前田vsニールセン戦を書こうと思い、youtubeを検索して
どビックリ!ニールセンが亡くなった!
8/15に!
駅前の本屋が閉店してしまい、近所には駅中にある本屋しか無くなりました。
(というか駅中に本屋が出来る事で店じまいした本屋や客奪われた利用してた本屋)
しかし、ネットや電子書籍の大普及で駅中本屋も寂しくなっておりました。
「活字プロレス」はもう無くなったのを痛烈に感じます。
と、私は定期券を持っていないので駅中本屋は早々に入れません。
電車を使った時に、見たい雑誌を探しに寄った時、この本が目に入りました!
ドン中矢ニールセンのインタビュー!
コレ目当てで安くは無いこの本、購入しておりました。
【訃報】前田日明と戦ったドン・中矢・ニールセンが死去
いやぁ、亡くなった後に私はリアルタイムの事のように読んでいたんですね。
早く記事にしておけば良かった・・・・。
ニールセンのインタビューはやはり名勝負、後の総合格闘技の礎となった
異種格闘技。体重差20kgでの試合。
リアルタイムで私は大興奮したモノでした。
関節技とキックを売りにしていたUWFがキックボクサーと対戦なんて。
前田のキックが勝つんではないか?なんて予想を友達としていたら
現実は甘く無かった。ニールセンの長い足の蹴りと前田の蹴りは全く違う。
前田の蹴りはニールセンに早々決まる事無い。
そしてこのインタビューの核心は「リアルビジネスファイト」であった事。
「流血の魔術」「泣き虫」が発売されてからプロレスもUWFも
「プロレス」であった事が分かり、世紀の一戦、前田vsニールセンは
通常の異種格闘技戦と思っておりましたが、実は勝敗が決まっていなかった、と。
ニールセンに告げられた条件は「前田をKOするな!」
「???」な内容ですよね。
前田日明対D・N・ニールセン 別カメラバージョン1
前田日明対D・N・ニールセン 別カメラバージョン2
TVにかじりついて、興奮して観ていました。
メインイベントの猪木vsレオンスピンクス戦があまりにもショボかったので
インパクト大でした。猪木vsスピンクスの話しなんて出やしない。
飛んでくるニールセンのキック雨あられ。
捕まえたらロープに逃げられる。
ニールセンも前田に劣らず生意気そうな面構え。
前田の片逆エビ固めが決まった時の興奮。
インタビューにも書いてありましたが「痛かったからすぐギブアップしたんだよ」
そうニールセン弁。
日本で人気を博したマーシャルアーツのベニーユキーデジム
(レンタルされた佐山がキックの選手に大敗戦)から話が来て面白いと思って
OKをしたそう。そして日本人の血がも入っているんでルーツでもある日本に行けると。
そしてギャラが良かったと。(当時170万円位)
アメリカのキックボクシングシーンはホント人気無いそうで。
そして「リアルビジネスファイト・・・・」
前田をKOしなければ判定勝ちという事ですかね?(勝たせるだろうか?)
ニールセン曰く1Rのストレートでグラついた前田を追いかけてれば
KO出来たけど、ここはビジネスだからね、との事。
あの緊迫感は、前田側にとってはリアルファイトであったという事でしょう。
勝利した時、高田達の喜びようも普通のリアルファイトで見られる光景ですよね。
試合後、クリーンファイトで闘った二人はリング上でお互いを称え合い
「友達」になったと。
試合後、病院送りになった前田とは反対に敗者のニールセンは
六本木のディスコに踊りに行っていたと(!)
その後、ニールセンの名前の株が上がり
日本の団体から試合のオファーが来て、ギャラが上がったと。
ただ、佐竹との試合は酷かったそう。佐竹は反則である頭突きをかましてきたから
「佐竹は酷かったねぇ」と。
後、親戚の居る愛媛に何度も行ける事になって嬉しいと。
興味有りすぎるこのUWF系本。今回はUWFがテーマですが
後で面白い人へのインタビューや真実が語られているので
また後日ネタにしたいと思います。
タイでカイロプラクティック店を開いていたのに
まさかの死!しかも亡くなり方が、エルソリタリオやジャンボ鶴田と同じケース。
衝撃・・・ショックです。
もし時代が合っていたら「UFC」で絶対闘っていた!との事。
実際、モーリススミス、ホイスグレーシー、ホリオングレーシー達と
試合や練習で手合わせしていた様ですからね。
享年57。ご冥福をお祈り致します。
そして、またこの本から面白い話を抜粋したいと思います。
どビックリ!ニールセンが亡くなった!
8/15に!
駅前の本屋が閉店してしまい、近所には駅中にある本屋しか無くなりました。
(というか駅中に本屋が出来る事で店じまいした本屋や客奪われた利用してた本屋)
しかし、ネットや電子書籍の大普及で駅中本屋も寂しくなっておりました。
「活字プロレス」はもう無くなったのを痛烈に感じます。
と、私は定期券を持っていないので駅中本屋は早々に入れません。
電車を使った時に、見たい雑誌を探しに寄った時、この本が目に入りました!
