先日、ブロディーの方は記事にしたのですが、
このハンセン&ブロディーのミラクルパワーコンビの勢いは凄かったですね。
VSザ・ファンクス(彼等の師匠ですね)VS鶴田・天龍の
共に世界最強タッグの決勝戦、特に鶴天コンビ(若林アナ・・)戦は
最後、天龍を対角線に振ってのラリアットでフォール、優勝。
そして、ファンが望んだVSザ・ロードウォリアーズ(試合になりませんね)
後、印象的だったのはブロディーが全日本プロレス復帰後の
G馬場・ラッシャー木村戦。流血に耐える木村、ボコボコにされても耐える姿
とても感動しました。そして木村が戦闘不能状態になり、今度が馬場が
この二人の猛攻に耐え、最後は力尽きる。感動した人は多いと思います。
今回はハンセンにスポットを当てたいと思います。ジョージア州出身、
学生時代、レスリングとフットボールで活躍・・・なかなかメジャーな
プロフットボールチームと縁が無く、地元で教師もしてた事もあると・・・。
「壊れたダンプカー」と異名をとる姿からは想像出来ません。
実際、プロレス仲間はハンセンの人間性は素晴らしいと口にする人が多いです。
プロレス入りして、テキサスのザ・ファンクスの道場で修業、
ニューヨークで当時のヒーロー、イタリアからの移民の星、
ブルーノサンマルチノの首を折ってしまう。
エピソードでは得意技、ウエスタンラリアットで折ったと当時言われましたが
本当はヘタなハンセンのボディースラムで頭から落としてしまったんです。
そして、ニューヨークの嫌われ者になったハンセンはサンマルチノが復帰するまで
イアンプトスキーを始め、サンマルチノの穴を埋めるため必死に戦います。
そして、サンマルルチノ復帰の復讐戦の金網デスマッチ。
ファンは暴発寸前だったので身の危険を感じたハンセンはサンマルチノに
相談し、サンマルチノが色々用意してくれ、ハンセンは無事に試合場(MSG)から
脱出できるのでした(勿論、試合後)
日本へは76年、一度全日本プロレスに来日しますが、
その後は新日本プロレスで猪木に気に入られ、メキメキと実力を付けていきます。
そしてNWFタイトルを猪木から獲得。プロレスも段々上手くなっていきます。
目黒のステーキ屋にハンセン、アンドレ、ホーガンが一緒に食べに来た
写真が貼ってました。(都内近郊に住まれてる方ならご存知かも)
(すごい金額食べたんだろうな・・・)
しかし私がプロレスを観始めた81年当時、年末にはブロディーと全日本の
世界最強タッグの優勝戦に乱入と凄まじいパフォーマンスを見せました。
新日本に不信感が募った頃、(新間、猪木)に師匠のテリーファンクから
誘いが来たようです。そして、その乱入劇では師匠テリーにラリアットを放ち
失神させるというストーリーでテリー、馬場の期待に応えます。
それからハンセン台風でしたね。試合後大暴れして当時の若手にラリアットを
見舞う。(特に越中)テリーの感動の引退試合では試合後に三沢・・・。
G馬場と絶対的な信頼関係を築き、以来、全日本に上がり続け
アメリカではかつての仲間リックマーテルを破り
AWA世界チャンピオンにもなります。
(新日本に貸し出し、ベイダー戦、そして長州とのタッグ⇒仲間割れ)
天龍達の大量離脱の時からは三沢、川田、小橋、田上の壁となり
必死で全日本プロレスを守ります。
そして、「MY BOSS」と呼んだ馬場の死、鶴田の死、そして三沢を初め
川田、渕、太陽ケアの三人を除いた、全選手、スタッフの大半の離脱。
これまた大危機となります。ハンセンも頑張ってたのですが足が悲鳴を上げ
ついに引退となります。「笑っていいとも!」に出た時は感涙モノでした!
