政を敷きたかったのかな?とも思いました。
後藤の最後の大舞台はWARだったのかな?と。FFFというのが早々に失敗しましたし。
ご冥福をお祈りします。
ターザン後藤で印象に残っていることで、帰国してFMW旗揚げ戦での登場時に「ボートピープル・ジョー」としてリングに上がり、すぐに覆面をとって「帰ってきたぞ!」とマイクアピールしたというゴング誌の記事でした。白黒で小さく。
「難民ジョー」ってのもすごいリングネームだ、そもそも誰なんだと思ってたもので。FMW旗揚げ戦では、プロレスラーと名乗れる選手は大仁田一人かって感じでしたので、後藤がここに現れたことには本当にびっくり。
サムソン冬木が帰国時当初にあまりパッとしなかった感じをなぞるような全日での帰国かなって勝手に思っていたので、まさかインディを選ぶとは。
インディの雄でしたね、ホント。合掌です。
そういえば、「ボートピープルジョー」でしたねぇ。
コレ、凄い名前にアングルですねぇ。誰が考えたんだろう?
FMWというまさかの団体を週プロで初めて見た時、
大仁田!?栗栖!?ポーゴ?
終わった人ばかりじゃん!と思っていたのが初の電流爆破マッチ迄のアングルは見事でしたね。
2人の因縁と死んでしまわないか?という不安と期待。
そういう恐怖を煽りまくり。だから、その年の年間最高試合賞を取れたのでしょうね。
サムソン冬木もイマイチでしたね。何故か維新軍の先鋒で栗栖にジャーマンでフォール勝ち
何とも言えない、胸踊るカードでは無かったですし。
川田もカナダから帰国しても、ずっと第1試合でしたね。
冬木も逝ってしまいましたしIWAジャパンで闘った後藤、2人とも逝ってしまいましたね。
こんな時代だから、滅入るニュースでした。