ドン中矢ニールセンのインタビュー!
コレ目当てで安くは無いこの本、購入しておりました。
【訃報】前田日明と戦ったドン・中矢・ニールセンが死去
いやぁ、亡くなった後に私はリアルタイムの事のように読んでいたんですね。
早く記事にしておけば良かった・・・・。
ニールセンのインタビューはやはり名勝負、後の総合格闘技の礎となった
異種格闘技。体重差20kgでの試合。
リアルタイムで私は大興奮したモノでした。
関節技とキックを売りにしていたUWFがキックボクサーと対戦なんて。
前田のキックが勝つんではないか?なんて予想を友達としていたら
現実は甘く無かった。ニールセンの長い足の蹴りと前田の蹴りは全く違う。
前田の蹴りはニールセンに早々決まる事無い。
そしてこのインタビューの核心は「リアルビジネスファイト」であった事。
「流血の魔術」「泣き虫」が発売されてからプロレスもUWFも
「プロレス」であった事が分かり、世紀の一戦、前田vsニールセンは
通常の異種格闘技戦と思っておりましたが、実は勝敗が決まっていなかった、と。
ニールセンに告げられた条件は「前田をKOするな!」
「???」な内容ですよね。
前田日明対D・N・ニールセン 別カメラバージョン1
前田日明対D・N・ニールセン 別カメラバージョン2
TVにかじりついて、興奮して観ていました。
メインイベントの猪木vsレオンスピンクス戦があまりにもショボかったので
インパクト大でした。猪木vsスピンクスの話しなんて出やしない。
飛んでくるニールセンのキック雨あられ。
捕まえたらロープに逃げられる。
ニールセンも前田に劣らず生意気そうな面構え。
前田の片逆エビ固めが決まった時の興奮。
インタビューにも書いてありましたが「痛かったからすぐギブアップしたんだよ」
そうニールセン弁。
日本で人気を博したマーシャルアーツのベニーユキーデジム
(レンタルされた佐山がキックの選手に大敗戦)から話が来て面白いと思って
OKをしたそう。そして日本人の血がも入っているんでルーツでもある日本に行けると。
そしてギャラが良かったと。(当時170万円位)
アメリカのキックボクシングシーンはホント人気無いそうで。
そして「リアルビジネスファイト・・・・」
前田をKOしなければ判定勝ちという事ですかね?(勝たせるだろうか?)
ニールセン曰く1Rのストレートでグラついた前田を追いかけてれば
KO出来たけど、ここはビジネスだからね、との事。
あの緊迫感は、前田側にとってはリアルファイトであったという事でしょう。
勝利した時、高田達の喜びようも普通のリアルファイトで見られる光景ですよね。
試合後、クリーンファイトで闘った二人はリング上でお互いを称え合い
「友達」になったと。
試合後、病院送りになった前田とは反対に敗者のニールセンは
六本木のディスコに踊りに行っていたと(!)
その後、ニールセンの名前の株が上がり
日本の団体から試合のオファーが来て、ギャラが上がったと。
ただ、佐竹との試合は酷かったそう。佐竹は反則である頭突きをかましてきたから
「佐竹は酷かったねぇ」と。
後、親戚の居る愛媛に何度も行ける事になって嬉しいと。
興味有りすぎるこのUWF系本。今回はUWFがテーマですが
後で面白い人へのインタビューや真実が語られているので
また後日ネタにしたいと思います。
タイでカイロプラクティック店を開いていたのに
まさかの死!しかも亡くなり方が、エルソリタリオやジャンボ鶴田と同じケース。
衝撃・・・ショックです。
もし時代が合っていたら「UFC」で絶対闘っていた!との事。
実際、モーリススミス、ホイスグレーシー、ホリオングレーシー達と
試合や練習で手合わせしていた様ですからね。
享年57。ご冥福をお祈り致します。
そして、またこの本から面白い話を抜粋したいと思います。
そんな裏話が記事で読めて興味深かったです。UWFは今考えるとプロレスですよね。でもすごい面白かったです。前田日明かっこいいですね。
UWFは一大ムーブメントでしたねぇ。
旧UWFは後楽園ホールで観た事あります。当時ルールがよく判らなかったのですが。
前田程、話題を作る男は良い意味でも悪い意味でも中々見当たりませんね。
また、この本の別ネタをUPしますね。
前田VSニールセンの試合を見て、プロレスファンが格闘技へとかなり流れたと思います。
この異種格闘技戦は、格闘技の入り口だったと思います。当時、熱くなったのを憶えています。
プロレスの歴史でも大きな出来事に入ると思います。
僕は、佐竹VSニールセンの2度目の対決は、会場で観ていました。
シリアスな闘いに挑み、観客席もTVも固唾を飲んで
集中、熱中した試合でしたね。
後新生UWF旗上げで従来のプロレスファンが
UWFや修斗に流れたかもですね。K−1が地上波で放送されるまであまり見れず、
雑誌の活字で見ている人も多かったかな?と。