ハンセンの著書「魂のラリアット」、生活苦で売ってしまった事、
大変後悔してます。
ハンセンの印象に残る試合・・色々あるのですが、
個人的に、新日本時代はVSアンドレ、全日本では、VS馬場、
ブロディーメモリアルでのチェーンを奪い合うVSブッチャー、
そして、若手の壁となって闘った三冠戦、VS川田戦。
ベストバウトにアンドレを投げた真夏の田園コロシアムでのアンドレ戦
(ラッシャー木村の「こんにちは」挨拶が有った日)
そして、必死で食らいつく川田を鬼の形相で葬った武道館での川田戦、
この2つを挙げたいと思います。長いハンセンのキャリアでは
もっと凄い試合が有ったとは思いますが、日本人の私の思い入れとしては
この2試合は外せません。
今では全日本でPWFの会長になったり
バラエティー番組「ロンドンハーツ」でラッセンに心酔するバブル青田を
ラッセン⇒ハンセンと手紙を書いて騙したり、
たまに登場して感動してます。特にロンドンハーツでは
大声を上げてしまいました。
日本を愛した、全日本プロレスを愛したスタンハンセン、
忘れられないレスラーの一人です。
このハンセン&ブロディーのミラクルパワーコンビの勢いは凄かったですね。
VSザ・ファンクス(彼等の師匠ですね)VS鶴田・天龍の
共に世界最強タッグの決勝戦、特に鶴天コンビ(若林アナ・・)戦は
最後、天龍を対角線に振ってのラリアットでフォール、優勝。
そして、ファンが望んだVSザ・ロードウォリアーズ(試合になりませんね)
後、印象的だったのはブロディーが全日本プロレス復帰後の
G馬場・ラッシャー木村戦。流血に耐える木村、ボコボコにされても耐える姿
とても感動しました。そして木村が戦闘不能状態になり、今度が馬場が
この二人の猛攻に耐え、最後は力尽きる。感動した人は多いと思います。
今回はハンセンにスポットを当てたいと思います。ジョージア州出身、
学生時代、レスリングとフットボールで活躍・・・なかなかメジャーな
プロフットボールチームと縁が無く、地元で教師もしてた事もあると・・・。
「壊れたダンプカー」と異名をとる姿からは想像出来ません。
実際、プロレス仲間はハンセンの人間性は素晴らしいと口にする人が多いです。
プロレス入りして、テキサスのザ・ファンクスの道場で修業、
ニューヨークで当時のヒーロー、イタリアからの移民の星、
ブルーノサンマルチノの首を折ってしまう。
エピソードでは得意技、ウエスタンラリアットで折ったと当時言われましたが
本当はヘタなハンセンのボディースラムで頭から落としてしまったんです。
そして、ニューヨークの嫌われ者になったハンセンはサンマルチノが復帰するまで
イアンプトスキーを始め、サンマルチノの穴を埋めるため必死に戦います。
そして、サンマルルチノ復帰の復讐戦の金網デスマッチ。
ファンは暴発寸前だったので身の危険を感じたハンセンはサンマルチノに
相談し、サンマルチノが色々用意してくれ、ハンセンは無事に試合場(MSG)から
脱出できるのでした(勿論、試合後)
日本へは76年、一度全日本プロレスに来日しますが、
その後は新日本プロレスで猪木に気に入られ、メキメキと実力を付けていきます。
そしてNWFタイトルを猪木から獲得。プロレスも段々上手くなっていきます。
目黒のステーキ屋にハンセン、アンドレ、ホーガンが一緒に食べに来た
写真が貼ってました。(都内近郊に住まれてる方ならご存知かも)
(すごい金額食べたんだろうな・・・)
しかし私がプロレスを観始めた81年当時、年末にはブロディーと全日本の
世界最強タッグの優勝戦に乱入と凄まじいパフォーマンスを見せました。
新日本に不信感が募った頃、(新間、猪木)に師匠のテリーファンクから
誘いが来たようです。そして、その乱入劇では師匠テリーにラリアットを放ち
失神させるというストーリーでテリー、馬場の期待に応えます。
それからハンセン台風でしたね。試合後大暴れして当時の若手にラリアットを
見舞う。(特に越中)テリーの感動の引退試合では試合後に三沢・・・。
G馬場と絶対的な信頼関係を築き、以来、全日本に上がり続け
アメリカではかつての仲間リックマーテルを破り
AWA世界チャンピオンにもなります。
(新日本に貸し出し、ベイダー戦、そして長州とのタッグ⇒仲間割れ)
天龍達の大量離脱の時からは三沢、川田、小橋、田上の壁となり
必死で全日本プロレスを守ります。
そして、「MY BOSS」と呼んだ馬場の死、鶴田の死、そして三沢を初め
川田、渕、太陽ケアの三人を除いた、全選手、スタッフの大半の離脱。
これまた大危機となります。ハンセンも頑張ってたのですが足が悲鳴を上げ
ついに引退となります。「笑っていいとも!」に出た時は感涙モノでした!
ハンセンの著書「魂のラリアット」、生活苦で売ってしまった事、
大変後悔してます。
ハンセンの印象に残る試合・・色々あるのですが、
個人的に、新日本時代はVSアンドレ、全日本では、VS馬場、
ブロディーメモリアルでのチェーンを奪い合うVSブッチャー、
そして、若手の壁となって闘った三冠戦、VS川田戦。
ベストバウトにアンドレを投げた真夏の田園コロシアムでのアンドレ戦
(ラッシャー木村の「こんにちは」挨拶が有った日)
そして、必死で食らいつく川田を鬼の形相で葬った武道館での川田戦、
この2つを挙げたいと思います。長いハンセンのキャリアでは
もっと凄い試合が有ったとは思いますが、日本人の私の思い入れとしては
この2試合は外せません。
今では全日本でPWFの会長になったり
バラエティー番組「ロンドンハーツ」でラッセンに心酔するバブル青田を
ラッセン⇒ハンセンと手紙を書いて騙したり、
たまに登場して感動してます。特にロンドンハーツでは
大声を上げてしまいました。
日本を愛した、全日本プロレスを愛したスタンハンセン、
忘れられないレスラーの一人です。
ハンセン・デビアス組なんですよね。
デビアスのWWFでの変わり様にはちょっとゲンナリしましたが…。
ハンセン引退の時は泣いたな~。
私も大好きなレスラーの一人です!
Weiiiiiiiiii~
テッドデビアスは良いレスラーでしたね。
うまいし。
昔、馬場、鶴田VSテリー、デビアス組のインタータッグ戦、
馬場の凄いエビぞり逆エビ固めで悶絶、ギブアップした
顔は凄かった。
天龍とのUN戦とか。
ハンセン、デビアス組は強かったですね。
三沢、川田を圧倒しましたしね。
WWFのミリオンダラーマンは愕然としましたよねぇ。
Uウォリアーの引き立て役になったイメージ強いですね。
今は引退して教会の牧師をしてるそうですね。
とハンセンから話がズレましたが・・・(汗)
暫く留守にしたてので返事遅れすみません。
PWFというただの全日本の象徴でしょう、今は。
UFCがメジャーになってしまい、プロレス崩壊も
カウントダウンが始まった気もします。
親日本が真壁や越中をpushしてるので
面白くなりかけてますね。
リソワスキー、ブルーザーのコンビに一票あげます
難しいですね、ベスト5は。
BI砲、ハンセンブロディー、天龍、原、邪外道
そして、是非観たかったコンビにスカルマーフフィー+
ブルートバーナード組があります。特に、マーフィーが
凶暴になった夏頃は。
大木サンまで亡くなられて
力道山サンとかかわった人も少なくなって
猪木サンにデストロイヤー。それに上田馬之助サンぐらいで
そう言えば上田サンもお元気になられたのかしら
カンタロウ、コテツは小物の為省略
相当怖いオジサンだったそうで。
2人共最後は自殺しましたが。
バーナードはとても人情味が有ったそうですね。
上田さん、どれだけ良くなられたでしょうね?
後楽園ホールのエレベーターでシンを守るために
上田さんに殴られた事あります。
(テリーさよならシリーズ)
小鉄は相当強かったそうですね。